修煉に小さい事はない
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2016年1月8日】私は今年で61歳になります。息子の妻が出産を控えており、出産予定日が過ぎているのに、まだ産まれません。これに焦り出した息子が私にいつ出産できるかと尋ねてきたため、適当に7、8日前後ではないかと答えました。それでも心配した息子は妻の面倒を見るために私を自分の家に呼び寄せました。しかし、当時は同修に依頼された仕事がまだ終わっていなかったので「私は大法弟子です。師父を信じ、大法を信じます。すべては師父の按配に従います」という念を固め、仕事を終えてから電車に乗って深夜2時頃に息子の家についたところ、ちょうど息子の妻のお腹が痛み出して入院しました。そして、8日に無事男の子を産み、家族全員安心しました。「お母さんの言うとおりに8日に産まれました。まさに神通力を使えますね」と息子に感謝されました。これは自分の神通力ではなく、すべて師父のご加護であることを悟りました。

 息子の妻が出産してから1カ月の間、彼女の世話をしました。この期間も私は「真善忍」で自分自身に要求し、お金に対する執着心を取り除き、まめに彼女の世話をし、言わなくてもいいことには口に出さず、しなくてもいいことはしませんでした。これにより彼女の家族との関係も和やかで、和気藹々としていました。

 しかし、赤ん坊の世話は時間を必要とします。孫には彼自身の運命があり、自分は大法弟子なので、このようなことに時間を取られてはいけないと思い、息子の妻にベビーシッターを薦めました。彼女は物わかりのいい人で、ベビーシッターを雇うことに賛成しました。しかし、良い ベビーシッターが見つかるかどうかを心配しました。彼女の母も「今のベビーシッターは真面目に仕事をしません。家族がベビーシッターを見張っていなければなりません」と文句をこぼしました。けれど、私は普通の人ではなく、法を正す時期の大法弟子なのです。すべては師父が按配してくださるので、きっと道徳感があって性格のいいベビーシッターが見つかると固く信じていました。

 それから、全部で4人のベビーシッターを雇いました。4人とも品格が良く、真面目に子供の世話と家事をしてくれました。彼女たち全員に真相を伝え三退をしました。そしてうちの1人は法を得ました。彼女が辞める前、大法の本を読みたいと言ったので、『轉法輪』をあげました。彼女はこれからも法を勉強し、煉功することを約束してくれました。

 このことを通じて、修煉者としてはどこにいようと、どのような人に接しようと、どのようなことをしていようと、常に自分が修煉者であることを心に銘じ、利己心を取り除き、他人の事を真っ先に考えなければならず、そして「真善忍」で自分自身に厳しく要求し、師父を信じて師父が按配してくださった道だけを歩くという正念を持たなければならないことを悟りました。

 2015年3月のある日、私は夫と一緒に友人たちの食事会に参加しました。内の1人が自分の友人が障碍者カードを作れることについて声を潜めて話しました。そのカードを持っていると政府から障害者への優遇を受けることができ、海外旅行の飛行機や電車のチケット代などの優遇も受けられます。そして、その人を食事に誘ってごちそうすれば作ってもらえると話しました。

 このことについて夫たちはいろいろと話していました。飛行機や電車の切符代が高く、それを買うにも1、2時間並ばなければなりません。障碍者カードがあればまず時間の短縮ができることや、どのように偽障碍者カードを作るかなどについての夫と友人たちの会話を隣で聞き、言葉に表せられない嫌な気持ちになりました。私が何も言わないのを見て、ある友人は「あなたも作るべきだよ」と指さしてきたので、すぐさま「私は作らないわ」と答えました。

 それから何日か過ぎたある日、夫が「障碍者カードを作るから」と私の身分証を借りようとしてきました。「私は作りません」と話した途端、彼はまるで感電したかのように瞬時に激怒し、私を睨みつけて大声で怒鳴り出し「すでに相手を食事に誘ったから作らないわけにはいかないのだ。お前はどうしてこうも他人と違うんだ。お金の節約ができるようなおいしい話に乗らない理由がどこにあるんだ。お前は頭がおかしいのか」と罵られました。

 これほどまでに豹変した夫を見ても、私は動じずに「私が大法を修煉していることはあなたも知っていますね。師父は私たちに『真善忍』で常に自分自身に要求するように説いてこられました。だから、私は嘘をつかない、真面目に仕事をし、善良な人になることを基準にしてきました。それに病気にすらかかったこともない私が嘘をついて、障碍者カードを作るなどとてもできません。私の選択を尊重してください」と穏やかな口調で話しました。決して心を揺らさない私を見た夫は何も言わずに去っていき、あれから一度も障碍者カードの話を口にしませんでした。

 以上の二つは小さい事ではありますが、これらを通じて、修煉の過程では、大きいことも小さい事もすべて難関を乗り越えるためであり、精進する機会であることを悟りました。私たちは法を正す時期の大法弟子ですので、師父の法を心に銘じ、純粋な気持ちで師父の要求通りに行い、自分自身の言動一つ一つを正さなければなりません。どのようなことに遭っても必ず正念をもって一歩一歩修煉の道を歩み、旧勢力と邪悪に隙を与えてはいけないのです。

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/23/320753.html)
 
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