文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年1月14日】私は幼い頃からずっと周囲から阿呆と言われていました。そのため、母は私を見るたびに溜息をついていました。しかし、まだ世間を知らない私は気にせず、別にいいじゃないかと思っていました。
両親は知識人でしたので、母にとっては、まさか自分の娘が阿呆と言われるのがとてもショックなようでした。しかし、私にいくら期待しても無駄でしたので、ショックのあまり、母も私を「阿呆」と呼ぶようになりました。そして兄弟たちもだんだん私を「阿呆」と呼ぶようになり、私のあだ名は「阿呆」になりました。
誰にでも自尊心があるので、大きくなった私は世間を避けるようになりました。毎日部屋にこもって、読書ばかりしていました。誰とも接触しない私を見て、父は心配していました。
やがて私は大人になり、社会に出ました。その時から自分は社会に慣れることができないと気づきました。仕事をこなす以外、人と付き合うことができず、人はなぜいつも他の人とあれこれ揉めるのかも理解できませんでした。人間として生きるのがとても辛いと感じました。
そんなとき、1996年の秋のある日、一冊の本を読んで、私の世界観がすっかり変わりました。私を困惑させていたすべての問題に答えを見つけました。
この本は『轉法輪』と言い、人にどのように修煉するかを教える本でした。修煉してから、私は人を避けたりすることがなくなりました。世間の人は「名・利・情」のために争ったり、闘ったりして生きているのでとても辛く、しかも病気を患う人も多いから、実に可哀そうだと思いました。だから彼らを理解し、優しく接することができるようになりました。
そして、いつか周囲からの私への見方が変わりました。彼らは問題があれば、私と相談すれば、簡単に解決できると気づき、いろいろと話してくれるようになりました。
それで、みんなから「賢いね」と言われるようになりました。私は「私が賢いのではなく、法輪功を修煉しているから、法輪功が知恵を開いてくださっているのです」と答えています。