極めて珍しいショートメールが届いた
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文╱中国の大法弟子口述 同修筆記

 【明慧日本2017年6月3日】ここで、私の修煉体得を皆さんと交流したいと思います。

 大法を修めて九死に一生を得た

 私は小さい時から体が弱く病気がちで、何をしてもやる気が起きませんでした。2009年の下半期、私には深刻な狭心症の症状が現れ、連続して40日間胸が痛くて、ご飯が喉を通らず、しっかり立てず、大雪の真冬に二度も入院しました。しかし、治療しても病状は好転せず、いつ死んでもおかしくない状態でした。

 ある日、三番目の妹が病院に見舞いに来て、「お兄さん、こんなに長く病気に苦しめられ、お金も随分かけたのに、まったく治っていないじゃないの。私について法輪功を習ったらどう?」と言いました。三番目の妹は直腸癌を患ったことがあり、法輪功を煉功して治ったのは地元の多くの人が知っていました。妹の話を聞くと、私もその通りだと思い、二つ返事で承諾しました。

 妹は私を彼女の家につれていき、そして、「まず『轉法輪』を読んでください。できれば最初の『論語』を暗唱して下さいね」と言いました。その日の昼頃、私は真剣に『轉法輪』の前の『論語』を暗唱しました。『論語』を暗唱したら、とても不思議なことに、以前のいろんな辛い症状が消えてなくなり、気持ちがますますよくなって、なんとその日にお粥を食べられるようになりました。法輪功は本当に不思議で仕方ありません! その日は永遠に忘れられない日になりました。2009年の旧暦の10月11日に私は大法修煉の道を歩み始めました。

 その後の数日間、私は法を習いながら、妹に功法を教えてもらいました。そして、体が日に日に元気になり、1週間後、病気は全快しました。

 師父は交通事故から私を守って下さった

 2009年旧暦の12月30日の夕方、私は自転車に乗って道路を渡ろうとした時、1台の荷物を運ぶ電気三輪車が猛スピートで走ってきて、私にぶつかりました。私は電気三輪車の下敷きになり、自転車の前輪も潰れました。人々に電気三輪車の下から出された時、私は頭がふらふらして、そして、血を吐き、頭に大きなこぶが出来て、左足は青紫色になってパンパンと腫れていました。皆は「早く病院に送ろう」と言いました。妹も駆けつけて来て、「大丈夫です。兄はきっと元気になりますから、病院に送らなくてもいいです」と強く言いました。そこで、皆は私をスクーターで実家に送りました。

 家に帰った後、家族は「やはり病院で検査したほうがいい」と言って、四番目の妹婿は無理矢理に私を病院に送りました。500元を払って検査をしましたが、医者から「大したことはないですよ」と言われました。師父は私を守って下さいました。

 当時、法を得てまもなくで、悟性も悪く、立ち上がるのが難しかったため、私は法だけを学び、功を煉りませんでした。旧暦の1月1日、1人の同修が家にやって来て、私と交流し、そして煉功を続けるべきだと言いました。私は試しに煉功を始めました。煉功した時、体中が痛くて、特に二式の功法を練る時、いつも倒れそうになるため、私はタンスに寄りかかって煉功を続け、心の中で師父が『轉法輪』の中でおっしゃった「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」と繰り返して暗唱し、激痛に耐えて煉功を続けました。

 1週間後、頭のこぶが消え、すべては回復しました。

 極めて珍しいショートメールが届いた

 私は農家で80代の母親を養っており、年がら年中忙しく働いていても、投資を除けば収入はほとんどゼロなのです。親子2人の普段の生活はとても簡単で、食べるのも着るのも質素で、私はそれらのことをまったく気にかけていません。今生、法を得たことは最も幸運なことで、修煉において精進して、師父の慈悲なるご済度に背かないことが何より大事だと思い、法を学び、功を煉り、発正念をすることは決して緩めませんでした。わが家は集団学法と煉功の拠点になっています。

 様々な原因から、地元では資料を作る人手が足りず、学習者には、年配の人、字の読めない人、出稼ぎに行った人、迫害を受けた人、心性が基準の位置に到達していない人、多くのプロジェクトを担当している人などがいますので、協調する同修は私と相談して、家に資料拠点を作ったらどうかと言われました。私はそれを引き受け、同修達の協力を要請しました。なぜなら、私はもうすぐ60歳になり、農作業しかできず、パソコンなどの先端技術はさっぱり分からないからです。

 パソコンのできる同修は丁寧に教えてくれました。私も真剣に聞き、メモを取り、同修の助けの下、家に小さな花を咲かせました。今では、インターネットへのアクセス、資料のダウンロード、印刷、製本、トナーの取り替えなど、全部習熟しています。資料ができれば、製本をして、それぞれの拠点に届け、数年来、このようにやり続け、師父のご加持の下、わが家の資料拠点はずっと平穏に運行しています。

 2015年10月、妹が仕事を紹介してくれました。それは市内で清掃する仕事で月給は1700元でした。当時、私は経済的にとても困っていて、とてもこの仕事をやりたいと思いました。しかし、大法のことを思うと、ためらいました。清掃の仕事を引き受ければ、修煉の良い環境を失い、特にこれからの資料は誰が作るのだろうと思いました。お金に執着してはならず、修煉こそ大事なことで、私は法のためにこの世に来ており、法を正す師に手伝う大法弟子として、すべては法を最優先にしなければならないと思いました。そこで、私は妹の好意を婉曲に断りました。

 今年の旧暦の1月1日の夜、どの家の灯りも明るく、とてもにぎやかでした。私達3人の同修は厳寒の中で、真相の横断幕をかけ、人を救いに行きました。すべてやり終えて家に帰ると、私の携帯電話に一通のショートメールが届きました。「あなたは世界にも稀に見る大法弟子で、勇ましい獅子のように勇猛精進しています」という内容でした。

 私は涙が出てきました。慈悲で偉大な師父は弟子を励まして下さっているのです。

 ここで、師父に叩頭して拝礼します。弟子はこれからも必ずより一層しっかりと行い、決して師父の慈悲なるご済度に背かないようにいたします。師父に感謝いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/28/348812.html)
 
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