吉林省の鄧麗娟さん 懲役3年の判決を
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 【明慧日本2017年3月23日】吉林省楡樹市の法輪功学習者・鄧麗娟さんは今年1月24日、敦化市裁判所で懲役3年の不当な判決を言い渡された。鄧さんはそれを不服とし、その場で上訴した。

 昨年9月21日午前、敦化市裁判所は延吉竜景裁判所で鄧さんに対する裁判を行った。法廷で鄧さんは「私の弁護士は来ましたか?」と尋ねると、裁判官・王翠玲は「あなたの弁護士は今、弁護する意思がないようだ」と答えた。裁判の前に鄧さんの家族が、裁判官を訪ね「私の家はお金を出して弁護士に依頼したのに、なぜ弁護させないのですか?」と言い争った際に、司法官は「これは610弁公室の決定で、我々も仕方がない」と答えた。家族はまた敦化市610弁公室を訪ねた。610弁公室は「これが省の決定だ、北京の弁護士の介入は許されない」と言ったが、実は、司法官が法廷で公然と嘘をついたのである。

 裁判官が「これからも法輪功を学ぶのか」と尋ねると、鄧さんは「私は以前にリンパ癌を患っていたが、法輪功を学んでから治りました」と答えた。

酷刑演示:老虎凳
拷問のイメージ図:トラの椅子

 鄧さんは連行された当時、敦化国保大隊で拷問を受けた様子を述べた。「その時、私は四六時中寝ることを許されず、トラの椅子に座ることを強要され、少しでも目をつぶると冷たい水をかけられ、多くの髪の毛を力いっぱい引き抜かれました。新しく生えてきた髪はすべて白髪でした」 「留置場に送られた時、身体検査をされた際に、リンパ癌を患ったことがあると判明され、不合格と断られたが、送り側の警官はこれをはっきりと言わず、こっそりとしゃべったため、留置場はすぐに私を受け入れました」

中共酷刑示意图:浇凉水
拷問のイメージ図:極寒に、外で冷水をかけられる

 鄧さんは法輪功を学んでから、僅か二十数日目で病気がいつの間にか消え、家族3人が幸せの中にいた。しかし、1999年7.20、江沢民グループが法輪功を迫害した後、鄧さんと夫の鄭福祥さんは正義の声をあげたため、残酷な迫害を受けた。鄭さんは長春の葦子溝、奮進、朝陽溝の3箇所の労働教養所で、精神的にも肉体的にも苦しみを嘗め尽くした。2004年4月7日、鄭さんは迫害により死亡した。その時の鄧さんは放浪生活を余儀なくされており、夫と最後まで会うことができなかった。13歳の息子は生きるためにアルバイトを始め飢えをしのいでいたが、その後、交通事故に遭い死亡した。

 2015年8月4日、鄧さんは敦化市のある団地で法輪功の迫害の真相チラシを配布していた時、同市の警官に連行された。昨年1月、裁判所と弁護士は開廷する時間について話し合った時、裁判所側の同意を得た上で、弁護士が都合上で裁判の時間を少し延長した。その後、弁護士は裁判所と連絡した際、裁判所は地元の弁護士ではないとの理由で、弁護士の出廷を阻止した。

 昨年3月17日、鄧さんの家族は敦化裁判所に行き事情を尋ねた際、裁判官・王翠玲は「自分の一存で決められず、弁護士が自ら弁護を放棄した。しかも鄧さんの同意を得ている」と回答した。この話を聞いた鄧さんの父親は「私達は昨日弁護士と連絡したばかりで、弁護士は退出などの話に一切言及しなかった。私達が依頼した弁護士を、なぜあなた方が指定しなければならないのですか?」と聞くと、王翠玲は「自分1人で決められることではなく、上の吉林省政法委610弁公室が決めたことだ」と言った。

 弁護士を依頼することは、法律が当事者と家族に与えた基本的な権利である。しかし、司法官は法律に従って堂々と対応する勇気がなく、法律以外の上層部の組織にコントロールされ、中国の法律は名ばかりの飾り物となり、善良な国民を迫害する道具と成り下がっている。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/28/343669.html)