私を苦しめていた 重い鉄製のチョッキが不必要に
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 【明慧日本2019年1月15日】私は中国の東北出身の法輪功学習者です。中学校の時、同級生の不注意で大怪我をしてしまい、左の鎖骨を骨折しました。治療を受けましたが、1カ月後、左の腕は45度しか上がらなくなり、右手の助けでやっと頭にタッチできる程度です。

'手持铁球、身穿钢背心'
リハビリ用の鉄球を握り、鉄製のチョッキを着ている私

'穿钢背心(后面)'
鉄製のチョッキのうしろ側

 1975年の春、私は知識青年(文化大革命中の都市の初級・高級中学の卒業生を指し、彼らは辺鄙な農村を支援するために動員され、そこに住みついた)として農村に送り込まれました。1979年の春に都市に戻り仕事に就きました。1981年の秋、職場で仕事中に大怪我をし、第2から第4脊髄は歪み、第5脊髄は二つに割れ、頚椎は圧迫骨折しました。両手は長年に渡りしびれ、壊死させないように2個合わせておよそ500gの空芯の鉄球を持ち、常に両手を動かしています。脊髄を損傷しているため寝返りできず、1年中仰向けで寢っていました。1年後に、医師に鉄製のチョッキを着るようにと言われました。鉄のチョッキの前は1枚の牛革、うしろは幅5センチの牛革ベルトで4本の鉄の腰当てを固定しています。24時間これを腰につけ、牛革が汗で老化するため、2年ごとに交換する必要があります。新しい牛革は固くて肋骨と寛骨にあたり痛くてたまらず、身体に馴染むまで1カ月以上かかります。私はあわせて6、7回交換しましたが、いつも馴染むまで腰の皮膚はすられて皮が破けて剥がれ、しかも夏の時期には汗が出ると、いつもとんでもない痛みに襲われ非常に辛かったです。

 1983年、私は歩く時も腰痛があるため、店で特製の自転車を組み立てました。それは自転車の前輪を大きくし、後輪を小さくすることによって、乗る時に両足が地面に付けられます。この自転車に乗って公園に散歩に行けるようになりました。その後、顔に疔毒(ちょうどく・疔瘡の重症なもの)ができ、身体が腫れて痛みがありました。検査を受けると脊椎の神経が圧迫されて右の腎臓が萎縮し、排毒できず、悪血が溜まっていました。医師に「犀黄丸」という薬を飲むように言われました。この薬の毒性が強いため、1日1、2粒しか服用できず、1週間後には止めるしかありません。しかし、1週間飲んでもせいぜい1カ月程度しか効かず、また飲み続けるしかありません。薬は胃に強い刺激を与えてしまうため、胃薬や点滴も合わせて受けました。

 こうして3年後には胃腸も悪くなり、毎日下痢していました。温かいものを食べても、胃に入るとまるで氷のようで、西洋薬、点滴を打っても効きませんでした。専門家に診てもらいましたが、いい手当てがなく、このように維持するしかないと言われました。そして、医者からある民間処方を教えてもらいました。食事する前に熱燗を飲むことです。まず喉からへそまで暖かくなるまでお酒を飲み、それから食事をとることでした。試してみると本当に少し効果がありました。最初はお酒が100mlで足りましたが、その後、飲む量が足りないと効果がでなくなり、1996年5月頃には、すでに食前に500mlの高アルコールのお酒を飲むようになっていました。私は鉄のチョッキを身につけ、食事するたびにお酒を飲み、2、3カ月ごとに疔毒が出て、そのため犀黄丸を飲み、同時に点滴と西洋薬を飲み続けました。十数年間、生きているのに死んだ方がましというような生活を送っていました。犀黄丸も1991年に1粒100元以上に値上がりし、毎年会社から1万元清算して戻してくれましたが、医師からは文句を言われました

 1996年5月14日、親戚の紹介で法輪功のビデオを見ました。翌日、私は煉功点へ法輪功を学びに行きました。左腕は上がらないので、右腕だけで動作を練習しました。また、腰に付けた鉄のチョッキがあるためにしゃがまれず、立ったままでやりました。毎朝、特製の自転車に乗り、2つの鉄球を持ちながら煉功点に行きました。4日目、煉功点の補導員に「兄さんは法輪功を信じていますか」と聞かれました。私は「信じなければ、どうしてここに来ますか」と答えました。でも振り返ってみると、当時の私は本当に信じていませんでした。補導員はまた「もし法輪功を信じるのなら、その2個の鉄球を家に置いてきてください」と勧めました。私はすぐ「いいですよ。明日からもう持ってきません」と快諾しました。しかし、5日目にまた持ち出して来ました。なぜかというと、すでに毎日の習慣になっていたからです。煉功点に行く途中で気づき、鉄球をポケットにしまいました。帰りも鉄球を持ち出すことを思い出せず、手も痺れませんでした。

 6日目に奇跡が起きました。第一式の動作が終わり、私は北の方角へ顔を向け目をつむったまま立っていると、北東の方角から黄色い円いものが飛んで来て、私の左肩を打ったように感じました。私はよろけて私を打った者は誰だと思いました。しかし目を開けると、全ての人が私から1メートル以上離れて、静かに立っていました。誰も私を打っていませんでした。先ほどの円いものはまさに法輪だと気づきました。法輪功の先生が私の身体を調整してくださいました。この時にちょうど煉功の音楽が「衝灌」になり、私の左腕は音楽に従ってなんと高く上げることができました。もう涙が溢れ出て止まれませんでした。

 8日目には十数年ずっと付けていた鉄のチョッキがきつく感じ、付けたままではしゃがめないので、第三式が終わってから外しました。そして、第四式はしゃがんで動作をすることができました。私は本当に嬉しくて感無量でした。その場にいる他の法輪功学習者達もその奇跡を目にしました。あれから鉄のチョッキと二つ鉄球は二度と使うことなく、無用の長物になり、私の人生の記憶の証になりました。私はすぐに特製の自転車を処分し、今は普通の自転車に乗っています。さらにすごいことに、手押し車で150キロの物も運べるようになりました。

 法輪功を学んでから、私は一度も薬や注射を受けず、あの胃袋を温めていたお酒も必要としなくなり、一滴も飲んでいません。そして、病院に行くこともなくなり、一銭の治療費の清算も会社へ出したことはありません。ザッと計算すると、少なく見積もっても地元の財務に医療費20万元(およそ400万円)を節約できたことになり、私も病気の苦痛から解放されました。もし、法輪功を学んでいなければ、もう生きていないかもしれません。法輪功の先生の救い済度に心から感謝いたします!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/19/223944.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/25/117372.html)