神伝医道と扁鵲の心臓移植について一考する
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文/中国の大法弟子 尋真

 【明慧日本2019年3月29日】

 長桑君から医道を伝授

 『史記』の「扁鵲列伝」の中にこのような物語があります。扁鵲は若い頃にある官舎の舎長でした。賓客の長桑君はよくその官舎に立ち寄っていました。毎度、扁鵲は長桑君に対して丁重に待遇していました。長期にわたり、長桑君は主に道徳や品行について、扁鵲のことをずっと観察しており、扁鵲がただものではない人物だとわかりました。

 それから、知合って十数年余りが経ったある日のこと、長桑君は扁鵲を呼んで2人だけで対坐し、「私は秘法の医術を心得ているが、年老いたのであなたに秘法の医術を伝えたいと思う。他言しないように」と密かに言いました。扁鵲は「謹んでお言葉に従います」と答えました。

 そしてある日、長桑君は懐中の薬を取り出して扁鵲に与え、「これを雨露(あめつゆ・うろ)で飲み、30日つと不思議な現象を見ることが出来るようになるであろう」と言って、秘法の医術書をすべて扁鵲に手渡しました。その全てを扁鵲に与えると長桑君の姿が突然、消えました。長桑君の言葉に従い、扁鵲は雨露で薬を飲んだところ、30日経つと塀をへだてた向こう側の人の様子を伺い見ることができました。その目で病人を診ると、見ただけで五臓のしこりが全て分かり、病原の所在までも突き止めることが出来るようになりました。しかし、扁鵲はともかくも世の人には、脈を診て病状がわかると言うことにしておきました。

 扁鵲はこうして医者になって、斉あるいは趙に住み、趙に居た頃に扁鵲と呼ばれるようになりました。

 ですから、扁鵲は脈を診る漢方医の「第一人者」と言っても過言ではありません。

 扁鵲は遠隔透視功能をもつ

 司馬遷の『史記』の「扁鵲倉公列伝」で、扁鵲が虢(かく)という国に立ち寄ったとき、国中が葬儀のようでした。宮殿の医術を好む中庶子(ちゅうしょし)の役人に尋ねると、「太子がお亡くなりになってからまだ半日も経っておらず、納棺もまだです」と答えました。それを聞いた扁鵲は「太子は仮死状態なので、今ならまだ間に合い、私に治せます」と告げたのですが、中庶子は扁鵲の言葉を信じませんでした。

 「先生は私を誑(たぶら・だまして惑わす)かそうとしておられるのでしょうか。何を根拠に太子さまが生き返るとおっしゃ るのですか。上古の名医・兪跗 ( ゆふ ) (伝説上の名医)ならばできもしましょうが、そうでもない限り無理だということは、幼い子供にでもわかりますよ」と中庶子は反論しました。

 「あなたの医術は、細い管で天を見たり、狭い隙間から中の有り様を見たりするようなものです。私の医術は、脈を診たり、体表の色を見 たり、体音を聴いたり、体を調べたりするまでもなく、病根のありかがわかるのです。外部の様 子から内部の様子が推察できますし、内部の様子から外部の様子が説明できます。信じられなければ、私を太子さまの所に連れて行き、太子さまが耳や鼻がまだ動いていて、足の根にまで温かいことを試させてみてください」と扁鵲が話しました。扁鵲は太子さまにまだ会ってはいませんが、その様子が手に取るようにわかるということは、「遠隔透視功能」を持っているということの証(あかし)です。

 中庶子は扁鵲の言うことを聞いて、すぐ国王に報告しました。それでさっそく、扁鵲は国王に迎え入れられました。国王は扁鵲に「先生は高尚な高い徳を持っておられ、高名な方であると耳にしていましたが、これまでにお会いしたことがありません」と話しかけました。扁鵲は国王に「太子さまは逆上したために死んだかのように見える、尸蹶(しけつ)という病気にかかり、仮死状態になっておられるだけです。陽気が下って陰気の中に入ってそれが胃を動かし、経脈や絡脈にまつわり、わかれて三焦(さんしょう)の下焦である膀胱にくだります。それゆえ陽脈は下にくだり、陰脈は上に向かって争い、八会の気がふさがれて通ぜず、陰陽の調和がくずれて顔色がなくなり脈が乱れました。そのために身体が動かなくなり、死んだようになるのです」と進言しました。

 扁鵲は弟子の子陽に鍼(はり)を用意させ、三陽五会に鍼をしました。すると太子さまは蘇生(そせい・一度死亡した、あるいはそれに類する状態になった人間が再び生命を取り戻すこと)したのです。また貼り薬も作り両脇の下に貼らせたところ、太子は起きあがって座りました。さらに、陰陽の気をつり合わせ、湯液を服すること20日でもとのように快復しました。このことによって、死者を生き返させる名医として有名になりましたが、扁鵲曰く「私は死人を生き返らせたのではなく、ただ、生きている者を起しただけです」と申し上げました。

 扁鵲は超常的な功能を持って人体を透視できますが、とても謙遜な先生で、物事の真実を見抜け、仮死状態の人を健康回復させただけだと言って、「天道を悖逆(はいぎゃく・道理にそむくこと)することはできません」と直言しました。

 扁鵲の透視功能

 扁鵲は斉国を通りかかったとき、国王である桓侯に謁見(えっけん)した。斉の桓侯(かんこうは、春秋時代・斉の第16代君主)は客人として、扁鵲を招待しました。朝廷で扁鵲は桓侯に「桓侯様はご病気です。皮膚と筋肉の間の病気で治療しなければ、体内に侵入してきます」と申し上げました。しかし、桓侯は「俺は病気なんかない」と信じませんでした。扁鵲が朝廷から出て行くと、桓侯は周りの者に「扁鵲が名利のために病気ではない者を治療して、自分の医術の功績を言いふらしたいのだ」と話しました。

 その5日後、扁鵲は再度、桓侯にお会いして、「桓侯様の病気は血脈にあります。このまま治療しないと、もっと深いところに侵入します」と再度、進言しました。それでも国王の桓侯は「俺には病気などあるはずがない」と言って、機嫌が悪くなりました。

 また5日後、扁鵲は国王の桓侯に会いました。扁鵲は再々に「桓侯様の病気が胃腸に入り、今、治療しないともっともっと深いところに入っていきます」と申し上げましたが、桓侯は何の返事もしませんでした。

 その5日後、扁鵲はまた国王の桓侯にお会いしましたが、何の話もせずに去って行きました。桓侯は不思議に思って、使いの者を派遣して理由を尋ねてみたところ、扁鵲は「病気は皮膚と筋肉の間にいるときは湯剤や湿布で治ります。血脈にいるときは鍼などで治せます。胃腸に入る病気は薬酒で治療できます。しかしながら、骨髄にまで病気が入ったら、人間の生命を管理する神でさえ治せないのです。今、桓侯様のご病気はすでに骨髄にまで入ったために、私にはもう治せません」と使いの者に伝えました

 果たして数日後に国王の桓侯の体が痛み始め、国王は扁鵲を探させましたが、扁鵲はもはや秦の国へ逃がれた後でした。そのことが原因で、とうとう国王の桓侯はそのまま亡くなりました。

 扁鵲の「透視功能」は他の空間にいる人体とそれらにかかわる事物についてまでわかっています。それについてのある記載(『列子』湯問篇)があり、扁鵲が「心臓移植」をした物語があります。魯の公扈(こうこ)と趙の斉嬰(せいえい)の2人には病があり、2人とも扁鵲にその治療を求め、扁鵲は治療にあたり、2人とも快癒しました。

 その後、扁鵲が公扈、斉嬰に「そなたらの病は外から内臓を傷めたものであったので、薬を施して治せるものであった。ところが今、生まれたときから抱えており、身体の成長と共にひどくなっている病がある。今そなたらのためにこの病根を取り除こうと思うがいかがか?」と尋ねました。2人は「まず、どのような病なのか、先生のお見立てをお聞かせください」と言いました。扁鵲は公扈に「そなたの志は固いが、氣が弱い。考え事が多い割りには、ここぞという時に決断ができない。齊嬰は志はもろいが、氣は強い。考え事は少ないが、向こう見ずなのじゃ。そなたらの心を取り換えるならば、2人の心がよくつりあうこととなろう」と話して聞かせました。

 2人の同意を得て、扁鵲は2人に麻薬作用がある酒を飲ませ、生死の境を彷徨わせること3日目、ついに胸を探り出して心臓を取り換えてしまい込み、神薬を投じて2人を目覚めさせました。2人とも、数日前となんら変わる様子もありませんでした。それから、2人は辞去して帰宅しました。しかし、公扈は齊嬰の家に戻りました。しかし妻子にしてみれば、彼は見知らぬ他人でした。一方、齊嬰も公扈の家に戻りましたが、妻子にしてみれば彼もまた見知らぬ他人でした。両家の者たちは共に一体これはどういうことなのかと訴え、扁鵲に説明を求めました。しかし、扁鵲の説明を聞くいて得心がいき、訴えを取り下げました。

 この物語はとても不可思議でしょう。二千五百年前に、心臓移植ができるものでしょうか? しかも生きている2人の心臓を交換したのです。高度な現代医学の発達している現在でも、不可能なことではないでしょうか。現代人は現代科学の角度からこの物語を神話や噂話(うわさばなし)としていますが、古代の医学は人体、生命の本質を研究していたのです。もし、扁鵲は公扈と斉嬰に性格上の病気が心臓からきていたとしたら、この空間が透視できるだけではなく、心臓そのものが代表しているもっと奥深い層のものが見えたに違いありません。しかし、今日の人類はそのような概念がなく、想像力が限られており、理解ができないのです。

 これらのものは「漢方医の精華」の部分で、現代の医学を超えています。現代医学はこれらを継承しておらず、批判して、捨て去ってしまったからです。現代の漢方医は処方と経験だけを継承し、精華の部分を「迷信だ」として信じようとしません。ですから、素晴らしい治療効果が出ないのではありませんか!

 北京にある中医薬大学では中医学の授業があります。しかし、その授業をする先生たちは殆ど、西洋医学出身者で、伝統的な漢方医の伝承者ではありません。西洋医学の解剖学、発生学、生理学、病理学が、漢方医の重要な評価になっています。中国の医療の行政政策や資金、資源からみると、これらは中国伝統医道とはかけ離れ、背いています。民間での多くの漢方の処方や不思議な技などは、「無神論」を訴えている中国共産党の下では、不明な現象であるとか、迷信であるなどと言われています。

 中国共産党が系統的に中国伝統文化を破壊している中で、伝承してきた漢方医学も瓦解(がかい・物事の一部の崩れから全体の組織がこわれてしまうこと)しており、自生自滅しています。そのため、世の人が本当の医道に対しての正確な認識が無くなりました。しかし、中国共産党が伝統を破壊し、天倫( 万物が調和を保っている自然の条理。天の道理)に対する絶滅的な悪い施策を終わらせ、世の人が伝統的な文化に対する正しい信念と中華伝統文化を回復できれば、神伝医道が再び現れるに違いありません!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/2/379797.html)