【慶祝513 】 私と継娘のストーリー
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文/東北の大法弟子 淑真

 【明慧日本2017年7月18日】法輪大法を修煉して17年の中で、私の人生や性格はまるで作り直されたように大きく変わりました。そのため、私は継娘を自分の子供のように可愛がることができました。今日は自らの経歴を書き出して読者と交流し、人生が苦難と挫折に遭う時に法輪大法の真・善・忍の力を思い出していただき、出会った全てのことを良いことに転じられるように祈ります。

 (一)

 私は農村で生まれて、小さい時から性格が強い子供で、中学1年生の時に退学しました。どうしてでしょう? それは1976年9月、中国はまだ文化大革命時代でした。13歳の私は中学1年に進学しましたが、中国の学校では小学校から大学までずっと「政治」という科目があります。ある日、政治の授業中に私と隣に座る女子生徒が小さいことでけんかをしたとき、先生がまず2人の家庭の政治的区分を尋ねました。私のほうの区分が低いと知った先生は乱暴に私を叱りました。

 政治的な理由で軽蔑を受けた私は心に傷を負いました。それっきり、私は二度と学校に行っていません。両親、兄、姉、学校の先生が私を説得しに来ましたが、私は断固として学校に行きませんでした。私は家事と畑仕事を手伝って、暇な時に独学しました。

 強い性格の持ち主として30年余りの人生で私は様々なつらいことを経験しました。

 (二)

 転機は1998年に訪れました。1998年末、私は結婚して、同時に法輪大法の修煉を始めました。夫は離婚歴があり、8歳の娘・晨ちゃんを連れてきました。賢くて腕白な晨ちゃんを私は自分の子供のように可愛がりました。

 結婚して6日目に弟が私の家に来たとき、晨ちゃんはとても親しみをこめて私を「お母さん」、「お母さん」と呼んでいました。弟が帰ってから晨ちゃんはすぐ私に「きょう、私はぼろを出さなかったでしょう。さっき私はずっとあなたをお母さん、お母さんと呼んで、おばさんと呼ばなかったよ」と言いました。私と仲良くしている場面を私の弟に見せて、弟に安心させたと晨ちゃんは言いたかったのです。この娘は、気を回しすぎる娘だと、その時私はびっくりしました。

 それからだんだん手を焼きました。ふだん、夫は仕事に行き、家には私と晨ちゃんしかいません。ある日、晨ちゃんは「お父さんは毎月あなたにどれぐらいのお金を渡しているの。あなたはいくら使ったの。いくら残しているの」と私に聞き、また私に「お金を貯蓄しようね」と言いました。最後に、なんと自ら家計を管理したいと言ってきました。びっくりすると同時に面白いとも思った私は、「あなた、こんなに幼くて身分証すら持っていないのに、どうやって家計を管理するの」と言いました。

 それからの生活で、晨ちゃんはよく私にかんしゃくを起こしたり、わざと嫌がらせをしたりしました。昼食の時間に私が学校に行って晨ちゃんにギョーザを届けると、晨ちゃんは「ギョーザを食べたくない、まんじゅうを食べたい」と言います。晨ちゃんにミカンを渡すと晨ちゃんは「リンゴが食べたい」と言います。休日に私がワンタンを作ったら、晨ちゃんは「ワンタンは好きではない」と言って、泣き止みませんでした。。

 この娘と出会ったのは一種の縁で、この縁を大切にして晨ちゃんに優しくしよう、もっと晨ちゃんを包容して自分の子供のように可愛がろう、法輪大法が教えた身を処する道理で晨ちゃんと付き合おう、と私は心を決めました。

 結婚3年後、私は男の子を生み、晨ちゃんに弟ができました。姉弟は11歳離れており、母親になった私は晨ちゃんに対してもっと優しくなりました。

 法輪大法を修煉してから、私は生まれ変わったように、わがままでなく、頑固でなく、とても優しい女性になりました。しかし心性を守れない時もありました。

 晨ちゃんが何をやっても、私は夫に何も言わないで、すべて事後、善意を以て穏やかに晨ちゃん本人と交流しました。弱音を吐かない晨ちゃんがわざと口答えする時に、私は「では明日、この事をあなたの友達に言ってみようか、友達に誰が悪いかを判断してもらおう」と言うと、晨ちゃんはすぐに「友達に知られたら、私は死んで見せる」と答えます。

 だんだんと晨ちゃんに変化が起きて、自分の過ちを認めることができ、時々、騒いだ後に「お母さん、ごめんなさい、私が悪かった」と謝ってくれました。もちろん、私にけんかを売ることはよく起きますが、私はいつも晨ちゃんを慰めて、怒ったりしません。自分の心がだんだん広くなることを私は実感しています。

 我が家はあまり裕福でないため、結婚してから、私はおやつと高いものを食べないで、すべて晨ちゃんに食べさせました。晨ちゃんが肉料理を食べたいと言ったら、私は彼女だけに作って、私は食べません。出かけてお腹が空いたら、私は晨ちゃんだけに食べ物を買ってあげて、自分は食べません。

 歳月の流れに従って、私と晨ちゃんは実の親子とほぼ変わらないように親しくなりました。晨ちゃんは口に何も出しませんが、どんな悩みでも素直に私に話して相談しました。時には、「お母さんはどのように人と付き合っているの、周囲の人と誰とも仲良くしているの」と晨ちゃんは聞き、私が真・善・忍の道理を教えると、晨ちゃんは認めますが、「今の世の中は、強くないといじめられる番になるのよ」と躊躇する時もあります。

 私は「中国共産党が宣伝している闘争の理論は、人間の心をどんどん冷たくさせて、社会の道徳がますます低下してしまった。人間は天地の間に暮らして、宇宙の特性である真・善・忍に従ってこそ、初めて調和が取れるのよ。信じられなければ、長い目で見てみましょう」と話しました。

 晨ちゃんは頷きます。私の兄が離婚して、兄の娘・霞ちゃんにも継母がいて、霞ちゃんと継母の間はうまくいかず、トラブルが多発しています。ある日、晨ちゃんは霞ちゃんに「あなたは私ほど運が良くないね。私には良い継母がいるよ」と言いました。

 (三)

 2015年、夫は法輪功の資料を配るときに捕まえられ、警官が家に来て家財を差し押さえた時、私も連行しました。私は2週間ぐらい留置場に拘禁され、私の姉が我が家に来て子供たちの面倒を見てくれました。出所して、姉は私にこう教えました。「この2週間に晨ちゃんは仕事を休んで、昼間、公安局と検察庁へ行ってお母さんを返してと訴え、また弁護士に頼もうと計画していた。夜は、毎晩のように泣いていた。あなたが帰って来て、晨ちゃんも泣かなくなったよ」

 「私はお母さんの実の娘ではないが、しかし私は仕事を休んで毎日ここに来て、お母さんを返してと訴えた。何故だろう? お母さんが法輪功を修煉して、17年来、あんなに優しく私に接してくれて、実の娘以上に面倒を見てくれた。あなたたちが修煉して良い人になろうとするお母さんを拘禁するのはまったくの間違いだ」と晨ちゃんは警官らに話したことを、私は後になって知ったのです。

 晨ちゃんは警官たちに17年来、私との間に起きたいろいろな出来事を教えました。多くの事は私も覚えていないのですが、晨ちゃんは一件一件覚えています。ここ数年、晨ちゃんはよく私にかんしゃくを起こしましたが、善悪と善し悪しの区別を分かっていたのです。真・善・忍に符合する言行は、全て晨ちゃんの心の底に印象を残しました。

 晨ちゃんと共に過ごした17年の歳月を思い出すと、私はいろいろな事を思い出せません。何故なら、それらの事は母親にとってごく普通のことで、真・善・忍を信仰する修煉者にとって、当時は善良な心で自然にそのように対処したからです。しかし17年の歳月の中で、晨ちゃんの記憶にはたくさん感動的なシーンを残し、今日、晨ちゃんはこれらのシーンを警官、検察官、弁護士に教えて、彼らに法輪大法の真・善・忍の素晴らしさを分かってもらいました。

 検察官が留置場で私に尋問する時、私に対してとても尊敬と同情の態度をとりました。多くの資料を作ったのは私だと彼らは知ったので、本来、もっと厳しい態度で尋問を行ったはずです。検察官は冒頭に「お宅の情況を私たちは全部把握している。娘さんは私たちにたくさん話したよ」と言って、また、違法な質問事項に対して答えなくて良いと暗示してくれました。検察官は『尋問記録』のいくつかの質問事項の回答欄に「回答しない」と書き、また私に「何か要求があるか」と聞き、私は「釈放を要求する」と答えました。検察官はその言葉をメモして、「3日後に結果を知らせる」と言いました。3日後、私は釈放されました。

 その後、私は検察庁に法輪功の真相を伝えに行くと、ある検察官は「法輪功学習者たちは全て良い人間だ、どれも冤罪事件だよ」と言いました。法輪功の案件は自分の手に7日しか置くことができないので、7日の間に法輪功学習者を密かに助けるよう力を尽くしたい」と彼は言ってくれました。

 私は地元の派出所に真相を伝えに行きました。今回、私を連行したのはほかでもないこの派出所ですが、私は恐れることなく、所長に会いました。法輪功学習者の何人かの迫害に加担した所長に、以前、私は手紙を書いたり電話をかけたりしたのですが、彼は真相を信じませんでした。きょう、私は彼に「中国共産党のうそに騙されないように」と教えて、脱党を勧めました。

 所長は突然「私の祖母には実の子供でない娘がいて、祖母は力を尽くしてその娘を養育した。しかしそれは100年前の人間で、今の世の中にあなたのような良い人間はどこにもいない」と言って、晨ちゃんが来たと教えてくれました。所長は「私を説得したいなら、まず自らの言行で私を敬服させなさい。妻はキリスト教の信者だが、私を心服させていない」と言い、私は「所長は法輪功の素晴らしさを分かったので、海外の脱党ウェブサイトに所長のために脱党を声明していいでしょうか」と聞くと、所長は「いいよ、私は承諾した」と答えました。

 今も、私はよく地元の派出所に行って、警官たちに真相を伝えています。私に対する所長の優しい態度を聞いて、警官も私にとても友好的です。監視カメラが映らないところで彼らは私に本音を吐き、生活の中の悩みも私に話し、私はいつも真・善・忍の法理に基づいて彼らに最も良い解答をしました。中国共産党の虚言に洗脳されて「上級の命令」を執行する中で悪いことをしましたが、多くの警官は善良な本性を持っていることを、会話の中で私は発見しました。

 ある日、自分の子供を探す夢を見ました。あちこち探して、結局、あの派出所の所長は私の子供でした。法輪大法の修煉者として、私は実の子でない晨ちゃんを自分の娘のように可愛がることができたのですが、警官を含む中国共産党の虚言に騙されたすべての人を、自分の肉親のように大切にすべきではないかと私は思いました。修煉者の慈悲と善良を以て、人々の善良な本性を呼び覚まして、人々に素敵な未来があるように願っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/15/327711.html)