水を譲る
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2017年11月2日】私は農民です。私たちの生産チームはダム灌漑区に属し、チームメンバーたちの数十畆(うね)の水田がダムの水に頼っています。しかし、ダムの貯水量はあまり多くありません。毎年、5~6月はちょうど水稲の田植えをする肝心な季節ですが、その時のダムの水はとっくに放し終わっています。この時期を逃せば、収穫は大いに影響を受けてしまいます。

 生産チームは山麓の低く窪んでいて、水が沁み出る場所で池を掘り、山弯池と名付けました。山弯池で溜める水も焼け石に水で、根本的に水不足の問題を解決できません。従って、農民たちは並んで交替で放水し、田んぼを灌漑(かんがい・農地に外部から人工的に水を供給すること)しなければなりません。以前から、水を巡る喧嘩や殴り合いはよく起こり、私も絶対に譲らない1人でした。

 1996年7月、私は法輪大法を修煉し始めました。『轉法輪』と師父の経文を繰り返し学ぶ過程で、私は心性を修めることが功を伸ばすキーポイントであることを知り、真・善・忍の基準に従って良い人、さらに良い人になるべきことが分かりました。また、以前の自分の行為は大法の要求からたいへん程遠いことにも気づきました。修煉者は利益を重んじず、至る所で他人のために考え、常人のように争わず、却って利益を求める心や争う心を取り除き、トラブルを心性を向上させるチャンスにすべきです。

 1997年6月のある日、私の放水の番になって、私は水稲を植えようと思って、前日に準備作業を整えました。翌日、私は朝早く起きて、山弯池に行って水を引き出しました。引水した直後、農民の朱さんは私を止めてこう言いました。「私の畑のトウモロコシはもうじき枯れて死んでしまうので、水を私に譲ってくれませんか?」。私は「いいですよ。先に灌漑して下さい」と言って譲りました。

 朱家のトウモロコシ畑の灌漑が終わった後、今度は農民の江さんも水稲の灌漑をしたいので、水を譲ってほしいと頼んできました。その後、他の人も頼みに来ていて、結局、私はさらに劉さん、王さん、周さん、もう1人の江さんにも水を譲ることにしました。

 彼ら6軒の農作物は間に合った潅漑をされて豊作が期待できるので、私は心底から彼らのために喜びを感じました。彼らも私に感謝の意を伝えました。私はこう言いました。「私は法輪大法を修煉しています。大法の師父が私たちにこうするよう教えて下さったのです」。この日、私の田んぼには一滴の水も入らなかったのですが、私は心がとても平然としていました。

 師父は私の心性が高まったと見られ、ご褒美を下さったのかもしれませんが、当日の夜に大雨が降ってきて、私の田んぼは十分に潤いました。翌日、私は水稲を植え、まったく農期に遅れませんでした。

 私はこのように体得しました。「大法修煉者として、私たちはどんな事においても法を持って物事を判断し、まず、他人を優先的に考えるべきです」。師父は随時に私たちを見守っておられます。私たちの言動が煉功者の基準に符合したとき、師父は必ず私たちのために物事を決定して下さいます。「自分のものなら、無くなることはない」[1]という教えがあります。私は心底から師父に感謝を申し上げたいのです!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/19/355254.html )