衆生を救い済度する効果についての交流
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年1月13日】『屋外広告の宣伝活動に関する補足通知 ◎師父評註文章』が発表されてから、同修たちは次々と自分の認識を発表しました。私も『屋外広告の宣伝活動に関する補足通知 ◎師父評註文章』を読んで、問題の重大さを感じましたので、自分の理解を持って、皆さんと交流しいと思います。不適切なところがあれば、ご指摘をお願いします。

1、中国国内において

 少数の極端なやり方に注意し、改善する必要がある以外、問題がないと思います。例えば、真相を伝えるシールの張る場所や、真相を伝える電話のかける時間帯に気を付ければよいのです。決して今回の通知によって、今までのやり方を否定し、またこれを口実に衆生を救う事を諦めたりしないでください。国内のような圧力の下で、異なる方法で衆生を救い、法を実証する事ができるのはとても素晴らしいことです。中国人は長期にわたり、中国共産党の偽りの宣伝に洗脳され、党文化の中で独りよがりの観念を持っており、真相を知るのにさまざまな障害があります。それに対して、いろいろな真相を伝える方法が必要とされます。

2、 国際社会において

 しかし、『一般住宅のドアノブに神韻の広告冊子を掛けることへの認識』を読んで、党文化のやり方が海外の修煉者と衆生を救うプロジェクトへの悪い影響を感じました。この事がさらされ、私たちはどのようにしてうまく対処できるのか、師父が見ておられ、実は私たちを高める良い機会でもあります。ただし、うまく処理できなければ、大きな損失をもたらしてしまいます。

 中国にいる私にしても、神韻を宣伝する活動の中で現れた党文化のものがよく分かります。海外の同修たちはそれを見かけた時、ひたすら自分を探す以外、どう対処すればいいかが分かりませんでした。問題を指摘し、正しい方法を堅持できず、相手の機嫌を損ねるのを恐れていたのではありませんか? それより私たちは法を実証し、衆生を救うプロジェクトにどんな影響をもたらすのかをもっと重視すべきです。

 党文化の現れはほかにもいろいろあります。学法の量が少なく集中できないとか、内に向けて探さないとか、すぐ弁解するとか、独りよがりとか、自己主張するとか、形式だけを追求するとか、 人の手柄を横取りし自己顕示するとか、他人を簡単に否定するとか、人と組んで他人を排斥するとか、衆生を救うことに逆らう不適切なやり方を取るとか。このような人の多くは修煉に身が入っておらず、人間の表面が良い報いを得ているだけで、根本的に法を理解できていません。そのため、大きな魔難に遭遇すれば邪に悟ったり、自らの心から魔が生じたりしやすいのです。よく行いたければ、多く法を学び、しっかり法を理解することが大切です。

 責任者と協調人にして、是非を分別する力が必要です。人に問題を指摘されやっとそれに気づき、違う意見がなければ、やり通してしまってはいけません。師父が神韻を導くやり方を学び、正しい方法を貫いて行くことこそが、責任者の責任を果たしているのです。問題に気づいたら善意に基づいて指摘し、逃避したり、他人に反感を持たれるのを恐れたりしてはいけません。

 問題が現れたら、ちょうど私たちを鍛え、成熟させる良い機会です。内に向けて探し、正しい方法であれば、強引な人によって変えられてはいけません。大法から悟った物事への正しい認識を持つことが、責任者として成熟している証(あかし)と言えるでしょう。

 少し言い過ぎたかもしれませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/8/321948.html )