「大法がくれた新しい人生」 中学生の修煉物語
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文/中国の子供弟子

 【明慧日本2016年3月28日】2014年9月13日は今までの人生の中で忘れ難い日となりました。その日、僕は久々に『轉法輪』を手にしたのです。

 僕は今年で15歳になり、今中学2年生です。両親は早くに離婚していたため僕は母と一緒に暮らしています。幸運にも父は2009年に大法を得たので、父に連れられて自分も学び始めました。幼いころから神様や佛様の存在を信じていたので、初めて大法の事を知った時、とても素晴らしいと思い、土日になると父の家で一緒に法を学んだり、煉功したりしていました。しかし、大法を一般的な知識としてしか学びませんでした。「真・善・忍」を守ることだけは知っていたものの、その概念や意味など全く分からず、法の大切さも全く理解していませんでした。その後、段々とゲームにはまり、父の家に行くなり、パソコンを立ち上げてゲームをやりはじめ、学法も口では法を読んでいましたが、心の中ではゲームの事ばかり考えていました。

 泥沼にはまり込む

 母は中国共産党による嘘やでまかせに深く毒害されていたため、僕が父について修煉を始めたことを知ると、これ以上父と接触しないよう僕を他県の小学校に転校させました。幸いなことに、父は引っ越す前、師父の説法が入ったパソコンをくれました。修煉できる環境はなくなりましたが、父はよく電話をくれて、大法を忘れないよう、そして「真・善・忍」を忘れないよう常に助言してくれました。今思い返せば、その頃の僕はすでにゲームに夢中で父の話など全く耳に入らず、一時的な楽しさだけを追求していたのです。

 ついに、小学校卒業前、突然父との連絡が途絶えました。後で明慧ネットを通じて知ったのですが、父は理不尽に裁判にかけられて判決を下されたのです。父からの助言を失ったことで僕はさらに勝手気ままな生活を送り始めました。オンラインゲームに夢中でしたが、成績がずっと良かったので母も何も言わず、「成績さえよければいい」と思っていて、僕の道徳基準が一瀉千里に下がっていっていることも知りませんでした。中学に上がると、漫画にもはまるようになり、時にはAVビデオなども見るので、モラルがないも同然の生活を送っていました。僕が通っているのは上のランクの中学校ですが、成績だけを重視しているため、生徒一人ひとりが汚い言葉を使い、口を開く度にゲームや18禁の漫画やAVビデオの話ばかりです。このような環境の中にいるので、僕も流れに身を任せたままどこまでも漂っていきました。

 突如夢から目覚める

 気の向くままに生きていましたが、時間が経つにつれてどんどん虚しさを感じてきました。かつて佛法と接触したことがあるので、それを容易く忘れることはできませんでした。人はどうしても生きることの意味を考えるものですが、答えを得ることはなかなかできないのです。歴史上にも酒に酔い潰れた人生を生きた人がいました。しかし、僕はゲームや漫画に現を抜かし、虚しく自分自身を麻痺させ、現実と向き合わずに逃げているだけで、冷静に考えないようにしているにすぎませんでした。

 中学1年の夏休みの終わりのころ、偶然にある漫画を読みました。内容は普通で大したことではありませんが、ただ「運命」や「縁」という言葉が印象に残り、何度も頭の中で繰り返されていたのです。「運命」や「縁」は本当にあるのだろうかと思っていた時でした。突如頭の中で「ある」という声が響いたのです。刹那、その声に驚き、「どうやって知ったの?」と自分自身に聞いたところ、「師父がかつて説かれたことがある」という答えが頭の中に浮かびました。この時、師父の説法をもう一度読もうと決心したのです。今思い返せば、すべては師父が悟らせてくださったに違いありません。

 修煉の道に戻る

 2014年9月30日、中学2年の1学期が始まって間もなく、僕は父がくれたパソコンを立ち上げました。『轉法輪』のファイルを開いて、すでに熟知していた説法を呆然としながらもう一度読み直していくと、涙があふれ出たのです。『轉法輪』を読み終えた後、10月中に師父の全ての説法を通読し、泣きながら自分はもう修煉する資格がないと思っていました。しかし、「あなたが学びさえすれば、修めさえすれば、どんな過ちを犯したとしても、私はあなたを済度することができます」[1]という師父の説法を読んだ瞬間、師父の慈悲深さに感動しました。師父はずっと僕を待っていてくださったのです。

 執着心を取り除く

 師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と説かれましたので、ゲームと漫画に対する執着を必ず取り除こうと、パソコンにダウンロードしたゲームを削除し、家にある漫画も全て捨てました。もちろん、今こうして書くのは簡単ですが、あの時は実際に行動に移すのは容易ではなく、繰り返し漫画を見始めたり、ゲームをやり始めたりもしました。しかし、心の底から考えないようにする時、これらの物が僕を誘惑することは出来ませんでした。

 学校ではゲームについての話題で盛り上がっている同級生に話しかけられても、「今日からゲームやめたよ。すでにパソコンの中の全てのゲームをアン・インストールしたさ」と答えました。しかし、「冗談だろう? おまえがゲームをやめたなんて信じられない」と笑われましたが、それについては何も言い返しませんでした。そしてしばらくしてから、僕がゲームの事を全く口にしないのを見た同級生は皆驚き、僕の決心に感心した人もいます。去年の10月から今まで、一度もゲームに触れていません。

 しかしながら、色情に関する執着心を取り除くのは容易なことではありませんでした。小さいころからこの種のものが周囲にあるため、いつも我慢できずにポルノ映画やアダルトビデオを見てしまい、修煉を始めてもやはり自制できませんでした。これではいけないのです。これ以上自分自身を抑えられなくなった時は、ベッドの上で転がりながら、何度も「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]と暗唱しながら必死に耐えました。そしてついに、色情に対する欲望が弱まりました。まだ完全に取り除いてはいませんが、少なくとも今は自制できるようになりました。

 修煉を始めてからしばらく経って、母にこのことを伝えました。初めは非常に反対され、真相を伝えても全く聞く耳を持たず、口を開けば中国共産党のでまかせばかりを言い、冷静になりませんでした。しかし、このような態度の母を見ても僕は動揺せず、中国共産党の嘘がどれほど大きくなっても、これからは自分の言動で「真・善・忍」を実証していこうと思っています。

 昇華

 僕は母とおばあちゃんと暮らしていますが、よく口げんかする2人を見ていつもイライラします。修煉者は「善」と「忍」を修めるので、僕もこれに従わなければなりません。それから僕は少しずつ変わリました。以前は短気でしたが、今では母とおばあちゃんに悪く言われても怒らなくなり、時々笑いさえ込み上げてきます。法を勉強してから相手を思いやることができるようになりました。2人は機嫌が悪い時は口調も悪くなって八つ当たりしてきますが、それを気にせずに慰めます。もちろん家事も進んで手伝います。僕がゲームと漫画をやめたことが2人をもっとも驚かせました。僕の身に起こった変化は全て法輪大法を修煉したからだと知った母は以前のように頑固ではなくなり、真相を伝えても聞くようになりました。

 学校にいても大法の要求に従います。今の学生は悪いものばかりを学びたがります。以前は毎日他の宿題の答えを写していましたが、修煉者は「真」も修めなければならないので、このようなことはしてはいけないと気づき、それからは一度も他人から宿題のノートを借りずに、すべて自分自身でやりましたので、皆も驚いていました。同級生との付き合いでも細かいことを気にせずに他人を優先して、罵られても殴られても我慢し、困った人がいれば助けたりして、皆と仲良く付き合っています。僕の成績は元から良いので、クラスでは高い信用があり、皆にとても信頼されています。本当は故意にやっているのではなく、師父が説かれた「真・善・忍」で自分自身を要求しているにすぎません。

 前学期はいつもより勉強に力を入れているにもかかわらず、成績は上がりませんでした。休暇の時、この状態を反省したところ、名誉を求める心があまりにも強かったとわかりました。よい成績を取って皆の前で見せびらかしたいと思っており、修煉者としてはこのような執着心を持ってはいけません。この執着に気づくとすぐに取り除かなければならないと決心しました。そして、今月の月末テストでは成績が一気に上がり、学年の400人以上の生徒の中で、僕はトップ20に入ることができました。これは師父が励ましてくださっていると知ってます。驕り高ぶらず、修煉の中でさらに精進しなければなりません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『長春輔導員法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/3/15/324967.html)