消極的な考え方を変えると悪いことが良いことになる
■ 印刷版
 

 【明慧日本2018年2月27日】この一年来ずっと魔難が続きました。一昨年旧暦の12月25日に同修2人が不当に連行され、1月25日に父がタクシーにはねられて脳出血になり、ICUに12日入りました。義理の父は夜眠れず、心臓の負担が重くなって耐えられませんでした。1月23日に社長が地方に行って営業を始めたので、工場では生産以外の仕事を私がやらなければならなくなってしまい、妻と母はしょっちゅう不機嫌になり、5歳の息子は時々熱を出しました。協調人の同修2人が病業の形で迫害され、相次いで亡くなりました。プリンターが故障し、資料拠点を運営しなければならなくなり、新唐人テレビの受信機の電波がなくなり、真相を伝える携帯電話のカードの残高がなく、迫害を受けている同修のために弁護士を探すことなど、一連のことを考えて頭が痛くなりました。「忍び難がたきは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]でした。

 法を正す最後の時期になり、想像できないような巨大な代価を師父が背負ってくださり衆生を救うための時間なのに、私はより多くの力を出して衆生を救い済度することができませんでした。 私の修煉には大きな問題が存在しています。どうすればいいでしょうか? 師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[2]と説かれました。修煉の中で煩わしいことがないことは不可能でありこの煩わしいことの中で自分の執着を見つけなければなりません。師父は「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです。修煉者は、常人の心を持って、業力を持って、執着を持って円満成就することはできません」[3]と説かれました。 

 一、父の入院は外での私の煉功を促した 

 父がICUにいるので、24時間家族が病室で留守を守る必要があり、私はいつも呼ばれます。というのも、私は息子で責任があるので、夜7時から朝7時までが私の当番でした。 朝8時から子供を学校に送り、昼間は仕事をしました。これは、体力的に厳しい試練でした。師父は「皆さんは考えたことがあるのでしょうか?  修煉は最も良い休みです。あなたが睡眠で得られないリラックスを得ることができます。煉功して疲れて、今日何もできないと言っている人はいません。煉功で体中が楽になり、一晩寝ていなくても眠くなく、元気いっぱいだということはあります。一日仕事をしてもまったく何もなかったかのようです。そうではありませんか?」[4]と説かれました。 

 この難を無事に乗り越えるためには、煉功でしか解決できないと悟りました。修煉しない人々の前で煉功することは1999年7.20以降は留置場で煉功しただけで、その時は、迫害を受けていたので、仕方なく煉功しなければなりませんでした。 

 師父は「これによって一部の地区では環境が緩和されたと感じます。公園で煉功している人や地区もあり、音楽が流され聞こえています」[5]と説かれました。師父がすべて按排してくださり、外へ出て煉功できるのだとわかりました。しかし、安逸心があるために、ぐずぐずして外で煉功できませんでした。現在、病院で看病しており、退路がなくなり、師父が私を前に押して外で煉功させようとなさったのだ、と悟りました。 

 父が入院した日から外で煉功を始めました! 病院の廊下、病室、公園で音楽を聞きながら、朝の煉功の素晴らしさを感じました。1999年7.20から、五式の功法をすべてすることはほとんどありませんでした。静功をする時は入静しなければならないにもかかわらず、座禅は10分か20分で崩れてしまいました。第一功法はしたくなく、站椿はほとんど立っていられず、毎日第三と第四功法だけ煉功していました。昨年2月23日、父が入院して2日目、それは外で煉功した1日目ですが、五式の功法を全部することができました。静功を行なう時、再び卵の殻の中に座っているように感じ、站椿する時も動きませんでした。これは安逸心を取り除いた結果だと思いました。現在、毎日公園に煉功しに行き、家から公園まで歩いて10分かかりますが、この10分の最大の作用は、起きた時いくら眠くても、家から出て煉功場に着いたら目が覚めるということでした。 

 父は現在、誰かが手で支えれば歩けるようになりました。父は以前、正式に修煉していませんでしたが、大法の本を読んだり、法輪功の真相を書いたお金を使い資料を配ったり、私の江沢民告訴状に署名しました。師父が法を得たすべての人を保護してくださっていることがわかりました。父は仕事をしていた時、共産党の支部の書記を務めていたことがあり、党文化の毒害をひどく受けていました。お酒が大好きで、お酒がなければご飯がのどを通りませんでした。

 事故の当日、車にはねられた時、父の頭はフロントガラスにぶつかり、ガラスが割れてしまいました。現場でのブレーキ跡は23メートルありました。医者は脳出血と診断しました。交通警察の話によると、この状況ではほとんど命の見込みがなく、当時医者も葬式のことを考えるように言いました。私は「師を信じ法を信じれば問題はない」という以外、他の考えはありませんでした。父とはICUで毎日午後3時半に面会することができました。私は毎日MP3で師父の説法の録音を流し、ICUの医者と看護師も手伝い、MP3の電池が切れると私に教えてくれました。 

 父は母と一緒に録音を聞いたり、功法を学んで、動作がうまくできなくても煉功を続けました。お酒が飲めない状態だったので、そのうち、飲みたくなくなったようでした。今回の出来事は悪いことが良いことになり、父は大きな業力を滅し、現在正式に修煉を始めました。 

 二、岳父が病業の関を乗り越えた 

 岳父は1999年⒎20の前すでに法輪功を修煉していましたが、迫害に遭った後、追いつけなくなりましたが、真・善・忍の種を心に撒いていました。学法を堅持していなかったので、昨年の末、岳父の意識はぼんやりしていました。岳母は岳父に学法と煉功することを勧めました。岳母は元々体が弱くて病気ばかりしていましたが、修煉してから元気になり、家庭の中でも外でも働き者になりました。そこで、岳父も煉功が体に良いと信じるようになり、昨年の末から毎日学法と煉功をするようになりました。『轉法輪』を5、6回勉強し、自分の体がよくなったように感じました。しかし、正月が開けて、夜眠れなくなり、昨年3月、心臓が飛び出したようになり、毎日眠れなくなりました。地元の同修も発正念をしてくれました。しかし、一向によくならず、岳母が私に電話してきて、どうすればよいか、と聞きました。その言葉には病院に行こうという意味がにじみ出ていました。当時、岳父は10回『轉法輪』を読み、毎日2回煉功し、修煉したいと思っていましたが、あまりの苦しさにどうすればよかったのでしょうか? 

 人が世に来たのは大法を得て修煉するためであり、岳父の状態は明らかに難を通過中で、しばらくの間修煉していなかったため、旧勢力が魔難を加えて修煉に戻させないようにしていたのでした。本当に病院に行ったら、病業の関をうまく乗り越えられず、修煉をやめるかもしれませんが、それはとても惜しいことでした! 岳父が耐えられなくて大法に損失をもたらし「病気にかかっても、病院に行かせない」と誰かに言われることを一部の同修が心配しました。しかし私は「正念が足りて、師父と法を信じ、全身全霊になりさえすれば、どんな状況が現れ、死んでしまう場合があっても、念を動ぜずにいればきっと難関を乗り越えられる」と思いました。 

 父が入院して、朝6時に看病してくれる人が私と交代し、私は8時半に出勤しました。そして、私は急いで6時半に岳父の家に行って1時間発正念をし、それから岳父と交流し、毎日の考えを聞きました。そして、引き続き学法し、法にしたがい修煉を続けるように岳父を導きました。岳父は少しずつ観念を変えていきました。そして、岳父は自分の体のつらさを病気と思わず、消業であると認識しました。そして、自分の病業状態が恐れることによって引き起こされてしまったことを知りました。つらさが大きくなり、時間が長びいて死ぬことを恐れましたが、学法を通じて「つらさや痛みで人が死ぬことはない」とわかり、それは「精神的な原因がその人を死なせたのです」[1]ということであり、だんだんと岳父は「自分に病気がある」という思想観念を排斥すべきだとわかりました。他の同修も助けに来て、十数日後、岳父はすでに痛みに耐えられるようになりました。私は毎日岳父のところに行かなくてもよくなり、1週間に1回見に行き、2週間続きました。そして、私は全身全霊の意味と現れを知りました。 

 岳父は夜、眠れるようになりました。あっという間に半年たって、現在岳父は毎日少なくとも一講を勉強し、また、各地での説法を読み、1回~2回煉功をしています。岳父のことから、病業の形で肉体を失った同修を連想しました。他人のことを自分のことのように対応せずに、同修が迫害を受けた時、私は全力を尽くしませんでした。師父と同修にお詫び申し上げます。 

 三、家庭の矛盾は私に嫉妬心を見極めさせた 

 父の入院に関わった人と物事が多かったので、直面しなければならないことも多かったのです。時間がなく、体も疲れて、心を煩わせて、人によって物事を処理する考え方が違うので、うまく処理できないとトラブルになってしまいました。妻と母は時々不機嫌になり、口げんかはしませんでしたが、心の中で気が合いませんでした。 

 嫁姑の問題はなぜ解決しにくい問題なのでしょうか?  この間の妻と母の観察を通じて、最も大きな問題は「自分を堅持し、何でもかんでも自分が正しく、相手を理解できないことだ」と思いました。直接的な現れは嫉妬心にあり、他の人を見下していました。その時、息子として、また夫としての私が大切な役割を果たしました。実は、私にもひどく他の人を見下す嫉妬心の表れがあり、そのため「妻は食事をすることに気を使わず、学法をしていない」と感じました。母は心が狭いと、責めるばかりでした。妻と母は互いに見下して、嫉妬心ばかりで、どのように自分を修めればいいのかがわからないのでしょうか?  なぜ自分を振り返ってみないのでしょうか? 

 心の中で本当に疲れて、目に映ったのは妻と母の不足で、トラブルがよく起きて、時間が経つにつれ、自分がおかしいと思い、自分にも問題があるのではないか、と思いました。師父は「彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」[6]と説かれました。そもそも私にも嫉妬心があり、他の人の足りないところを見ても落ち着いて相手に教えることができず、相手の長所を見られず、それも嫉妬心の表れであり、人を見下した現れでした。嫉妬心を見極めた時に、妻が大変だというところを見ました。毎日、仕事、家事があり、また子供の面倒を見なければならないのですから。毎日仕事をして疲れ、家に帰って生活が不自由な父と、心性を守れない時に責めるばかりの母に直面しています。母も大変であり、もう80歳近いのに気丈で他人をあてにせず、70キロの父の体を毎日数えきれないほど運んでいます。 

 嫉妬心を取り除いた後、慈悲心が自然に生じ、師父が説かれたように「それは一種の洪大な寛容であり、生命に対する慈悲であり、全てに対して善意をもって理解するという状態なのです。人間の言葉で表現すると、相手のことを理解することができるということです」[7]を感じました。執着心を見つけた途端に家庭のトラブルが解決しやすくなりました。 

 息子が熱を出した時は、本当に恥ずかしかったです。息子は今5歳で、生まれた時に1回注射したことを除いて薬を使ったことがありません。私と妻が修煉しているので、息子も法の為にやって来たのでした。息子の熱が出た時はほとんど、私と妻の学法が足りなかった時だったのでした。 

 四、消極的な態度を変える 

 この間、本当に多くの出来事が起き、よくないことを聞いて頭が痛くなりました。現在、心を静めて探した結果、容量がある程度に達してしまった時に限って、やっかいなことがいやになり、静かな生活を求めてしまうのでした。この過程を振り返って、ICUの医者と看護師が父と接触してMP3の内容について聞いたので、天安門焼身自殺事件の真相がわかり、中国共産党のうそと邪悪を見極めて、三退しました。父は2カ月ぐらい入院していて、同じ病室の患者は常に入れ替わり、患者はみな三退して行きました。毎日野菜を買う時に会った人々が三退しただけではなく、真相が書かれた紙幣を月に5、6千元使いました。この過程が難しく面倒なことばかりになっても、結果はよかったのでした。  

 大法弟子として面倒なことを厭わずにいれば、現在接触している人々が真相を聞きに来るのです。私たちは世の中で師父に手伝って、衆生を救い済度しているのではないでしょうか?  そうであれば、積極的な態度ですべての物事を取り扱わなければなりません。 

 今、思想のなかで消極的な考えが浮かんだら、それは考え方を変えると悪いことが良いことになるので、いいことなのだと自分に言い聞かせました。師父は「ですから、何かトラブルに遭った時こそ、自分自身の黒い物質を白い物質に、つまり徳に転化させる時だ、とわたしは言うのです」[1]と説かれました。もちろん物事が多くなると、旧勢力の妨害や迫害も大きくなってきます。 

 20年の修煉過程を振り返ると、人間から神への過程で、喜びもあり、失望もありました。現在多くの遺憾が残っており、大きな威徳を修めていないので、救うべき生命を失ってしまいました。師父と衆生にお詫び申し上げます。 

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」
 [4] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [6] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「時間との対話」 
 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/18/359756.html)