文/中国・黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2016年9月11日】
尊敬する師父、こんにちは!
全世界の同修の皆さん、こんにちは!
2010年から2013年まで、2度立て続けに中国共産党の労働教養所に不当に拘禁され、労働教養所にまる29カ月間拘禁されました。師父の慈悲なるご加護の下で、法輪大法の法理の巨大なエネルギーによって、この弱弱しい女子は強暴な相手を恐れず、強靭で不屈になりました。ここでは、労働教養所における迫害に立ち向かう経験を書いて師父にご報告するとともに、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。
師父が恐れの要素を取り除いてくださった
労働教養所側は、法輪功を侮辱する言葉を暗記するよう要求し、それは朝食前と就寝前に行われました。「自分が労働教養を受けるべき囚人ではないので、法輪功を侮辱する言葉を暗記すべきではない」ことを大法弟子たちは皆知っていましたが、中国共産党の迫害に面してどうしようもなく従ってしまい、ある同修はわざと言葉を濁しながら暗記しましたが、警官は繰り返しその同修に暗記させましたので、その同修の心の中の苦しみがよくわかりました。また、ある同修は心臓病の症状が重く、警官はその同修を動かそうとはしませんでしたが、毎日のように「刑期を延ばすぞ」と脅していました。また、60歳代の女性の同修は「暗記しない!」と言ったので、警官たちに激しく罵られ、罰として夜半まで立たされました。このような状況を見て、隊長に真相を伝えこの迫害形式を解体しようと私は決心しました。中国共産党にコントロールされた警官らは、真相を聞いた後「どうしようもない、これは所内での決まりだ、お前が服従しなくても、我々には関係のないことだ」と言いました。
スタンガンでの電気ショックや、しゃがまされる罰、口汚い罵り、辱め等々のこれらチラシの中でしか見たことがない残酷な手段が、なんの苦労も知らない中で育った若い女性の体に加えられました。2004年に修煉を始めた私は、以前は自分が新しい修煉者だといつも思っていましたが、この時、自分が成熟すべきであり、なぜなら正法時期の大法弟子であるからだということに気づきました。「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[1]という師父の法は私の全身をエネルギーで満たしました。スタンガンのバチバチという音の中で、「大法弟子」という称号の神聖さを悟りました。
労働教養所の管理層に面会し、警官らの悪行を暴露することを要求しましたが、労働教養所の全てのリーダーは私に会わず、なぜなら隊長がいつも私を隠してしまうからでした。私は断食で抵抗し所長への面会を要求しましたが、警官は私1人を小さな事務所に入れ、絶え間なく侮辱し、罵り、同修と受刑者の前で私のことを悪しざまに罵りました。
私は意志が薄弱になり、恐怖心が湧きあがって来た時、夢の中で師父が教えてくださり、夢の中で大きな手が見え、指には「一度恐れればすべてのことが恐ろしくなり、恐れなければ邪悪は解体する」と書かれていました。とてもはっきりとわかり、私の意志はなおさら強くなりました。師父のご加持の下、私たちは最終的に中国共産党に勝ち、法輪功を侮辱する言葉を暗記させるという形式を取り去りました。
これ以降、私の細胞の中に、恐れの要素が生じたことはない、と感じています。
正々堂々とした大法弟子になる
労働教養所は名札を付ける、週の日記を書かせる、体操させる、授業を受けさせる、宿題をやらせる、強制労働などの各種の方式を用いて大法弟子の意思に打撃を与えました。はじめ、私は法を理解しておらず、わからないまま正々堂々と否定し、たとえば、事実を書くにあたって、労働教養所の悪事の事実を書くと、警官らが怒りだしたので、「私が書いたものはすべて事実です。事実とはまさしく事実であるべきで、あなたたちが満足する内容を私に書かせようと思っても、私はそれに従わないし、もし書いたとしてもそれは私が書いたものではありません」と言いました。体操の時、気分が悪いからできませんと言い、宿題をするにあたっても、まったく授業に出ておらず、うその内容について書けませんと、いつも言いました。
しばらくして、私は「皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[2]という師父の法を得ました。
この法は私の血液に溶け込み、体中にエネルギーが充満し、二度と常人の言葉を用いて言い逃れはせず、警官らに「私は大法弟子で、宇宙の中で最も正の生命ですから、ここでの一切のことは、私とは無関係です」と厳しく告げました。
所長が私に話をしに来て「授業に出ない理由は理解したが、体操は体を鍛えるためのもので、まさか体操まで迫害だと言わないだろうね?」と言いました。そこで私は署長に「修煉してから、五式の功法以外、いかなる有形の動作も私は煉りません」と伝えました。すると、私に仕事をさせるために、所長は私の目の前で鍬を持って雪を掘り始め、隊長や警官らも雪を掘りながら私に皮肉を言いました。私は所長たちの言うことに影響されず、そこに立ったまま法を暗唱しました。すると所長たちは受刑者を扇動して私への嫌がらせに、私の代わりに働いているかのように受刑者たちに思わせました。すると受刑者たちは、所長たちの前で私を罵りましたが、「我々はあなたに敬服していますよ。所長たちは最低だが、我々にはいい考えが浮かばないので反抗できないだけです」と後ろからこっそりと私に言いました。
隊長は私を外で凍えさせるために、外で直立させましたが、私は笑みを浮かべながら法を暗唱しました。今、東北地方は三九天(訳注:冬至のあとの3番目の9日間で厳寒の候)で、気温は零下30度前後まで下がりましたが、師父のご加護で、毎日2時間以上立っていても私は無事でした。そこで所長たちは罰として私をさらに立たせ続け、毎日朝から晩まで壁の隅で立たせました。そこで私は站樁の動作として両手を下腹部のところで丸く抱え、まる10日間立っていました。10日間立たせても、私に何の変化もないのを見て、所長たちは「あなたの站樁功は本当にすごい」と感心しました。そして私を小さい椅子に座らせたので、足を重ね腰をまっすぐにのばして、そこで静功をしました。
警官らは激怒し、私を階上に呼び、室内を掃除してきれいにするように命令し「お前はよい人間になるのではないのか? お前が使ったトイレ、お前がいた場所を他の人が掃除してきれいにしているのにやらず、これでお前のどこがよい人なのか?」と怒りました。そこで私はその警官らに「玄奘の善良さは人がみな知っていることで、玄奘は妖怪の洞窟にとらえられたが、まさか玄奘が口達者であるとは思わなかった。玄奘は『私がトイレを掃除しましょう、きれいに掃除しましょう』と言いました。しかし、やはりそんなことはできませんので、玄奘は妖怪を打ち負かして魔を払い、継続して西天に経を取りに行こうと考えました。この事からもわかるように、私が掃除しないだけでなく、大法弟子は誰も掃除などしません」と伝えました。すると隊長はスタンガンで私を脅して掃除させようとしたので、隊長に「これは法理上でわかった事ですが、誰も人を変えることはできず、隊長のやり方は自分自身の罪悪を増やすだけで、私に対して何の作用も働きません」と言うと、隊長はますます怒って私の手を数回感電させ、私を跪(ひざまづ)かせようとしたので、笑いながら「これは迫害ですから、将来、隊長がこの迫害を償還する方法はありませんよ」と言うと、なすすべがなくなり、すごすごとここを立ち去って行きました。
中国共産党の手練手管(訳注:てれんてくだとは、思うままに人を操り騙す方法や技術、及び、あの手この手で巧みに人をだます手段や方法のこと )は使い果たされ、それ以降、ここでの一切は私とは関係がなくなり、点呼の時も含めて、私は毎日座って黙々と法を暗記し、正念を発しました。
同修のことはすなわち私のことなので、絶対に袖手傍観することはできない
同修が難に遭えば、その原因が何であろうと、警官らが同修を責め立て迫害しているのを見ているのではなく、同修を守るために前へ進み出ました。ある警官は「お前は自分がサンタマリアだと思って、世界を救おうと思っているのか!」と言い、また、ある警官は「お前は自分がめんどりであるかのように同修を保護しようとしているか、彼女が大法弟子のように振る舞っているかどうかを見るべきではないのか?」と言いました。しかし私は警官らの言ったことに影響されず「彼女が大法弟子の身分でここに現れたのなら、中国共産党が彼女を迫害することは許されず、なぜなら私たちは一体であり、同修のことはすなわち私のことでもある」という確固とした一念がありました。
労働教養所に着いた時、警官は私を小さな事務所に拘留し、受刑者に私を見はらせました。ある日の夜9時過ぎ、みんなが寝てしまった後、1階から甲高い叫び声が聞こえ、実はその日、同修が不当に連行されてきていたので「警官らが同修を迫害している」と私は直感しました。そこで「1階から悲鳴が聞こえた」と叫び、外に向かって飛び出ました。監視役の受刑者は私を引っ張り、隊長はスタンガンを持って私を制止しようとしたので、隊長に「同修への迫害に対して絶対に袖手傍観(注釈:しゅうしゅぼうかんとは、手をこまねいて、ただ何もせずにそばでみていること)することはできません」と伝えました。隊長は笑いながら、私を階下へ連れて行くと、階下でテレビを見ていたらしく、悲鳴はテレビの番組から出たものでした。
ある時、同修が労働教養所の規則を暗記せず、隊長に耳を殴られたので、私が制止しに駆け出して行くと、隊長が「今度は、何が見えたんだ?」と言い、「隊長、今、殴りましたね」。「いったいお前のどの目が見たというのか?」と聞くので、「私の両目が見ました、監視員も見ましたし、天も見ています」。すると隊長は「見たからといってどうするというんだ?」。「隊長の行為を暴露し、暴力をとめます」と言うと、隊長が笑い出し、それを見て、隊長の気質が急に変わったように私には見えました。
ある同修は40~50歳で、おとなしいながらも、力を入れて警官に言われた仕事をこなしていましたが、ある20代の若い詐欺犯は、警官に協力していつも同修を罵りこづいていました。ある日、トイレで若い詐欺犯が同修を殴り、同修は殴られて出血しましたが声を出しませんでした。私はすぐに詐欺犯を制止し、警官らが受刑者を放任して悪事を行っていることを、所長に告ました。その後、その若い詐欺犯も真相を理解し、警官に協力して迫害を行うことがなくなりました。
ある同修が出所することになりましたが、刑期の10日間の延長が告げられました。そこで同修が絶食して反抗したので、私もすぐに協力しました。次の日、同修は食事をとりましたが、私は最後までやり抜きました。労働教養所の多くのリーダーと警官らが、いろいろ手を尽くして私と話をし、同修に私を説得させようとしましたが、最後には私を独房に入れて迫害し、鉄の檻に入れ、鉄の椅子に座らせ、警官らは徹底的に私を打ち負かして「三書(保証書・決裂書・批判書)」を書かせようとしました。しかし、私は生死を放下する意志を持ち、最終的に警官らを屈服させ、まる7日間後、警官らは鉄の椅子から下りてくるよう私に頼んできました。その後、警官らは私に対して何も要求してこなくなりました。
大法弟子の品行に人々が絶賛した
師父のご加護の下で、私は強く迫害に反対し、法を実証し、中国共産党のいかなる要求にも協力せず、中国共産党の計画を全て解体させると、大法の不思議さと素晴らしさが現れ、労働教養所の衆生は大法弟子に対して心から敬服しました。
私が大変純粋で善良で心はいつも他人のことを考えていて、まるでヒョウタンのような金剛だ、とある隊長が所長に言いました。
ある警官が受刑者たちのトラブルを解決しようとしましたが、受刑者たちはお互いに一歩も引かなかったので、私に「あなたはもっとも公正な人だと思うので、話を聞いてやってくれないか」と頼んできました。
ある詐欺犯が2本のキュウリの中から1本を選ぼうとした時「どちらがいいでしょうか?」と私に聞いてきました。そこで私は「どちらでもいいと思いますよ」と言うと、詐欺犯が「あなたならどちらを取りますか」と聞くので、「私ならこっちを取ります」と言うと、詐欺犯は「それなら私はもう1本の方を取ります」と言いました。そこで私は「どうしてですか?」と尋ねると、詐欺犯は「あなたはいつも良い方を人にあげるからです」と答えました。
この詐欺犯はある日、不注意で梅毒持ちの受刑者に触ってしまい、詐欺犯は急いで私に触って来て、私の服で手をぬぐいながら「早く力をください、早くウイルスを駆除してください」と私に頼みました。
ある50代の窃盗犯は、風呂場で私の背中を流しながら「あなたたちは最も高尚な人たちなので、背中を流させてもらうことは、大変光栄です」と言いました。
私が出所して家に帰る時、ある警官は家で煮込んできた卵をこっそりと私にくれ、ある警官は「これからは、大法の本をしっかり読めますね・・・」と言いました。
書かなければならないことが、あまりにもたくさんあり、今日ここまで整理しましたが、法に合致しない所があれば、同修のご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
[2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)