文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年2月21日】個人の理解ですが、法輪功修煉者の身体に異常を齎(もたら)すのは自分が形成した観念だと思います。以下は私が経験したいくつかの例です。
一、迫害を受けて、収容所にいた時に同修のAさんと知り合いました。Aさんの家は山の奥にあり、小型トラクターを運転して、山を出て商売を営んでいました。ある日、そのトラクターのエンジンが掛からなくなりました、Aさんとご主人はトラクターから降りて、トラクターを押して、上り坂を超えました。上り坂のたびに、トラクターを降りて押しました。何度も往復しているうちに、彼女Aさんは疲れ果て肺胸疾病を患いました。
この話は私に深い印象を与えました。ある日、息子のバイクもエンジンが掛からなくなり、私は慌ててバイクを5、6メートル先まで押したところでエンジンが掛かりました。その時、体に力が入らなくなり、両足がグラグラして、息苦しくなりました。その後にも2、3回同じ事が起きて、前と同じように息苦しくなりました。この状態は修煉者にあるべき状態ではないと気づきました。「なぜ他のことをしても何事もないのに、バイクを押すとどうしてこのようになるのだろうか?」と疑問に思いました。その時、Aさんがトラクターを押した話を思い出し、「車を押すと身体の疲れから大きなダメージを受けて、肺胸疾病になる」という観念が既に形成されていたのではないかと悟ることができました。その後、車を押しても以前のような辛い感じがなくなりました。
二、毎日法を学んでいますが、法に則って自分を修めていないため、法の中で向上する事ができず、魔難がやってきた時、関を乗り越えることが難しくなりました。小さい頃、母に「40歳から50歳位になると、目がぼやけて見えるようになるよ」と聞かされました。私はその年になり、やはり目がぼやけ始めました。しかし、「私は修煉者なので、目がぼやけてきたのは私ではありません」と直ちに正念を発してこの状態を排除しました。しかし、改善されませんでした。しばらくすると、また同じ状態が現れてきます。数年経っても変わりませんでした。ある日、家で『轉法輪』を読んでいると、「目の前がいつもぼんやりし、何かによって遮られているかのようで、ちょっと辛いものです」[1]のところまで読み、私の状態は「玄関設位」[1]ではないかと気づき、このような事が起こるのは自分が修煉者であると自覚していないのではないかと悟ることができたため、目の状態も改善されました。
三、師父は「人間はまるで一つの容器のようなもので、何かを入れればそれになるのです」[2]と仰っています。人間の形成された観念は体に反映されます。例えば、中学校の時、母が「だめになった歯の根は必ず抜くこと、お父さんを見てごらん、虫歯の根っこを取り除いたら背筋も真っ直ぐになったのよ」と言ったことがあります。
数年前、私は2本の歯が折れました。すると、医者が「歯の根っこはこのままにして、上から元の歯と同じものを被せておきますね」と言い治療をしてくれました。
ある日、同修は私が歩いている時に背筋を伸ばした方がいいよと教えてくれたので、家に戻り、鏡を覗いてみると、いつの間にか腰が曲がっていることに気づきました。正念を発しても、いろいろと治療をしても無駄でした。多くの同修たちは私の腰が曲がっていることを指摘してくれます。ある同修Bは、私が真相を伝える時大法にマイナスのイメージを与えないように、真っ直ぐに立つようにと言われました。同修Cも私がこんなに猫背になっているとは知らなかったと言いました。師父は私がなかなか悟れないの見て、常人の言葉を通して気づかせてくださいました。
ある日、真相を伝えていた同修がある女性に「あなたも法輪功を修煉して、猫背を治してみては?」と話していました。しかし、その女性を見ても、彼女の姿勢はどこも悪いところはありませんでした。この言葉は私に聞かせるためだったのだと悟りました。
その後も次から次へと私の姿勢を指摘してくれた同修がいました。自分もこの状態を乗り越える事が出来ずどのようにすれば乗り越えることが出来るのかと考えている時、「歯の根っこ」という文字が浮かびました。「なるほど、自分のこの観念が災いしているのだ」とはっと気づきました。座禅を終えてから、背中を触ってみると背筋も腰もが真っ直ぐになっていました。師父の按排に感謝致します。仕事から帰宅してきた主人にこの事を話し。自分の体に異常をもたらしたのは常人社会で形成された人の観念であると悟ったとも言いました。
私は師父が説かれた「相は心から生じる」[3]という法に対する理解を更に深めることができました。「観念転ず、腐敗物は滅し、光明が顕れる」[4]
この文書を書き出した理由は、身近にいた年配の同修が長い間病魔に妨げられ、最近亡くなりました。私は同修として、彼女が魔難を乗り越えられるように手助けできなかったことを悔やんでいます。この事を通して、病魔に妨害されている同修の参考になればと思います。そして、関や難の中にいる同修たちも心を静めて学法をし、固執した観念を放下し、法の中で、自分のすべての念を正して、一日も早く病魔や虚像の妨げから脱却し、更に多くの衆生を救い、私たちの使命を全うしてほしいと思っています。
注:
[1] 李洪志师父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[3] 李洪志师父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[4] 李洪志师父の著作:『洪吟』「新しく生ず」