生命の来歴についての僅かばかりの悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年8月20日】私は若い世代の大法弟子です。1998年の末に母が法輪大法を修煉し始めた当時は、自分はまだ幼い子供でした。何も分からないまま母について入門して、修煉の中でぶつかったり、つまずいたりして多くの奇跡を体験しました。今日、その中のほんの僅かな一部ですが、皆さんと分かち合いたいと思います。個人の体得ですので、適切でないところがあれば、同修にご指摘をお願いします。

 「50」

 私は小さい時に南側の天門に行ったことがあります。それは本当の南側の天門ではなく、ただ自分の空間場範囲内での自分に見えるべき「法」の現われに過ぎません。南側の天門の色は、観光スポットでよく見られる赤い漆(うるし)の扉と同じです。それは俗世間にある真っ赤な色ほど濃いものではなく、中から外まで神聖な雰囲気に包まれていました。私はその天門を見て、なぜだか心の中から慚愧(ざんき・ 自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと)の思いがしてきました。恐らくは、心性において漏れがあったために、恥ずかしく感じたのでしょう。天門の柱には金色の竜が彫刻されており、生き生きとた表情をしています。そして、竜の目はずっと私を見つめており、私はどこに立っても逃げることができず、竜にじっと見つめられていました。人は何をしても天が常に見ており、良し悪しは、天がすべて知っていることを、あの竜の目は私に教えているのだと思いました。そして、次元の関係で私の見た南側の天門はスッカラカンで、何もありませんでした。

 私は雲の奥深い所へ行くと、突然目の前に多くの人が現れました。彼らの身体はみんな白くて、あるいは透明体で、世間の人と異なり人間の魂のように見えました。しかし魂とは違っていて、きちんと思惟を持ち「善」の集合団体です。彼らは一面の白い壁を囲み、その壁には何もなく、巨大な白い雲のように果てしない空に聳(そび)え立っていました。彼らは我先にと争って、あの不思議な「壁」に触っていました。私も好奇心でそちらの方に行って触ろうとしました。その際、自分は空中に飛び上がり、右手であの壁に触った瞬間に、壁に突然「50」という数字が現れました。

 私はその数字が何を意味するかが分からず、微かに時間と関係があると感じました。時間はとても迫っており、時間を無駄にせずに修煉すべきなのだと思いました。

 人間の「煉獄」

 私は二度、異なる時空に行ったことがあります。一度目は宇宙人の空間です。ある高層ビルの中は周りはとても静かで、自分の足音しか聞こえませんでした。そこでは、人類は無表情で機械を操縦しており、手にバーコードが付けられていました。1人の赤ん坊が鍋のような器具の中に置かれて、とろ火で煮付けられていました。ここはそれでもまだいいほうで、一番怖いあの空間とは言えず、本当に恐ろしいのは、私達のこの物質空間と密接な関係がある、人類の別の一層のあの空間場です。

 その空間の全体的な色調は黒一色で、空は暗くてどんよりとして、とても重苦しく感じました。人々は魂を失った殻の肉体だけが歩いており、固まった屍(しかばね)のようでした。大法弟子ははっきりと覚めていますが、ただ人数がとても少なく、1万分の1にも達していません。私と母の意識ははっきりとしていました。私達は大法を修煉しているからです。しかし、私の父はそうではなく、すでに三退をしましたが、党文化をとても多く持っており、その空間場の中に魂がおらず、「迷いの中の人」でした。大法弟子はみんな1冊の大法の本を持っており、その本で「迷いの中の人」を叩くと、一部の人は目が覚めてきます。しかし、一部の人は深く迷ってしまい、いくら叩いても目が覚めず、私の父は目が覚めない人の中の1人でした。

 その空間場の中にもう一つ、とても邪悪な霊体がいました。それは悪魔の化身、サタンの代弁者で、すなわち邪な中国共産党の魂でした。彼はタクシーを運転しながら、目覚めている人を次から次へと、その暗黒の世界の中へ投げ入れようとしていました。彼は憎々しげに私を見つめて、私を魂のない人にさせようとしました。私は彼が何を言ったのか聞こえませんでしたが、私を殺したいという思いが伝わってきました。しかし、私は少しも恐れませんでした。というのは、師父の法身がいつも私を見守って下さっていたからです。その邪霊は本当に邪なもので、人を人間としてみなさず、気の向くままに道具のように人間を利用しているのです。邪霊はある「迷い人」の髪の長い女の子を掴んで、私を殺させようとしました。しかし、その「迷い人」は私に当たった瞬間、煙が出て、触れた部位からだんだんと溶けていきました。その様子を見ているだけでも痛々しく、可哀想だと感じました。彼女は本当に形神全滅になり、何もかも跡形なく、すべてなくなりました。

 法を正す時期の大法弟子と「法がこの世を正す時期の人」(叩かれて、目が覚めた人)とは違います。邪霊は大法弟子の体内に入ることが全くできず、大法弟子の身体に当たるとすぐに溶けてしまいます。しかし、「法がこの世を正す時期の人」はそうではなく、邪霊にぶつけられたら細心な注意を払わないと、再び「迷い人」になります。その空間の中の最後のシーンでは、遊園地の中の一節節繋がれているおもちゃのような汽車が走っていて、大法弟子を載せてその世界を離れていきました。

 この二つの空間で経験したことから、私は人身は得難いものだと深く感じており、さらに大法を得ることが出来たならば、それは一体どれほどの幸運なことでしょうか!!

 一歩の距離は十万八千里

 私がある世で転生したのはある1羽の白色の凰(おおとり)でした。同門弟子の兄がおり、彼は赤色の鳳で、「朱雀」(すざく)と言います。私達は神鳥ですが、自分の威徳がありませんでした。あの世の師父はある日突然、私達2人を呼ばれました。私は兄よりもずっと早く着きました。そして、師父が人間となり、法を伝えることを命じられたことを知りました。その時、私は嫉妬心が芽生え、兄が自分より強く偉くなって欲しくはなく、大法を得て欲しくもありませんでした。そこで私は2の赤い鳥になって、途中で兄を邪魔して遮り、彼を遅れて下界に降りさせました。多くの威徳を積まさせないように、また、それによって大法との機縁を見逃すように、わざと邪魔しました。

 兄は遅れてこの世の師父の所に着きました。師父は「どうして遅れましたか?」と尋ねられました。兄は「途中で2羽の鳥に遮られました」と答えました。あの時、師父は自分が兄を邪魔し、道を遮ったことを知っておられたようで、自分にははっきりと感じ取れましたが、何も言われませんでした。この事で、私が将来世間の修煉の途中で、きっと大きな災難に見舞われることを、師父は知っておられたからです。

 最終的に、兄は自分の思い通りに、自分より遅めに下界に降りて来ました。私と兄は世間でそれぞれ自分の威徳を積み上げていきました。ある世では、私達は同じくして釈迦牟尼佛の弟子になりました。自分は上界で嫉妬心が現れたのが原因かも知れませんが、あの時、兄について何も言えず、不思議な感情になり、嫌いでもなく、かと言って好きにもなれず、ただ兄に会いたくありませんでした。もし兄と同じ都市に住むのなら、自分は別の都市に行き、とにかく兄を避けるように、遠く離れれば離れるほどよいと思っていました。

 「三十三層の天の中には、恨みの天が最も高い所にあり、ありとあらゆる苦しみの海の中には、情の海があり、ここが最も苦しみをなめさせられる」という言葉があります。「情」という関はすべての「難」の中で、最も難しい関門とは言え、出会った災難は人によってそれぞれ異なっています。自分は上界で嫉妬心が生じ、また下界でも自分の過ちを覆い隠して逃げようとしたため、ある世で、佛国聖地に飛んで向かった時、歩先の敷居の前でピタリと留まりました。自分は凰に変身し、いくら上に、上に飛んでいって乗り越えようとしても、どうしてもその敷居を乗り越えられませんでした。自分がどんなに高く、高く昇っても、敷居もどんどん高くなり、目の前の佛国聖地に入ることができず、あと一歩の距離をどうしても乗り越えられません。ある見えない力が自分を遮っているのを明白に感じました。先ほどまでは平らだった階段が突然、底知れぬ深淵に変わりました。あと一歩の距離をどうしても乗り越えられないため、自分は圓満できず、そして、夢の中で泣きじゃくり、目が覚めました。

 法を得た後、師父の説法を思い出しました。「功柱の高さがそこまでしかないので、それより高くは上れなくなります」[1]  師父はまたこのようにも説かれています。「修して執著を一つも漏らすこと無きを得れば」[2]  しかし、私には漏れがあるため、高く上れなくなりました。

 私はこの前世のストーリーを簡単な短い言葉で述べましたが、一つ目の目的は、過去の失敗を繰り返さないようにし、自分の過ちに直面して、「修して執著を一つも漏らすこと無きを得れば」の境地に達するように自身に警告するためです。二つ目は、今生の機縁を大切にして、外れる来世を当てにしないように、世間の人々に忠告するためです。今生は人身を得ましたが、来世も人になるとは限りません。

 ここで、自分が上界で犯した過ちに対して、兄に一言、厳粛にお詫びをします。兄さん、本当にごめんなさい、許してください!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「迷いの中で修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/20/371235.html)