河北省学習者・柴君侠さん厳しく迫害される
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 【明慧日本2017年11月19日】河北省唐山市遷西県の法輪功学習者・柴君侠さんは、今年1月16日、河北省女子刑務所に移送された後、意志が固い学習者を転向させるため迫害する厳しい十三監区にずっと拘禁されている。最近、中国共産党の十九大会が開催される時期になると、刑務所は睡眠を許さず、毎日朝から晩まで法輪功を放棄させるように強制している。詳しい状況は分からないままである。

柴君侠
柴君侠さん

 一、法律に基づいて江沢民を告訴したため報復される

 柴君侠さんは、2015年6月21日に法律に基づき江沢民を告訴する告訴状を郵送した。そのことが理由で昨年10月10日、遷西県裁判所に懲役4年の不当判決を宣告され、今年1月16日に河北省女子刑務所に拘禁された。2日後、柴さんは転向する意志が全くなく、固い信念をもつ法輪功学習者を迫害する厳しい十三監区に拘禁された。

 二、再度刑務所に陥れられる

 今年1月14日、唐山市第一留置場は柴さんの家族に「面会に来なさい」と通知した。2日後の1月16日、柴さんは秘密裏に河北省女子刑務所に移送され、拘禁された。家族は柴さんの情報が一切入らないため、唐山市第留置場、河北省女子刑務所、遷西県裁判所などの部門を尋ね回って、3月に入ってようやく柴さんの居場所が分かった。

 三、夫の面会権が剥奪される

 今年5月11日は、河北省女子刑務所十三監獄区の面会日で、刑務所長との接見日でもある。息子の揣富林さんと夫の揣志剛さんは早くに刑務所の外までやって来て面会を待った。は事前に何回も刑務所に電話で問い合わせをしたにもかかわらず、面会は許可されなかった。それで仕方なく、息子の富林さん1人だけが母親と面会した。

 の志剛さんは3月6日、高という警官に電話した時、高は「拘禁する期間は2カ月未満なので面会できず、2カ月経ってから面会できる」と教えてくれた。4月5日、志剛さんは再度連絡したところ、孫という警官は「3カ月経ってから面会できる」と言った。5月11日はすでに3カ月以上経ったが、高は「面会の条件がまだ満たされないため、面会できない」と言って、面会させなかった。

 四、息子の富林さんは1人で母親と面会した


幼い頃の揣富林さんと母親

 富林さん(18)は今年5月10日、休学して1人で石家荘市に向かう列車に乗った。石家荘市に着いた後、郷里から来る父親と合流し、一緒に河北省女子刑務所にいる母親と面会する予定だった。しかし、刑務所は父親の面会権を剥奪したため、富林さんは1人で母親と面会したが、すぐに中断された。

 の志剛さんは遠路はるばる来たため、刑務所長に事情を説明し面会を求めたところ、刑務所長は「高という警官に言いなさい」と言って、を外に出した。高は「面会を禁止する規定がある」と言い、はその規定を提示するようにと要求したが、結局、高はその規定を提示すことができなかった。

 五、柴君侠さんが以前、河北省女子刑務所で受けた迫害

 2008年4月、柴さんは河北省女子刑務所に拘禁され、4年間苦しめられた。刑務所で、柴さんは顔面と背中にスタンガンで電気ショックを加えられ、冬の厳寒の中でドアの枠に吊し上げられ、独房に閉じ込められるなどの迫害を受けた。さらに毎日、14時間の労働を強制され、最長は18時間の労働を強いられた。

酷刑演示:电棍电击
拷問の実演:スタンガンで電気ショックを加えられる

 2009年1月8日の夜、柴さんは平手打ちを食らわされ、顔、首、背中にスタンガンで電気ショックを加えられたため、頭部の傷口から出血し、顔、首、背中がすべて青紫色になった。その後、また吊し上げられた。

 翌日、柴さんは独房に閉じ込められた。下着の着用を許されず、ボタンなしの服を着せられ、冷たいコンクリートの地面に座らされた。さらに睡眠をはく奪され、罵られたり、殴られたりした。

 2009年1月29日~3月の間、刑務所側は柴さんに睡眠を取らせず、長期間にわたって立ったままの姿勢を強制し、会話や洗面も禁止して柴さんを転向させようとした。

 河北省女子刑務所での迫害によって、柴さんは心臓病などの後遺症が残った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/5/356351.html)