『轉法輪』を通読した娘の人生が180度変わった
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月9日】私には1999年5月13日に生まれた娘がいます。2004年、当時まだ修煉をしていない私は妻と離婚し、娘の親権は妻の方に判定されました。その後、私は常人のいわゆる事業に忙しく、長年、娘の成長と教育への関心が薄れました。この状態は、2011年9月娘が中学校に入るまで続きました。

 2011年9月のある日、先妻から電話をもらい、娘の学校の担任の先生との面談に来てほしいと言われました。当時、私は湖南省で働いており、娘は遠く離れた広東省の深セン市の学校に通っていました。学校に行ってから、初めて娘が今抱えている問題の深刻さを知らされました。娘は幼い頃から一人親家庭に育てられ、性格が内気で、見知らぬ人と話をしようとせず、親と親しい同級生以外には、思いのままに交流が誰ともできませんでした。もし、その場に知らない人がいれば、娘はすぐに黙ってしまい、言葉が出てこなくなるそうです。

 小学校に通っていた頃、先生や学友がまだそれほどおかしいと感じませんでした。しかし、中学校に上がると、以前の親しい学友や先生がいなくなると、娘は今のクラスメートや先生と話す勇気がなく、授業では、手を上げて質問に答える事もできません。先生に指された場合、娘はずっと下を向いたままで、黙って一言も言わないそうです。そして、ラジオ体操の時でも、皆と一緒に体操をせず、手足を伸ばすこともしません。心療内科医で見てもらい治療も受けましたが、状況は好転せず終いには、学校の先生も母方の祖母も娘を養護学校(知的障害者が通う学校)に転校させたほうが良いと言い出しました。

 学校で娘が授業を受ける光景や体操をする実際の様子を見た私は、涙が流れ落ちました。法律上で言えば、私は毎月養育費を払えば、後はすべて知らん顔をしてもいいのですが、しかし、自分は修煉者で、師父が教えて下さった真・善・忍の法理に基づいて内に向けて探せば、今度のことは決して偶然ではないと分かっていました。そして、師父がおっしゃった家庭に関する法が絶えず脳裏に浮かんで来て、「やはり自分は間違っていた。私は子供の教育に無責任だった。『世界法輪大法デー』に生まれたこの子には、きっと特別な背景があるだろう。大法弟子として、決してこのまま放置してはいけない」と思いました。さらに、「彼女を変えることが出来るのは大法しかない。常人の理で処理すれば、娘の人生を台無しにしてしまうに違いない。これは師父が私に与えられた試練で、これまでの失敗を補うためのチャンスだ」と理解しました。私は直ちに娘に休学の手続きをし、娘を自分が仕事をしている長沙市に連れて帰りました。

 娘に法を習わせ、煉功をさせようと試みました。しかし、娘は煉功を拒み、本も読もうとしませんでした。中国共産党は実に邪悪で、小学校から子供達にたくさんの悪辣な虚言と観念を注ぎ込み、このような子供にも本能的に大法を拒否させてしまったのです。どうしょうもない時、師父がおっしゃった「すべての人には法を得る最初の動機がある」との法を思い出しました。そこで、娘にこの機会を失わせないため、彼女が母親に会いたいという心理を利用し、「お父さんが『轉法輪』を通読したのを聞いたら、深センの母親の元に帰ってもいいよ」と約束しました。

 それから、私は毎日休みの時間を利用して、娘に本を読みました。一段落を読んでから、娘にどういう内容だったかを聞き、本当に聞き入れてくれたかどうかを確かめました。こうしてしばらく経つと、娘に読ませるようにし、彼女も自ら読むようになりました。一通り『轉法輪』を読み終わると、娘の心には明らかに変化が起きました。彼女は本に説かれた内容を理解し、大法の常人の次元における法理から影響を受けました。娘は次第に元気になり、明るくなりました。約3カ月後、娘は師父の『論語』の暗唱が出来るようになり、「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を覚え、少年先鋒隊から脱退し、深センの母親の元に戻りました。その後しばらくの間、私はいつも娘に「法輪大法は素晴らしい」と念じるように促し、彼女も基本的にこれを守ってくれました。

 2012年5月、私は長沙の地元で娘のために学校を探しました。その過程は非常に順調で、コンピューターのランダムな選択で、「長沙市実験中学校」という有名な学校に割り当てられました。娘は法を習って福報を得たのです。その過程で、私は「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[1]に基づいて行い、すべて自然に任すような気持ちで願書を記入しました。その結果、本当に師父が『轉法輪』でおっしゃったように「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[2]、その通りになりました。2012年6月、私は娘をここ長沙に迎えてここの学校に通わせ、現在まで続いています。

 長沙の学校に来てから、軍事訓練にしても、普段のラジオ体操や体育の授業にしても、娘は他の学友と同じように普通に行いました。授業で発言する時、知らない人の前で話す時は、まだまだ恥ずかしそうにしていますが、しかし、親しい同級生との間や家の中での振る舞いは、普通の人と変わりありません。中学校3年生になってから、娘の成績はずっとトップクラスで、理科の成績はいつもクラスの1番で、時には学級の1番まで上がりました。今、娘は長沙市の高校1年生になり、成績もクラスで上位を占めています。

 長年、私はずっと修煉者の心構えで娘に接するようにしました。娘も大法に対してとても良い認識を持っており、いつも「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしい!」と念じるようにしています。大法はすでに彼女の心に根を下ろしました。この原稿を送る前、娘に意見を求めました。娘も長年大法から受益したことを認め、自分の事を文章にされたことを嬉しく思い、賛成してくれました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作: 『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/31/356110.html)