修煉には休暇というものはない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月26日】最近、旧正月を迎えるために家事に没頭して修煉を怠る同修をよく見かけました。旧正月の年末に近づいていますが、精進している同修たちはいつもと変わらずに平穏に「三つのこと」をやっています。しかし一部の修煉者、特に女性修煉者は、「常人状態に合わせながら修煉する」を理由に、旧正月用品を買うことや食事を作ることに没頭して、自分の使命を忘れ、今の時間は大法弟子に衆生済度をさせるために師父が苦難に耐えて伸ばして下さったということを忘れてしまいました。今の時間を無駄にすることは犯罪同然だと私は思います。

 私の地元に70代の同修Aさんがいます。修煉前から目の手術をしたことがあり、聴力も良くなかったのですが、修煉した後に目と耳の状況はだいぶ良くなりました。しかしAさんはいつもゆったりとした常人の生活を羨ましがって、修煉の苦を拒んでいます。Aさんの家は学法拠点ですが、毎年師走の下旬に入ると、彼女は学法チームを解散し新年を迎える準備をします。ある年の旧正月の元日に、Aさんは「今日は煉功も学法もしないで、1日常人になってリラックスしたい」と思いました。結局、すぐさま翌日に彼女の耳は何も聞こえなくなって、視力も悪くなり何を見てもぼんやりしました。周囲の同修たちはAさんと交流して、Aさんも自分の誤りが分かって師父に懺悔しました。

 その後、Aさんの視力と聴力はある程度回復しましたが、良い時と悪い時があります。2015年、江沢民告訴に参加した後、Aさんの聴力が完全に回復しました。しかし、「耳はどうして聞こえるようになりましたか」と聞かれたとき、Aさんは「娘婿(経済犯罪を犯して数年間入獄した)が出所して家に帰ってきたため、私は嬉しさのあまり耳が良く聞こえるようになりました」と答えました。結局、彼女の耳は直ちにまた聞こえなくなりました。Aさんは慌てて「師父が治してくださいました」と変えました。

 それから、Aさんはマンションに引っ越しました。出かけると何回も迷子になるため、息子はAさんに外出をさせません。だんだんとAさんの修煉状態が悪くなって、同修たちはAさんと学法して交流もしたのですが、しかしあまり効果が良くありません。「もし自分が修煉を止めたら、旧勢力も自分を迫害しなくなるのでは」とAさんは思い、同修たちは彼女のそういう考え方を知って、急いでAさんと交流したのですが、しかしすでに手遅れでした。もともと彼女の修煉を応援していた息子と息子の妻は、「お母さんは学法すると、聞こえないとき、字がはっきり見えないときに焦りがちで、健康に悪い」と言って態度が一変してAさんに学法をさせず、同修たちも家に入れれないようになり、今、Aさんは寝たきり状態になっています。

 もう一人の同修Bさんは、とても積極的に「三つのこと」をやって、よくほかの同修と一緒に法輪功の資料を配ります。しかしある日、彼女は同修に「私たちは毎日このようにして、いつになったら終わるのでしょうか」と話しました。2017年の春、Bさんは突然脳出血で入院して、未だに寝たきり状態になり、現地で法輪功にとてもマイナスの影響をもたらしました。彼女の家族も不可解に「お母さんは、毎日勤勉に法輪功のことをしているのに、どうしてこうなったのでしょう」と思っています。

 家族がそのように疑問を持つ理由を、後になって私たちは知りました。Bさんは以前、暫くの間修煉を怠って脳血栓の症状が現れて、入院治療をしました。退院した後に、Bさんは積極的に「三つのこと」をし、息子と娘たちに「誰も私の修煉を邪魔しないでください。さもないと、私の健康に問題が起きたら、邪魔した人が責任を取ってくださいよ」と言ったことがあります。

 以前、Bさんの家に行った同修は、ごみ袋に男性の靴下が多く捨てられているのを見かけました。理由を聞くと、Bさんは「あれは夫の靴下です。洗う時間がないため、1回穿いて捨てました」と答えました。理性的に事をやっていなくて旧勢力に隙に乗じられた可能性はないでしょうか?

 AさんとBさんのことをここに書き出すのは、AさんとBさんの不足を指摘するためではありません。AさんとBさんに妨害を加えたのは旧勢力です。ただ、どのように旧勢力の妨害を否定してより多くの衆生を救えるかを、皆さんと検討したいと思います。

 先述したAさんは、常人の生活を羨ましがると、常人の状態(病気の状態)がすぐさま現れました。Bさんは、一見とても精進しているようですが、しかし精進の出発点は衆生の救い済度ではなくて自分の健康を保つためです。たくさん「三つのこと」をして師父にご加護を求めたく、だから「いつになったら終わりが見えますか」という愚痴を漏らしたのです。旧勢力はそれを迫害の理由にして、とうとうBさんに手を出したのです。

 師父は「師父は今日、厳しい言葉で皆さんを指摘しましたが、皆さんを警醒するためです。皆さんは世の人を救い済度し、彼らを目覚めさせ、彼らを救い済度したいと思っていますが、皆さん自身も目覚めるべきであり、悟るべきです。たくさんの仕事をすると、自分の修煉を忘れてしまい、これではいけません。皆さんは修煉者であり、これは皆さんの以前のこと、かつてのこと、またはあなたの表れを言っているのではなく、あなたの本質、あなたの生命の意義、あなたが背負った責任、あなたの歴史的使命を言っているのです。このようにしてはじめて、あなたは本当の大法弟子になります」[1]とおっしゃいました。

 実は、師父はずっと私たちのそばにいらっしゃって私たちを見守り、私たちが心から献身的に衆生済度をするとき、師父は何でも私たちのためにしてくださると、真に修煉をしている大法弟子は皆感じたことがあるでしょう。

 先日、明慧ネットでこのような交流文章を読みました。作者は旧正月の大晦日に法輪功の真相を伝えるために出かけ、夢中にやって時間を忘れ、家に帰ったのはもう夕方の7時でした。中国では、除夜の晩餐は一年中の最も重要な晩餐で、一番美味しいものを並べて、盛大に祝うのです。幸い子供たちはまだ帰って来ていなくて、作者はてきぱきと晩餐を準備して、たった30分で七つの料理を完成しました。やっている中で明らかに師父からの助けを実感しました。ちょうど晩餐が用意できたときに子供たちは帰って来て、みんなが「美味い」と褒めました。

 私もこんなことを経験しました。ある年の大晦日の前日、私は真相を伝えるために出かけて、家に帰ったのは昼ごろでした。現地の風習によると、大晦日の朝には新しい対聯(たいれん・赤い紙にお祝いの対句を書いて、新春を迎えるときに表門の両側に貼る)を貼るのですが、我が家はまだ対聯を用意していませんでした。市販の常人のものを使いたくありませんし、どうしようと考えたときに、ある同修が来て、自転車のハンドルに細長く切られた赤い紙を2枚掛けていました。「路上で拾ったものです。きっと誰かが対聯を書いてから余った紙を路上に捨てたのだと思います」と同修は話しました。私は、「我が家にはまだ対聯を準備していないのを師父は存じなので、あなたに赤い紙を持ってくるように按排されたのです。師父に感謝します」と言いました。午後、近くに住んでいる同修を呼んできて対聯を書いてもらうとき、私の姉は肉、饅頭、お餅を持ってきてくれました。対聯も食べ物も、私が準備していないものは師父の苦心の按排のおかげですべて揃えることができました。

 生活に少しも不自由をしたくなく、自分と家族のために周到に用意する修煉者がいますが、しかし常人レベルに落ちたら、どんなに周到に用意しても限界があり、師父からの加護も感じられなくなるのではありませんか?

 大法弟子が存在する意味は衆生済度にあり、もし大切な時間を家族の生活のために用い過ぎると、自分の生命を無駄にするのと同じではありませんか? 同時に家族も知らず知らずに業力を作ったことになり、それは家族に対しても良いことではありません。一方、時間を切り詰めてやっても、私たちに残された時間は、あとどれぐらいあるでしょうか!

 先日、明慧ラジオ番組『師恩を追憶』を聞きました。番組にある貴州省の修煉者の話によると、1994年の旧正月の前に、ある煉功点は「学習者らに正月の家事をする時間を与えるために、集団煉功を3日休む」という知らせを出しました。しかし師父の目をごまかせるものではありません。貴州輔導站の責任者は師父から電話で、「そちらは、旧正月に法輪功の修煉を休むのですか」と聞かれました。

 瞬く間に20年余り過ぎました。今の大法弟子は成熟したはずなので、修煉には休暇などないことは分かるはずでしょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/19/361963.html)