自我と恐怖心を放下し、同修と協力して人を救う
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月21日】2014年から、私は同修と協力して真相を伝え、人を救うプロジェクトを始めました。いつもスクーターに同修を乗せ、農村に行き、そこで法輪功の垂れ幕を掛け、資料を配り、シールを貼りました。しかし、その過程では、同修との間によく意見の食い違いが生じました。

 今年の春も、私は同修を乗せて農村に行きました。目立つ場所や人の往来の多い場所を見つけると、いつも気持ちが高ぶって、「ここに掛けましょう! ここに貼りましょう」と提言しました。しかし、同修は私の気に入った場所ではなく、あまり目立たない所に垂れ幕を掛け、シールを貼りました。毎回こうした時、私は心の中で、「正念が強くない、恐怖心があるのではないか」と、同修のことを不満に思い、同修を見下しました。

 法をしっかり勉強し、絶えず内に向けて探すことによって、私は自分の人心を見つけ、自分の考え方が間違っていたことに気がつきました。「師父でさえ私のような意気地のない弟子を見捨てられないのに、私が同修を見下す資格はあるだろうか?」と思いました。 同修と交流したとき、同修は、「目立たない場所にするのは、保存する時間が長く、縁のある人であれば、きっとそれを見る機会もあり、しかも、邪悪の注意を引き起こさないため、私達がこれから継続的にやっていくのに有利だと考えている」と言いました。

 最近、この同修と一緒に法を実証することが多く、時には、2人で、時には3人で協力して、主に、夜に定期刊行物を配り、シールを貼ることにしています。地元の610弁公室は至る所に大法を誹謗中傷するポスターを貼り、一部の所に邪悪の展示板を設置したため、私たちは力を入れて、それらのものも取り除いています。

 シールを貼る時、私はよく車のヘッドライトを使って貼る場所を照らし、真相シールを逆さまに貼らないようにしました。また、邪悪のポスターを探すにも、車のライトを使ったりしました。しかし、同修から「シールを貼る時、ライトで照らさないで下さい」と注意されました。注意されることは気にしないようにしていたのですが、言われる回数が多くなると、私は心に反感を抱き、「あなたには恐怖心があるのではないか」と思い、この同修と一緒にやりたくない、やはり今まで通り、昼に面と向かって真相を伝える同修と一緒にやりたいと思いました。

 しかし、考えて見れば、このプロジェクトも誰かがやらなければならないし、それに、私達の学法グループの中で、夜に出かけられる人はそう多くなく、自分は若くて元気なので、同修と協力してこれらの邪悪のポスターや、展示板を取り除いて片付けて、衆生に資料を届ける責任を果たさなければならない、と思いました。一緒にやっている2人の女性同修も本当に大変で、毎回スクーターに乗って移動し100キロ以上走ることもあり、とても大変だと思いました。

 この事を通して、私は「人に言われたくない心、褒め言葉を聞きたい心」などの人心を見つけました。「これらの人心を早く正さなければ、きっと邪悪に隙に乗じられてしまい、大変な事になる」と思いました。そして、同修が広い心で私に接してくれたことに心から感謝しました。私達は協力して仕事をし、また一緒に法理について交流して、とても勉強になりました。これらのことを思うと、同修に本当に申し訳ないと思いました。

 「同修には恐怖心がある」と言ったのは、実は自分が口を修めていないことでした。師父は「例えば、人と人との間にトラブルがあって、あなたが良いとか、彼が良くないとか、あなたは修煉が良くできたとか、彼は修煉が良くできていないとかして、これらのこと自体が摩擦です。一般的な例をあげてお話ししますが、わたしは何かをやりたいとか、今このことはどういうふうにやるべきだとか、こういうことでも無意識のうちに誰かを傷つけるかも知れません」[1]と説かれました。修煉は無条件に内に向けて探すことです。同修の問題を見た時、必ず自らを探し、自分にしっかり行っていないところがないかを見なければなりません。こうすれば、はじめて皆の心が一つになり、人を救うことをしっかりやれるのです。

 ある時、私は2人の同修を乗せて、農村に真相資料を配りに行きました。ある田舎の脇道に来ました。この道は行き止まりだったので、運転しながら後ろに乗っている同修に「戻って来る時に資料を配ろう」と言いました。しかし、1人の同修は行く時にも資料を配っていました。

 10分ほどで、私達は突き当りからUターンしてきました。帰りの道で1人の若い男性が携帯電話を使っているのを見ました。それをみてすぐにマイナスの方に考え、彼は私達が配った資料を見て、私達を妨害しようとしているのではないかと疑いました。しかし、私はすぐにその考えを否定し排除しました。しかし、試練はまだまだ終わっていません。私達は約1・5キロ先に進んだ時、突然前方からパトカーのサイレンが聞こえました。もう1人の同修も聞きました。

 体中に緊張感が走りました。きっと先程の若い男性が電話で通報したのではないかと思いました。その緊張した気持ちが1分ほど続きましたが、私はすぐに自分を正しました。まず、恐怖心を一掃し、「ありえない。きっと仮相だ。たとえあの男性が通報したとしても、夜中にパトカーが30分以内に来るはずがない」と冷静に考えました。私は心を落ちつかせ、同修を乗せてスクーターを飛ばし、引き続いてやるべきことをやりました。

 面白い事に、私達はずっと前方に向かって進みましたがが、どこにもパトカーが来た形跡はありませんでした。その後、師父がこの環境を利用され、私の恐怖心を暴露させ、それを修めさせようとしてくださったと分かりました。

 師父の慈悲なるご加護に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/11/357753.html)