「最大限に常人に符合しながら修煉する」に対する理解
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年7月30日】師父は「わたしは法の中で皆さんに、最大限に常人に符合しながら修煉するよう教えましたが、常人に符合するようにと話したことはありません。常人と同じになってしまうなら、まだ修煉者なのでしょうか?」[1]とおっしゃっています。それでは、大法修煉の中で、私たちはいかにすれば「最大限に常人に符合しながら修煉する」ことになるのでしょうか? また、師父のこの説法をいかに正しく理解すべきでしょうか?

 最近、一部の中高年の大法弟子は子供たちの事情に大きく左右されて、常人の事でてんてこ舞いをしています。孫の面倒をみたり、子供の食事を用意したり、家事全般を引き受けて、学法や衆生を救う時間をほとんど取られてしまいました。最後には、ひどい病業に見舞われて入院し、命を落としてしまった人もいます。

 この状況を見て、修煉状態が違う同修達は皆、それぞれ違う理解を示しました。修煉者はどこにいても良い人でなければならず、子供のことを気にかけて助けるべきだと言う人もいれば、修煉と衆生を救う時間が限られている中で、それが旧勢力による妨害であっても気に留めることなく、本人に任せるべきと言う人もいます。議論の最後は、皆は自分が法理に則っていると思っていました。

 これらの修煉における具体的なことに関して、どうすれば真に法理に則って認識することができるのでしょうか?

 私の理解では、極端に走ってはいけないと思います。師父のおっしゃる「わたしは法の中で皆さんに、最大限に常人に符合しながら修煉するよう教えましたが、常人に符合するようにと話したことはありません。常人と同じになってしまうなら、まだ修煉者なのでしょうか?」[1]をきちんと理解すべきです。個人的に思うには、大法が常人社会で広く伝えられており、弟子としては最大限に常人に符合しながら修煉するようにと要求されているので、形式上、私たちは常人と同じようにあるべきです。具体的に言えば、子供たちが困難に遭えば私たちは助けるべきでしょうか? もちろん、助けるべきです。しかし、一部の同修はその際、完全に自分を常人と混同させ、修煉を怠り、精進の意志も次第に衰退し、しまいには大きな問題を引き起こしました。このような事例の発生は、周辺の法理がはっきりと分かっていない大法弟子を困惑させ、助けるべきかどうかも分からなくしてしまいました。

 大法弟子はどこにいても良い人として努めるべきですが、良い人になるのが目的ではなく、大法の指導により高い次元を目指すのが目的です。子供たちに困難があれば、父母として私たちは時間や精力があれば助けるべきです。そうでなければ、大法弟子が良い人であることをどのようにして周囲に見せることができますか? 子供たちは、大法を修める人が自分の修煉に没頭し、基本的な人情にも欠けていて、利己的だと思ってしまえば、どのようにして大法弟子の良さを示すことができるでしょうか? 大法弟子自身が法輪功真相であるなら、それをどのようにして衆生に示して、衆生を救う効果に繋げられるのでしょうか?

 しかし、子供たちを助ける際、自分を常人に混同させてはならず「私たちは修煉者であり、俗世にいながらも、念はこの世にありません」[2]と考えるべきです。どのようなときも、修煉が私たちの最大のことです。子供たちを手伝うにしても、彼ら自身に担うべき部分は担わせ、彼らの奴隷になってはなおさらダメです。大法の慈悲と威厳を同時に体現すべきだと思います。常人の情に絡めとられないように注意しながら、利己心を取り除くべきです。こうすれば、「最大限に常人に符合しながら修煉する」ことであり、常人に符合していないのです。

 実際、修煉の中で遭遇する事柄自体が問題ではなく、その事に臨む私たちの思想の根源を考えるべきです。一部の高齢の大法弟子は子供への情を放下せず「常人に符合しながら修煉する」を言い訳にしています。一部の人は私心があるために、子供を手伝えば学法の時間が取られてしまい、そのすべてを妨害として認識しています。どちらも極端に走っていて、法理に対する理解が足りず、邪悪に隙を乗じられやすいと思います。

 また、一部の同修は大法弟子が経営する会社に勤務しながら、仕事をまともにこなさず「自分は仕事をしに来たのではなく、修煉しに来た」と、いかにも理に適っているように言っていますが、仕事は仕事です。たとえそれが大法弟子の会社であっても、大法弟子が海外で立ちあげたメディアの会社であっても、それは常人の仕事であり、私たちは修煉者の心構えで取り組むべきです。それらの仕事を処理する過程において、随所に私たちが向上できる要素が含まれています。

 一部の若い大法弟子は生活が困窮していると言いながらも就職せず、他人からの救済で生活を送り、毎日ただ大法が不法に迫害されている真相のビラを配り、大法の仕事を口実にして自分の執着を覆い隠しています。ビラ配りも重要ですが、大法弟子が自分の修煉の道を正しく歩むことはもっと重要だと思います。

 大法弟子は未来のためにもっとも正しい道を残さなければなりません。正法修煉が今日に至り、私たちの歩める道は非常に狭く、残りの旧勢力の要素もいまだ虎視眈々と私たちを狙っており、少しのズレも許しません。

 真に法をよく学び、正法修煉の最後の道をきちんと歩みましょう。最後に、師父の説法を引用し、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。 「わたしは皆さんに法の荘厳さ、神聖さを教えた目的は、皆さんの法に対する困惑、誤解を取り除くためなのです」[3]

 個人的な浅い認識ですが、妥当でない部分があれば慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇五年マンハッタン国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「道法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/14/331303.html)