文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2018年1月16日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
1998年夏、幸運なことに、私は法輪大法に出会いました。大法を修煉してきたこの19年間、私は人生でもっとも忘れ難い日々を経験しました。正法時期の大法弟子になった喜びもあれば、人生の前半で経験しなかった悲しみと苦難もあって、師父のご加護の下で私は数々の関を乗り越え、迷いから抜け出して成熟に向かいました。師父への感謝の気持ちは言葉では言い表すことができないので、さらなる精進と、残りの修煉の道を着実に歩むことを持って師恩に報いたいと思います。
法をよく学び、実修に励む
私は病気を取り除き、健康を得るために大法の修煉を始めました。当時の私は体が弱くてさまざまな病気を患い、一日中ベッドに横たわって何も口にしないときもよくありました。
煉功して1カ月ほど経ってから、体が良くなりました。本当に師父が説法の中でおっしゃっているように、歩くときは体が浮き上がり、いくら歩いても疲れを知らないようになりました。大法修煉を始めたものの、修煉とは何か、どう修煉すべきかについて深く理解していませんでした。師父が説法の中で言及されたように、私もあれこれと多くの気功講習会に参加し、頭を撫でてもらうために100元を払い、何の意味があるか知らないまま、自ら進んでお金を払いました。その✖功を、私は1カ月ほど練り続け、それはもっとも長く堅持して練っていた功でした。
大法の中で半年ほど煉ったとき、私は自分の健康状態に満足を覚え、1998年の年末に修煉をやめました。
1999年4.25に、大法弟子の北京での陳情のニュースをテレビで見たとき、私は共産党が大法が良くないというなら、やはり続けて煉るべきだと考えました。なぜなら、「共産党が良いというものは絶対に良いはずがなく、共産党が良くないというものは間違いなく良いものだ」というのが私の思惟方式でした。こうして、私は煉功点での煉功を再開しました。
法理に関する理解が表面に留まっていて、なおかつ真に修煉したこともない私は2000年の迫害に直面したとき、大きな過ちを犯し、師父と大法に大変申し訳ないことをしました。
2001年に労働教養所から帰った後、私はさらに多くの魔難を経験しました。夫は他界し、息子は大学入試の身体検査で不合格となり、80歳を超えた父は私の迫害を心配し、目の手術を受ける際に失明し、姑は脳血栓を患うようになり、私も会社から解雇されて、あまりの苦しさに私は号泣するしかありませんでした。
当時の私はどう修めるべきかが分からず、学法していても、法理を大法の事を行なう際の導きとすることができませんでした。師父が真相を伝えるようにと言われれば、私は外に出て大法の良さと大法が迫害されていることを人々に伝え、同修が資料を持ってきてくれれば、私は配りました。
2004年11月、大紀元のホームページに『共産党についての九つの論評』が発表されました。それを読んだ私は非常に興奮し、「やっと共産党について論じるものが出てきた」と思い、向かいに住んでいる隣人と同僚たちを家に呼んできて、インターネットのものを読ませました。その後、『九評』の全文が掲載されたとき、私は同修に頼んで3冊ほど紙に印刷してもらい、隣人や同僚に見せました。
私は心底から共産党を忌み嫌っています。1988年の社内会議の際、党委員会書記は「今年は入党の枠がないから仕方ありませんが、もしあれば、真っ先に〇〇さん(私のこと)にあげます」と言いました。私は慌ただしく「書記、私は入党しません」と言いました。書記が「あなたの仕事は立派ですよ。なぜ入党しませんか?」と聞くと、私は「仕事をきちんとこなさないと、もらっている給料に申し訳ないと思っているだけで、入党するためではありません」と言いました。
18年間勤めてきて、私は一つの理を悟りました。それは、党の話を聞いて党に従って行けば、永遠に損をするばかりで、永遠に悪運に付き纏われるだけです。私は絶対に入党しません。
師父の『再び法輪を廻す』が発表された後、私は会社の上司や同僚、隣人及び友人たちに『九評』を渡し、「三退」を勧め始めました。会社の上司を含む大多数の人はすぐに三退しました。脱退しない個別の人に対して、私は日々発正念し、彼らの背後にある共産邪霊や共産邪党の邪悪な要素を排除し続けました。そうすると、1カ月後に脱退する人がいて、半年、そして1年後に脱退する人もいました。
夫が三退しないことを悩む同修の相談を受けて、私は「正念を発して下さい!」と言いました。しばらくすると、その同修は夫が三退したと知らせてくれました。
2005年末までの半年足らずの間に、私は500人以上を三退させました。
これだけ多くのことをしてきても、私は心性を修めておらず、どう修めるべきかも分かりませんでした。学法する際は紙面の文字を読んでいるだけで、法を深く理解できておらず、同修間の交流を聞いても理解できず、皆に「私は悟ることができず、体を動かしてひたすら事を行なうことしか知りません。あなたたちが悟ってから私に教えて下さい。それから私は従ってやります」と言いました。
2009年の年末、ある同修は私に「姉さん、あなたは系統的に法を学ぶべきだと思います。『轉法輪』を学ぶ以外、師父の他の大法書籍や説法も学ばなければなりません。まず『法輪功』から、時系列順に読んで下さい」と言いました。
師父のすべての説法を一通り読み終えて、私はやっと大法とは何かについてある程度の理解を得られるようになり、法を実証する事を行なう中で人心を修め始めました。その時はじめて、師父が私たちに多く学法し、しっかり学法するように促されているのは、法理を持って普段の修煉を導き、法理を持って自身の不足を正していくためだと分かりました! そして、「どんなことを行なう時も指導してくれる法理がある」という理が分かりました。私たちの修煉は人間から神になることで、これは千年も万年も出会えることができない偉大なことです。師父がいらっしゃらなければ、そして指導して下さる法理がなければ、私たちはどのようにして神を修めるのでしょうか? 私は正法時期の大法弟子になることができて、どんなに光栄なことでしょう! 本当に人間の言葉を言い尽くしても師父への感謝の意を十分に表すことができません! その時から、私はやっと真の修煉を始めたのです。
「是か非」に執着する人心を取り除く
先日、ある地方の同修が私の家に泊まり、交流の中で私には怨む心という大きな執着が存在していると指摘しました。
私は熱心な性分で、困難がある人を見れば必ず助け、家に泊まらせたことがある同修も70人を超えます。しかし、物事はときには思うようになりません。自分がきちんとできたと思っていても、そう思わない同修は私の目の前では何も言いませんでしたが、背後であれこれ言っていました。それを知った私は平然としていられなくなり、数年経った今でも、それを思い出す度にむかつく気持ちを募らせていました。
その日、同修から自分の問題を指摘されて、私は嫌な思いをしながら「あなたは何もしないから、当然軽々に言えるのだ」と考えました。同修は焦った口調で「姉さん、なぜ冷静になって考えてみないのですか? これは修煉の問題ですよ。あなたはそれを取り除かなければなりません!」と言いました。彼女の指摘には納得しなかったものの、心から思ってくれている彼女の誠意を感じ取った私は、「分かりました。考えてみます」と言いました。
翌日の午前中、私たちは前日の話題を続けました。私は同修にこう言いました。「私は本当にこのようなことで大きく傷つけられています。正直、学校時代から会社での勤めまで、そして両方の家庭や親族、隣人、同修に至るまで、私は常に熱心に他人のためにあれこれと多くのことをしてきて、何の見返りも求めませんでした。私に対して意見があれば、面と向かって言ってくれれば良いのに、どうしても陰でこそこそ言う人がいます。今まで、そういうことに腹が立って仕方がありませんでした。確かに、自分がしっかりできていると常に思っていたので、この執着を隠していました。これから真面目に内に向けて探します」
同修が帰った後、私は1週間ほど考えて、やっと考えをはっきり整理しました。生きてきた数十年来の間、なぜこのような問題に出遭ってきたかというと、いくつかの原因がありました。一つ目は、前世の因縁関係が絡んでいて、二つ目は乗り越えるべき関があり、三つ目は誤解のため、四つ目は私には不足していた部分があると思いました。どんな問題であれ、解決の方法は一つしかありません。それは無条件に内に向けて探すことです!
師父は「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修め、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません」[1]とおっしゃっています。しかし、私は問題に出遭えばいつも是非ばかり考えて、人間の思惟方式で修煉の問題を考えていて、自分自身の問題を探さなかったため、歩めば歩むほど道が狭くなってきました。師父はこのようにおっしゃっています。「人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです」[2]
そうです。私はまさに常人の理に沿って是非に執着していて、結果的に鬱憤がいっぱい溜まっていました。超音波検査を行なってくれた医者でさえも、私のお腹に気がいっぱい詰まっていると言いました。なぜこの時点で同修が私にこの問題を提起したのでしょうか? これは師父が同修の口を借りて私の修煉の不足を指摘してくれていると悟りました。正法修煉の最後に差し掛かり、いかなる人心も取り除かなければなりません。師父は弟子のために焦っておられるのです! 師父! 私は間違っていて、ご心配をおかけしました。私は必ずこの執着を取り除きます。
妹は私を恐れて、あまり声をかけて来ません。先日、遊びに来た妹に、私は心から「私は間違っていた。これからは絶対に以前のような態度であなたと話をしたりしません」と言いました。妹は笑い、私も心が楽になりました。
他人の過失に大らかでいること、放下こそが向上で、是非を執着する人心を放下し、法の中で自分を正すことが修煉であることを認識しました。私は真に人心を放下した後の喜びを実感しました。師父に感謝し、同修に感謝します!
自分より他者の幸せを願う 利他的な生命になりたい
2000年に拘置所にいた時、同室の人に法輪功の事を尋ねられて、私は「古い修煉者に聞いて下さい」と言いました。2日後、彼女は同じ質問をしてきました。「彼女(古い修煉者)に聞きませんでしたか?」と言った私に、彼女は「彼女の話はあまりにもぶっ飛んでいて、聞いても分かりませんでした。あなたが言ってみてくれませんか?」と言いました。私は「私の学びは浅いので、自分の理解に沿って話してみますね。法輪功は『真・善・忍』の三文字を提唱しています。真とは真実のことを話し、嘘偽りのないことを行ない、正直な人間になること、善とは誰に対しても優しい心で接すること、そして忍とは殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないことです。修煉者はこの基準に則って自分を律し、最後には無私無我で、他人を先に自分を後にする正覚にまで修めるのです。皆さん考えてみて下さい。この法輪功は良いものだと思いませんか?」というと、女の子全員は手を挙げながら「法輪功は素晴らしいです! 法輪功は素晴らしいです!」と言いました。
大法を修煉してから、「他人を先に、自分をあとにする」[3]という法理が私の心に深く刻まれました。私はまさにこのような生命になりたいです。
2013年、共産党による狂ったような迫害の下で、当地の多くの同修が不当に連行されました。そのうちの1人の同修は家庭の状況が困難な上、癌を患う母親の面倒を見る人もいなく、ある同修が手伝いに行きました。
その同修が帰って来た後、私にこう聞きました。「彼女の家庭の事情を理由に、釈放を求めに行ってはどうでしょうか?」。私は「いいと思いますよ。彼女の周辺の同修たちを行かせましょう」と言いました。誰もが行きたがらないと同修から聞いた私は「それなら、私たちが行きましょう。絶対に釈放してもらいます」
こうして、私は同修と一緒に派出所や国保大隊(法輪功迫害の実行機関)、検察院、そして地元の住民委員会に行って同修の釈放を求めました。他の同修は発正念に協力してくれました。私たちは毎日釈放を求めに行き、 順調でないとき、家に帰ってから法に照らして内に向けて探し、自身の不足を正してからまた関係者たちを訪ねに行きました。ある日、やっと国保隊長に会いました。私から事情を聞いた隊長は「社会的要因を考慮して彼女を釈放します。手続きは私が行ないます。あなた達も困難があるので、お金は使わなくていいです」と言いました。私は非常に喜んで「隊長、ありがとうございます!」と言いました。
表に出てから、私は同修に尋ねました。「どうしてこんなに容易く釈放してくれたのでしょう? もしかして、彼女の家族はコネでも使ったのでしょうか?」。同修も知らないようでした。帰宅後、私は弁護士に電話をかけました。弁護士は「数日前、彼女の夫は電話をかけてきて、どうすれば良いかと聞いていました」と言いました。そこで、私はすべては師父がして下さったことだと分かり、翌日、すべてが師父による励ましだと同修に言いました。こうして、私達は親族の名義で37日間の努力を経てやっと同修の釈放を成功させました。
この事を行う際、ある同修は私に「姉さん、こんなことをしないで下さい。同修の救出に関わっている同修たちも皆、不当に連行されたではありませんか」と言いました。私は「恐れる必要はありません。師父がいらっしゃって、法もあるので、そんなことは起きませんよ。それに、自分がしっかり修めているからこの事をやっているのではなく、これが自分の使命だと感じているのです」と言いました。
師父は法の中でこのようにおっしゃっています。「一人の人間や、一つの生命体を作り上げる場合、その人の独自の生命成分やその人の本質は超ミクロの世界ですでにできあがっているのです」[1]。師父が能力を授けて下さったからには、必ず私にもっと高い要求があると思います。私は師父とどのような誓約を結んだのか、また、その誓約をきちんと果たしているかどうかは分かりません。常人の中で、私は強い物事の推進力を持つ人間で、他人がしたがらないことを私はやります。こうして、同修の救出に協力し、弁護士を依頼することがここ数年私が主に行なっている大法の仕事でした。
2014年、ある地方から来た同修が我が都市で不当に連行されました。彼女は一昨日に私の家に泊まり、3日目に不当に連行されました。彼女の案件を受け入れた北京の弁護士はその同修と面会した後、「誰が某姉さんですか?」と聞きました。「私です」と私は答えました。弁護士は「あなたに安全面を注意してほしいとの伝言を彼女から受けました」と言いました。彼女がまだ私の名前を知らないのに、国保大隊は私のことを何でも知っているようです。弁護士も私に気をつけるようにと言いました。
昼食をとる最中に、同修から「午後、一緒に裁判所に行って真相を伝えましょう」と電話で頼まれて、私は受け入れました。出かける前に、私は師父の写真の前でこう言いました。「師父、真相を伝え衆生を救うことにおいて、邪悪には迫害する勇気がなく、肝心なのは人心に動かされないこととおっしゃっています。今から真相を伝えに行きますので、どうか邪悪に迫害されないようにご加護をお願いします」
私は定時に裁判所に着きました。その日、主審裁判官が留守のため、私たちは陳情を担当する裁判官に真相を伝えました。
毎日、私はやるべきことを着々と行なっています。 ある同修が不当に連行された後、弁護士を依頼したいものの、家族と連絡が取れない状況の中で、私は夜その同修の家の前で彼の家族を待っていました。3日目に、彼の家に電気がついたのを見て、私は上に上がってドアをノックしました。出てきた息子に事情を説明すると、彼は私を押し出しながら「知りません。私に言わないでください」と言いました。私が「お母さんはどこにいますか?」と聞くと、彼は「母が連行されて、私も連行されてやっと出てきたばかりです。もう来ないでください。また来たら通報しますよ」と言いました。仕方なく私は家に帰りました。
翌日、拘置所で同修にお金と服を預けようとした時、「どうしようか?」と悩んでいる間に、「弁護士に尋ねてみよう」という考えが浮かんできました。これはきっと師父によるご教示だと思いました。電話したところ、弁護士はちょうど拘置所で他の同修と面会していたので、私から事情を聞くと、「わかりました。方法を考えてみます」と言いました。こうして、数人の同修に弁護士を手配することができました。
数日後、注意を促してくれたあの北京の弁護士に再び遇い、彼は「おばあさん、また外で活動しているのですか?」と言いました。私は「やっていますよ。別に何も恐れる必要はありません」と言いました。弁護士は「おばあさん、あなたは心が優しくて、完全に他人のために行なっているので、誰もあなたに危害を与える勇気がないと思います!」と言いました。
私が知っている当地の同修が邪悪に不当に連行されたと聞く度に、私は真っ先に派出所に飛んで行って事情を聞いたり、同修の家を訪ねたりしました。ある同修は不可解にこう言いました。「彼女は毎日危険な所でも平気で行くし、何も気にしません。しかし、どうして彼女は1回も危険な目に遭わないのでしょう」ということを聞いて私は同修に「他人のために動く生命には、旧勢力が迫害を加える勇気がないのです」と言いました。師父はまさに私たちに自身のために働く良くない思想や行動を取り除くよう、そして「他人を先に、自分をあとにするという正覚」[3]を修めるように要求されています。
本当に修めれば修めるほど幸せを感じています。修煉の中で師父が下さった洪大なご恩は言葉では言い表すことができません。私にできることは、精進して着実に自分を修め、最後の修煉の道をより良く歩むことしかありません。
跪いて、師恩に感謝します!
法に符合しない箇所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
(明慧ネット第14回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)