文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2016年11月13日】江沢民グループは1999年7月から国家メディアを利用し、法輪功を誹謗中傷しました。大法弟子として世の人々に迫害の真相を伝え、嘘偽りを暴露し、衆生を済度することは責任であり、師父から与えられた重大な使命でもあります。私の地元では2001年から現在まで、法輪功が迫害される真相を伝える活動や法を実証し、三退させる活動など、個人から地域全体に一体化し、法を実証する中で大きな作用を果たしました。
邪悪が暴れ狂っていた時期、現地の大法弟子が不当に逮捕される事件が度々起こりました。師父は「もしあなたの正念が強ければ、邪悪が解体されます」[1]とおっしゃいました。私たちは邪悪を恐れることなく、動じることもありません。いつも通りに法を実証し、長年に渡り邪悪による大きな妨害もありませんでした。以下は同修が法を実証する時のほんの一部の心得であり、不足があればご指摘をお願いします。
一、個人から全体への変化
迫害の当初、中国共産党のデマを暴露するため、初めは1人あるいは2人で一緒に大法の真相小冊子や迫害に関するビラを配っていました。当時、世間の人々は深くデマを信じ込んでいたため、私たちを敵視し、自分の家に小冊子を入れられることを恐れていました。
あるとき、2人の同修が大法の資料を配り、1人は恐怖心を持っていましたが、もう1人は堂々としていました。堂々としていた同修は、法輪功が迫害された真実を話すとき、多くの人々が周りを囲むように近づき、真剣に聞いていました。それに影響され、恐怖心を持っていた同修もだんだんと恐怖心を無くしました。
私たちは江沢民グループを恐れず、迫害後も学法チームの形を守りました。法理の理解を切磋琢磨し、常人の雑談などを一切しませんでした。ビラ配りのことについて交流したとき、同修たちは何人かで一緒に配るほうが効果的だと考え、それから2人または3人で協力し合いながら、ビラを配るようにしました。当時は環境によるプレッシャーが大きかったのです。同修はしばしば不当に捕まえられ、有罪判決を下され、迫害されて死に至ることもありました。真相を伝える活動に参加しなくなる同修もいました。当時はまだ協調人を立てる概念がなく、出て来なくなった同修がいたら、他の同修は彼の家を訪ね、一緒に真相を伝える活動をするように誘いました。徐々に地域のすべての同修が大法の真相を伝える活動に参加し、個人から全体へと変わりました。
私たちは協力し合い、同じ資料を繰り返し配ることを避けました。大法の資源を無駄にせず、空白を出さないため、地区ごとに配る資料を同修に割り当てました。現地で配り終えると私たちは山川越えて、遠く離れた地区に配りに行きました。
資料を配るとき私たちはいつも一緒に行動し、1人も見落とさぬように気をつけました。あるとき、私たちが辺鄙な所へ行ったとき、同修がさきに資料を配り終え、長い時間待ってもだれも見当たらないため、皆が先に帰ったと思い、1人で帰ってしまいました。同修たちが約束の場所に集まったとき、1人足りないことに気づき、皆一緒にあたりを探し、警察署にまで尋ねました。その後の交流を通して、いかなるときも私たちは一体であり、行動するときは誰1人見落とさないようにしています。
さらに、私たちは交流を通して、防犯ドアが付いているマンションは出入りが難しいため、法輪功の真相資料が行き届いていないという現状を解決することを決めました。まず、マンションの下調べから始め、どのくらい資料が必要かを把握し、資料を配るときは、防犯ドアのあるマンションの住民の後を追って一緒に入りました。資料を配るときに、もし動揺する心が生じたら、心の中で「法輪大法は素晴らしい、衆生を救い済度する」と唱えました。マンションの団地は1時間足らずで全部配り終えました。
私たちはまたしばしば、地域の同修全体で一斉に行動します。十分な量の資料を用意し、地区を限定し、一斉に配れば、30分くらいで一通り配り終えます。
学法を通して私たちは以下のことを認識しました。資料点の同修は純粋な心で資料を作るべきで、資料を配る同修はノルマ達成の気持ちを持ってはならず、資料を配る同修は衆生を救い済度する心を持たなければならず、そうして初めて、衆生は喜んで資料を読んでくれます。
二、面と向かって大法の真相を伝える
同修は各学法チームで交流し、2001年から世の人々に面と向かって、大法の真相を伝えるようにすべきだと認識しました。最初は心の中にわだかまりがありました。知り合いに見られたくない同修は、知らない人に大法の真相を伝えたり、知らない人が怖い同修は、知り合いだけに伝えたり、外見や身なりで人を選んだり、人を選択する心が出てしまいました。こうなると心は純粋ではなくなり、真相を伝えるとき様々な妨害に遭いました。知らない人に密告されて捕まえられる危険や、知り合いに誤解され、隣近所に罵られたこともありました。
私たちは学法や交流を通して、すべての世の人々に大法の真相をわからせるべきだと考え、人を選ばずに大法の真相を伝えるようにしました。人を選択する心を放下できれば妨害もなくなりました。世のすべての人が救い済度される対象であり、人を見かけたら誰それ構わずに大法の真相を伝えました。朝市は人が大勢集まる場所であるため、私たちは朝市に行きました。当時はまだ「三退」がなく、世の人々に大法の素晴らしさや共産党のデマ、迫害の真実だけを伝えました。
最初はうまく話せませんでしたが、師父の加持により、縁のある人は次々と私たちの目の前に現れ、1人に伝え終えるとまた次の人がやって来て、絶え間なく世の人々に大法の真相を伝えました。それから同修たちはみな、上手に話せるようになりました。
「大法の徒真相を講ず 口中の利剣齊しく放つ 爛鬼の謊言を暴き出し、急いで救度して速く講ず」という師父のこの洪吟(二)の『快講』が発表され、学法の中で同修と交流し、もっと多くの世の人々が救い済度されるように、大法の真相を伝えるべきだと悟りました。師父のおっしゃる通りに行い、時間を大切にして面と向かって大法の真相を伝えました。
私たちは現地ではほぼ全地域で伝えたことがあり、市内に発展しようと思いました。当時の環境は邪悪がまだ暴れており、私たちはそれを恐れず、衆生を救い済度することだけに集中しました。まず、市内で小売業者に伝え、1日に24人も脱退させました。場所に限られず、どこの衆生もみな済度されるためにいるのだと感じ、それから毎日市内に行って大法の真相を伝えました。
私たちの学法の形式は毎日同修が各自で『轉法輪』を読み、学法チームで師父の各地の説法を読みました。学法してから交流すると、法理がより明白になり、正法の進展について行けるようになりました。私たちは学法すること、法を実証すること、衆生を済度することを第一に置き、個人のことを2番目に回しました。朝食を取った後真相を伝え、午後に学法し、学法が終わってから個人のことをするようにしていました。もし個人のことを優先すると、真相を伝える効果がよくありません。このような形式はいまでも固定されています。
大法の真相を伝える過程で、人心があると、伝える効果も聞く効果も良くありませんでした。純正な心を持ち、正念を強くすると効果は良く、邪悪を脅かす作用があり、伝えることもますます上達していきました。
三、騙された世の人々に侮辱される
私たちはしばしば江沢民グループに騙された人に殴られ、侮辱されました。そのとき私たちは韓信のことを思い出します。「韓信はなんといっても常人であるのに対して、われわれは修煉者で、われわれは彼よりもずっと上です。われわれの目標は、常人を超える次元に達し、さらに高い次元に向かって邁進することです」[3]と師父の説法に書かれているように、私たち修煉者は真・善・忍の基準に従わなければなりません。
あるとき、松葉杖を持っているお年寄りに大法の真相を伝えるとき、話しかけた瞬間に怒られて、杖で打たれそうになりました。またあるとき、3人の女性に真相を伝えようとしたら、1人の女性に殴られ、またビンタされたこともありました。私たちはこういう状況に遭遇しても気にせず、ただ人を救うことを念頭に置きました。
また、偽って大法の真相を聞こうとする人もいました。ある若い男性に真相を伝えるとき、男性はしばらく静かに聴いていましたが、警察証を見せられ、罵られてしまいました。
大法の真相を伝えるときは状態が良くないと、伝える効果も良くありません。うまく伝えられないときは、師父の説法に照らし合わせていました。「真相を伝え、法を実証する中で、皆さんが行なっている事が困難に遭ったとき、自分を調整してみて、正念を持って問題を考えれば、かなりの効果を得られるかもしれません」[4] 私たちはまず発正念をし、師父の説法を暗記して、自分の状態を整えてから真相を伝えると、世の人々に受け入れられ、効果が良くなりました。
また、しばしば通報されてしまう場合があり、私たちは神通力で食い止めます。通報しようとして携帯電話を出したときに「電話しないでください。通じません」というと、常人はいくらかけても電話がつながらなくなります。
同修が駅前である子どもを抱いている女性を見て、彼女に真相を伝えようとしたら、彼女は「あなた、頭がおかしいのではないの」と罵りましたが、同修は微笑みながら「私の頭は正常です。おかしくありませんよ」と答えました。
翌日同修は同じ場所でまたこの女性に出会い、彼女が同修を見つけると自ら「あなたは昨日の方ですか。昨日失礼な態度を取り、本当にすみませんでした」と謝ってきました。そして、同修と話し始め、今年60歳で、孫の世話をするために来ていました。彼女は大法の真相がわかり、三退し、感謝の意を表しました。
私は騙された世の人々に迫害の真相を伝えるとき、純粋な善念は、人々の真心を開かせることができると感じました。純真かつ純なる善を用いて大法の真相を伝えると、世の人々に受け入れられ、衆生を済度することができます。
四、真相を伝える過程は修煉の過程
真相を伝えるときは順風満帆ではなく、不純な心が少しでもあると、邪悪に隙を乗じられてしまいます。師父が私たちに按排した、神韻のCDを使って人を救うプロジェクトについては、新しく出来上がった大量のCDを持って都会へ出向き、面と向かって配っていました。はけがよかったため、歓喜心が生じ、ある男性が神韻のCDを受け取ったあと、警察に通報しました。同修は警察署に連れて行かれ、610弁公室の人も来ました。同修は大法の真相を伝えるべきだと考え、法輪功を迫害していた薄煕来などが懲罰され、善には善を、悪には悪の理を話し、大法の素晴らしさを伝え、1時間たらずで正念をもって警察署を出ることができました。
師父は「われわれが修煉するにあたって、煉功者として放棄しなければならない心があまりにも多いのです。顕示心や嫉妬心、闘争心、歓喜心など、さまざまな執着心がありますが、それらはみな放棄しなければなりません」[3]とおっしゃいました。学法の中で私たちは交流し、神韻のCDを配るときに歓喜心が現れたと気づき、魔難は人心がもたらした結果であり、大法の真相を伝える過程は、執着心を無くす過程でもあると悟りました。
五、被害者である検査員にも真相を伝える
ある親子の同修は、2008年に警察署支局近くに飲食店を開き、多くのお客を寄せました。親子は店で大法の真相を伝え、1人が発正念し、もう1人がお客さんに伝えました。すべての客が済度されるべき縁のある人と見なし、来た客はほとんど三退しました。
店舗で真相を伝えるときに人心もあり、知らずに警察官に真相を伝えたら、その警察官は真相を聞いた後、警察署ヘ帰って行きました。この人はもしやと同修はいやな予感がしました。きっと告発するに違いない。念を変えて修煉者は師父が見守ってくださっていると思い、師父の法を思い出しました。「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[3]
支局の警察官はよくお店に来ました。彼らに大法の真相を伝えると、皆喜んで三退しました。三退した人の中には、巡査、政治思想工作員、刑事警官、運転手などがいました。あるとき、大法の真相がわかった警察官が店に来て、ひそかに同修の親子に真相を伝えるときは、くれぐれも気をつけるようにと教えてくれました。
またある検察官は大法の真相を聞き、喜んで三退し、安全に注意するようにと同修親子に再三、伝えました。
現地の最大の市場で、ある610弁公室の人が身分を明かしましたが、私たちは恐れず、彼に大法の真相をわからせ、三退させました。最後に彼に迫害を止めれば善果が得られることを伝えました。市場の近くで、またある刑事に出会いました。彼は「もう私に言わなくていい、すでにわかっている。パトカーに乗っていないから、私の仕事がわからないだろうが刑事だ」と言いました。彼が大法のことをわかっているので、私たちは祝福のことばを送りました。
あるとき、若い男性に大法の真相を伝えると、彼は「警察官だ。教えてくれてありがとう」と言いました。
私はしっかり学法できている上で真相を伝え、いかなる人にも礼儀正しく、話すときは穏やかに呼びかけ、正しい心の状態を保ち、はっきり世の人々に大法の真相をわからせることができれば、良い効果が得られます。心の状態が良くないと効果も下がります。
衆生は救われることを願っており、多くの真相がわかった人々は、私たちに何度もお辞儀をして、大変感謝していました。
私は大法が広まる近い未来に、その威徳は必ず「人類は、大法のこの世での現われに対して、然るべき敬虔と尊重を体現することができれば、・・・」[5]という状態になると感じています。
六、人を救う緊迫性
ある年配の同修が、他の同修が毎日市の中心地にいってたくさんの人を三退できるのを見て、心の中で焦り、同修と一緒に行きたくても、他人の足手まといになるのではないかと思い、自分で行くことに決めました。心の中で、他の人は1日に17人も三退させることができているから、自分も17人、三退させようと思いました。帰ってから数えるとその日はちょうど17人、三退させることができました。きっと師父のおかげに違いありません。それからは風雨にかかわらず、市の中心地に行きました。冬は雪で地面が鏡のように凍っていて大変滑り易く、年配の同修にとって大変困難ですが、同修は心の中で「私は神であり、神が道を渡るのです」という一念が生じ、すると順調に滑ることなく道路を渡ることができました。
ある年配の同修は長年その連れ合いを介護し、なかなか迫害の真相を伝える時間がありません。しかし、同修は時間を大切にし、朝4時に家を出て大法の真相を伝えたり、三退させたりして、1時間に何人も三退させました。昼間に連れ合いと一緒に散歩するときも、大法の真相を伝えました。連れ合いの世話、家事、学法、煉功、真相伝えなどに時間を費やし、1日に2、3時間しか睡眠がとれなかったのですが、ある同修が計算したら、この同修はここ数年で真相を伝えた人や三退させた人が、なんと3万人にも及びました。
ある同修は病院に勤務しており、仕事場は家から離れているが、徒歩で通勤しています。通勤の途中で大法の真相を伝えたり、三退させました。患者は済度されるべき対象と見なし、自分の担当する部門に患者がいないときは、他の部門へ行ってまで患者に真相を話し、昼ごはんすら摂れないときも多々ありました。患者から謝礼を贈られたときは、いつも丁重に断りました。大法を修めてから病がなく、会社の健康診断は親族に譲りました。定年退職してからも人を救うことに専念しています。
現地では小さな卸売り業者が朝早くから品物を搬入しています。冬の4、5時にはまだ日が昇っておらず、非常に寒い中、彼らに大法の真相を伝えました。師父の加持の下、全身がぽかぽかして、天気や休日に影響されることなく真相を伝え続けています。
またさまざまな形を利用して、買い物をするときにも売り手に真相を伝えました。
現地でほとんど伝え終えたら、離れた田舎に行って、農作業の時期に手伝いながら大法の真相を伝えました。
ある工場では大工さんが多くいて、同修は何度も彼らに大法の真相を伝えました。ほとんどの人が三退し、毎回行くときは皆喜んで法輪功の資料を受け取りました。
七、世人に大法の素晴らしさを伝える
大法の素晴らしさを世の人々に伝えることは、すべての大法弟子の願いです。ある同修は駅前で足の不自由な女性に道を聞かれ、その女性は市の病院で看病するつもりが、道を間違えてしまいました。同修は彼女に道案内しながら雑談しました。女性は目の疾病で病院へ行くといい、同修は彼女に誠意を持って「法輪大法は素晴らしい」と唱えるように勧めました。女性がその通りに試してみると、驚いた声で「あれ! 私の足の痛みが消え、目もだいぶ良くなりました! 法輪大法は素晴らしいと唱えるだけで病気が治るなんて、法輪功は本当に不思議ですね!」と言いました。同修が「まだ病院へ行かれますか」と尋ねると、女性は「親戚が病院で待っているので、親戚にもう看病しなくていいことを伝えて一緒に帰ります! 帰ってからみんなに法輪大法は素晴らしいことを伝えます!」と嬉しそうに言いました。
早春のある日、私たちはチラシを配ることを約束したら、急に雨が降り出しました。初春のため、まだ雪が解けていないところがあり、雨が降ると地面が滑り易くなりました。同修たちは雨を気にせず、予定の場所で資料を配っていました。足もとの悪い中、同修はこけたり、雨に濡れたり、いくら苦をなめても、衆生に大法の真相を伝えることを怠けませんでした。
正法の進展が進むにつれて、衆生を済度する緊迫性を感じています。私たちはもともと資料配布、面と向かって迫害の真相を伝えることに加え、携帯電話で迫害の真相を伝えるプロジェクトを増やしました。私たちの区には1人に1台、あるいは何台かの携帯電話を持ち、午前に出かけて面と向かって真相を伝えると同時に、随時、持ち歩いている携帯電話を使い自動音声を利用して、迫害の真相を伝えました。午後は学法して、夕飯の後、自動音声から三退したリストを選び抜き、音声受信した時間の長さによってさらに携帯電話にかけ、人を救うことに力を入れ、時間を大事にしています。
正法の進展が早まるにつれて、人を救う緊迫性をますます感じています。
以上は、すべて師父を信じている大法弟子ができることであり、師父が我々にこのうえない栄誉な称号「法を正す時期の大法弟子」をお与えになり、限られた時間で、我々はさらに精進し願いを叶え、全体で協力し合い、向上し合って、師父の済度を台無しにしないように勇猛精進いたします!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「快講」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[5] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」
[6] 李洪志師父の著作:『北米での巡回説法』