自分を修め、隔たりを無くす
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文╱中国の大法弟子 福蓮

 【明慧日本2017年4月26日】ここ数年、自分が精進していないため旧勢力に隙に乗じられ、共産党に操られ国保大隊は、私が多くの同修を裏切ったとデマを飛ばし、私は「ユダ」のレッテルを貼られました。共産党はその手口で地元の同修が形成した全体を切り崩し、大法弟子が行う真相伝え、衆生救いを妨害しました。もちろん、私は旧勢力のこのような按排を決して認めず、断固として師父が手配された道を歩もうとしました。

 最初、これらのデマを耳にした時、私はとても悔しくて心が乱れ、あれこれ思い悩みました。しかし、師父の法が頭に浮かびました。師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[1]「トラブルに遭ったら、自分が間違ったかどうかに関わらず、このことに関して私に間違ったところがあるのか、本当に自分が間違ったのではないかと自らを考え、皆このように考え、最初の念は自らを考え、問題を考えているのです。このようにしない人は本当の大法修煉者ではありません。これは修煉上の最も有効な手段であり、大法弟子が修煉する際の特徴です」[2]、「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」[3]と説かれました。

 地元では、年配の同修が多くて、私は若い学習者として法輪功の資料の制作を担当していました。技術的に少し突破すれば、歓喜心、顕示心、依頼心、人に言われたくない心が生まれ、さらに、真相を伝える時の恐れる心、常人の夫の妨害に対する恐れる心、人の功績を横取りしようとする心、安逸心、気が短くそそっかしい性格、さらに、人に理解してほしい、庇ってほしいなどの多くの人心があることに気づきました。これらの深く隠れた人心を見つけてから、私は頻繁に強い正念を発して、自分の空間からそれらのものを一掃し、正念を持って正しく行えるよう、師父にご加持をお願いしました。最後に、私は旧勢力が無理矢理に押しつけて来た正しくない要素、汚い物質を徹底的に否定し、仮相に妨害されないよう、大法と大法弟子が恥をかかないよう、師父の慈悲なるご済度に背かないよう、自らの行動で自分の潔白を証明しようと決意しました。

 それからの私は第一線に出かけ、衆生と面と向かって真相を伝えることを始めました。最初は口がなかなか開きませんでしたが、今、縁のある人に会えば、久しぶりに会った親族のように話が出来るようになりました。最初は世間の人に誤解され、甚だしきに至っては罵られましたが、今、真相を知った縁のある人から「安全に気をつけてくださいね」と親切に注意を促され、これからも連絡を取り合いたいから電話番号を教えて欲しいという人もいました。嬉しいことに、毎日、心からの「ありがとう」の言葉をいただき、この「ありがとう」の言葉は、1日奔走している私の最高の励みになりました。

 自らの行動で自分が「ユダ」ではないと実証しようと決めた瞬間から、師父は学法グループの同修の口を借りて私を啓発して下さいました。私は他の同修より経済的に少し余裕があるため、邪悪は私を孤立させようとして、私と地元の同修の関係を悪化させようとしていることに気付かせて下さいました。そして、同修達も「第三者がトラブルに会っても、自分を探さなければならない。なぜ自分にその場面を見せたかを考えなければならない」と注意を促してくれました。私達は力を合わせて、大法の中で着実に修め、お互いに協力し、旧勢力の邪悪の仕業を打破し、妨害されないように一致団結した時、その隔たりが一気に崩れ、地元の大法弟子の全体に覆われていた黒雲が散り、隔たりが取り除かれました。私は外で真相を伝える時、いつも同修達も 「相継いでやって来て」[4]という状況になりました。

 この信用を取り戻す過程では、私は師尊がおっしゃった「ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」[5]を、より一層理解しました。考えて見れば、もしこのような試練がなければ、今の私はもしかしたらまだ大法の中でいい加減に行っており、あるいはそれらことを常人の揉め事として処理していたかもしれません。そうすれば、いつになったら人間から脱皮できるだろうかと、改めて修煉の厳粛さを認識させられました。

 ここで、毎回、毎回、ご啓示とご加護をしてくださる師父に感謝致します。そして同修達の全体的な協力と無私の助けに感謝します。さらに、私にトラブルを作ってくれた同修に感謝します。これらの難関があったからこそ、きょうの私がいるのです。

 次元に限りがありますので、法に則っていない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。   

 合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「悟」
 [5] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/16/345665.html)