文/欧州の大法弟子
【明慧日本2019年6月17日】私はある大学で2003年に法輪大法の情報を見てから、その2年後に2人の中国人学生を通して法輪大法を修煉し始めました。
幼い時から農場で暮らした私は、勉強をしてエンジニアの学位を得た後、今の夫に出会い、家庭を築きましたが、両親の近くに住みたいし、子供をヨーロッパ文化の中で育てたいこともあったので、私たちはヨーロッパに戻りました。
ヨーロッパに帰ってきて、私は技術の仕事を辞めて語学を教えることにしました。このことは私に大法の活動に参加する時間と利便さを与えてくれました。学生時代の私は語学があまり得意ではありませんでしたが、今はとても興味を持つようになり、これは明慧ネットの翻訳に役に立つことになり、逆に言えば、明慧文章を翻訳することは語学を学ぶ意欲をさらに高めました。
ある日、一人の編集者にある言語の明慧を翻訳できるかと聞かれ、私はすぐni了承しました。しかし翻訳の手順が複雑で難しそうに感じたので、間もなくやめました。本気で参与し、そして続けて頑張ったのはその2年後でした。明慧チームの一員になれたことはどれほど光栄なことか、今になって体得しました。
協調人を通して心性の関門を通過する
私たちはチームの協調人に明慧ネットで掲載した翻訳文をチェックして誤りをフィードバックするよう依頼されました。編集者は丁寧に私に教え、私も時間をかけて覚えてから、すぐこの仕事に取り組みました。 しかし、最近になって、私が提出した修正に関するファイルが編集者に多くの苦痛と緊張をもたらしたことを知りました。その原因は、私が指摘した事はチームの一部のメンバーから疑問視されたからです。私は見つけた間違いを並べて、チーム全員にメールを送り、編集者の了承を待ちました。自分が翻訳文章の間違いをより簡単に見つけられるようになったと感じ、師父が私の能力を高めてくださったと思いました。
協調人は私たちに、1週間内のトップ文章と中国国内の法会の交流文章の翻訳の間違いを探し出すように求めました。一部の訂正のほかに、私が指摘し、編集者が承認した間違いは2017年7月以降、ほとんど訂正されていなかったことに気づきました。2017年のヨーロッパ法会の期間中、私は協調人に、「間違ったところを直しましたか? 時間がなければ私がやりましょうか」と言いましたが、彼に拒否されたので、安全性からの考えかもしれないと思いました。しかしその後、毎週の会議で協調人は続けて掲載済みの翻訳文章の間違いを探すよう強調しました。
神韻の推進期間中、私は中国国内の法会文章をダウンロードして休憩する時に読みました。間違ったところを見つけると、ノートに書き、それからパソコンに入力して編集部に送りました。私はトップ文章と一般の文章を含む2017年の中国国内の法会文章をすべて読み、正しくないと思ったころを一つ一つ書き出してファイルで送りました。編集者からは一部を訂正し、一部は間違っていないので訂正する必要がないとフィードバックしました。しかしネット上の文章を確認したところ訂正されませんでした。私は何度も協調人に尋ねましたが、2018年3月前まで明確な答えは得られませんでした。ヨーロッパ法会から9カ月後、協調人はネットに掲載済みの文章は訂正しないと言いました。
100編以上の文章を読み、その中から間違いを探し出してフィードバックした私にとって、このような結論はあまりにも大きなショックで、怒りを感じると同時に、失望感で全身の力が抜けたように苦しかったのです。どうしても理解できず、その理由を知りたかったのです。私は常人の立場から考え、これは時間と人力資源に対する大きな無駄遣いだと思いました。ネットの品質向上につながる機会を失なったことに納得できず、修煉をやめることさえ思ってしまいました。幸い私は再び学法をして新たに立ち直りしました。しかし毎月60ページぐらいの翻訳がゼロになり、私は翻訳をやめました。やる意味がないと思ったからです。学法しながらも私は涙を流して、納得できる説明を求めました。当時私の協調人に対する考えはマイナスのものばかりでした。
2018年師父の誕生日前後、私は祝賀の文章を翻訳することで翻訳を再開しました。しかし普段の文章は翻訳することができませんでした。本心では明慧の仕事に参与したかったのですが、何かに阻まれたように感じました。長い間、私は孤独で無力でした。チームの同修と交流したら、ほかのプロジェクトに変わるように提案されました。その時、私はついに明慧が私にとってどれほど大切なのか分かりました。6月から私は苦しみながら翻訳を再スタートしましたが、心性の壁にぶつかってから、まるまる3カ月でした。
師父は「常人の中であなたが何かを失う時は、あなたははっきり分かっていながら失うのではないですか?」[1] と語られました。
また師父は次のように示されました。「業力を転化させるにあたっては、しっかり自分を制御し、常人のように正しく対処できないことによる失敗を避けるために、平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません」[1]
さらに師父は「このような状態に到達したのは、みな自分自身の根基のおかげでしたが、それ以上向上しようとすれば、基準もさらに上げなければなりません」[1] とおっしゃいました。
すべてが私を高めさせるためなのに、私はまだ高まっておらず、関門をまだ乗り越えていないと悟りました。
私が頭の中で繰り返して協調人に不満を覚える時、実は外に向けて探していると分かり、自分の執着を捨てることこそ、この良くない状態が自然に消えると思いました。私は師父に私のマイナスの考えを取り除いてくださるよう求めました。
ある同修は私に『轉法輪』の中の嫉妬心に関する文章を読むことを勧めました。いつも真面目にやっている私は、自分が正しいと思い、自分が正しいから人の意見を受け入れないという執着心を無くすべきだと気付きました。これは私の顕示心と認めてもらいたい心にも関係があると思いました。
2018年のヨーロッパ法会の期間中、協調人と会うことになり、最初は少し緊張していましたが、実際に会ってからはすべてが順調で、他の同修との交流も大変スムーズになりました。協調人は私たちがより自由に仕事できるように努力しているのを感じ、私は感動しました。私の怨む心が消え、彼の慈悲を感じることができました。今回皆さんに会ってから、心身ともに楽になりました。
掲載済みの誤りが訂正されていない事は確かに残念です。それができれば明慧ネットの質の向上にも役に立つと思いますが、もう自分の感情を持って結果に執着することはありません。各方面からの意見を聞いて、それが本当に重要なのか、私にも確実な答えが分かりません。
年始のチーム会議で、私は総責任者にこのことについて聞きましたが、中国語明慧ネットでは随時に訂正すると答えてくれました。それから事情は大きく変わり、今私たちも文章の掲載前後に校閲の手順を入れ、校閲チームも立ち上げました。
師父は「魔難や不愉快なことに遭えば遭うほど、『このすべては私の修煉と向上のための階段だ』と逆の角度から問題を見るようにすべきです。皆さん、そうではありませんか?」[2]と語られました。
これらの執着心を見つけ、また難関を乗り越えて高めさせてくださる師父に感謝いたします。 去年のヨーロッパ法会の前、家族と食事しながら協調人と対面することにプレッシャーを感じると言ったら、「その人には長所があるのか?」と息子に聞かれ、私は迷わず「ある」と答えました。協調人が私に学法するように励ましてくれることが力になったのです。学法はすべての基礎であるからです。
皆と面会することにプレッシャーを感じましたが、同修たちに会った時は嬉しく思い、皆さんの情熱に感動しました。「なぜそれほどプレッシャーを感じたのか?」と内に向けて探し、自分の捨てるべき執着を見つけました。それは人に意見を認めてもらいたいという執着でした。 最近は何度も師父が人の口を借りして私を悟らせてくださいました。
数日前、姉の娘を神韻に招待したいので、都合のよい時間を教えて欲しいと姉に電話すると、姉は私が強制していると怒り、娘にとって何が良い事か、自分で決めさせたいと言われました。
息子は独立したいと言い、普段から私との交流が少ないのです。ある日家事をしていた私は登校の挨拶が聞こえませんでした。私は怒ってこのことを夫に言いました。夫が息子に、「嵐が来るから準備してね」と告げました。家に帰ってきた息子は先に私に謝り、話があると言いました。彼はパソコンに話したい内容を書き出して、日常の計画や生活等についての話をしてくれました。今まで教えてくれなかったのは、私がいつも批判して、自分の言いなりにさせたがっていたからだとも言いました。
このような出来事は、私に情への執着を捨てるように教え導きました。
また最近翻訳に回ってきた文章も、「人に自分の観点を受け入れることを強要する」とのタイトルでした。この偶然も師父からの修煉の助けだと分かりました。
今年の面会はただ単純にみんなと会ったのではなく、修煉上大きく進み、高度な整理の過程でもあります。面会後たくさんの事がうまくいくようになりました。息子とも理性的に交流することができました。自分に道理があると執着せず、家族に執着せず、何でも知りたがり、何でも自分がコントロールしたいと思わなくなりました。それらの執着を捨てたら、仲直りし、交流もうまくなりました。
以上は私の体得であり、間違ったところがあれば、ご指摘をお願いします。
ありがとうございます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は学法しなければならない」