疫病祈願効果の有効と無効について考える
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 文/ 古金  

 【明慧日本2020年5月10日】本文はいかなる信仰をも貶す意思はなく、ただ物事について論じるだけで、事実を直視し、理性をもって客観的に物事を考えられる大法弟子と交流したいと思う。

 この度西洋社会にも中共ウイルス(武漢肺炎)感染症が爆発した後、一部の西洋人は神への祈祷を始め、絶えず神の許しを求めたが、感染症はますます酷くなり、人類は事実を直視しなければならないようになり、神への祈祷は効果がなかった!

 実は歴史の経験と教訓は早々と人類に回答をしていた。時が移り変わり、他の神への祈祷はすでに効き目がなくなり、唯一創世主に祈ることだけが効果がある。

 以下に歴史上幾つかの突発した出来事を回顧したい。

 古代エジプトの祈りは茶番劇のよう、モーセの祈りは奇跡を現す

 紀元前約1400年前、モーセは古代イスラエル人を救い、エジプトから抜け出す時、古代エジプト人は彼らの神に祈祷したが、まったく効果がなく、まるで茶番劇のようだった。なぜ効果がなかったのか? 彼らが信仰した神は各種動物の形をした神で、正の神でなく、彼らを創造した真の神ではなかった。

 これに比べてモーセは神に祈り奇跡が起きた。なぜならば、その時のユダヤ教は正法の時期にあり、彼らは正の神への信仰を守っていた。

 古代ユダヤ教の祈りは演劇のよう、キリスト教の祈りは神の奇跡を顕す

 後になってユダヤ教は末法の時期を迎え、ユダヤ人はモーセの残した『旧約聖書』がすでに理解できなくなっていた。イエスはこの世に生まれ法を伝え、その弟子は後に『新約聖書』をまとめた。

 紀元33年、イエスはユダヤ人に迫害され、双方が神に祈った。ユダヤ人は神に祈ったが、演劇のようで効果がなかった。イエスと弟子は神に祈り死をもって自分を成就させ、復活して神の奇跡を顕し、使徒たちは世間で神の奇跡を行ない続けた。

 古代ローマの祈りは子供の遊びのよう、キリスト教の祈りは神の奇跡を顕す

 古代ローマの皇帝・ネロはキリスト教に対する迫害を始め、その迫害は300年にわたり、3回の大疫病を招いた。古代ローマは本土の神々に祈ったが、子どもの遊びのようで効果がなく、疫病神は相変わらず彼らを殺し、数人の皇帝は疫病に生命を奪われた。キリスト教徒はイエスの神に祈り、治癒の奇跡が現れた。この奇跡によってキリスト教に対する信仰は人々の理解と心服を得た。

 中世のペスト キリスト教の祈りは効果がなかった

 しかし、中世になってヨーロッパでペストの暴威を受けたとき、西洋社会のキリスト教徒は神に祈ったが、効果はなかった。多くの神職が感染して死亡したことで、人々は神職者に懐疑的になった。

 歳月が過ぎてゆく中でキリスト教はなぜ末法の時期を迎え、ユダヤの末法と同じようになったのか? それは人々が「三位一体」の新しい説を取り入れ、信仰が純正でなくなり、『聖書』を読む時も純正な理解ができなくなったためキリスト教の神は信徒の面倒を見なくなり、キリスト教徒はすでにイエスと神を信じなくなった。

 疫病が過ぎ去り、西洋社会で宗教改革が行なわれ、さらに新しい説が取り入れられ、ある教派は神職者の結婚を認め、宗教改革者のマルティン・ルターは「偉人」の名誉を授けられた。彼の墓の石碑には「私の言葉は神の言葉」だと刻まれている!

 イエスは人々に謙遜を教え、特に神の前では必ず謙遜でなければならず、神の前で自分の位置を正さなければならず、自分を神と見なすとは、身のほどをわきまえない、神に対する反逆と否定なのである。神を信じず、神の教えを理解できず、神の教えを履行しない人々は、教会の活動に参加しても、神は真の信徒と見なさないのである。もし人々が真に信奉しているのが神でなく、神に反逆した狂った信徒であれば、正信する生命はもはやないと言える。

 武漢肺炎の疫病について、各法門の教徒の祈りは効果がない

 歴史は無情であり、キリスト教のみならず、佛教、道教などの歴史上のすべての宗教は末法の時期を迎え、祈りの効果もなくなった。キリスト教の聖地バチカンで、多くの主教が疫病に感染し、西洋において感染症はますます重くなっている。中国では多くのキリスト教の修道士、佛教の尼僧、居士、道教の居士も疫病に感染した。感染が酷い時に彼らは神に祈ったが、効果はなかった。

 時が移り、神は入れ替わる

 『大明劫』の中の「大疫之劫」の説によれば、「人間の異なる地域は神の入れ替えによって守られている・・・。末法時期になるといかなる宗教も無力で、かつての神、佛に求めても効果がない」と述べられている。

 創世主は世に下られ、これがなぜ歴史上の宗教、明朝末期の『温疫論』(疫病論)を書いた神医・呉又可氏、大明疫病を治癒した道教法門も、もはや人間の面倒を見なくなった。それらの神に祈っても効果がないのである。

 『大疫之劫』の中では、「すべての希望が世界各民族に伝わっている救世主に期待を託され、中国文化では救世主を聖人という」

 なぜ大法の真言を念じれば効果があるのか?

 これには因縁関係があり、病を治すには病気の根源を見つけなければならない。

 『疫病の目』という本の中で、次のように書かれている。(1)古代エジプトの三回の大疫病は、神を信じるイスラエル人を迫害したことでもたらされた。(2)古代ローマ初期の三回の大疫病は、キリスト教徒を迫害し殺戮したことによってもたらされた。(3)明朝の終わりに天が明朝を滅ぼすための大疫病の際、『天が大明を滅ぼすと天が中共を滅ぼす』という文章の中で、その原因が見つかり、それは崇禎皇帝が兵家大道の修行者、名将の袁崇焕を迫害したことによって招いた。(4)今回の武漢肺炎は、中共が法輪佛法を迫害し、虚言をもって世人を欺き、世界の多くの国と人々を迷わせ、彼らに追随し、中共が佛を滅ぼし、信仰を迫害する大罪に加担することによって招いた。

 昔は誠心誠意に神に祈ることで効果が現れた。この度は神に求める必要はなく、誠心誠意に真言を念じるだけで効き目がある。なぜなら法輪大法は末劫の時期に災難から衆生を救っているからだ。

 明慧ネットには「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」を念じたことで起きた奇跡の実例が多くあり、武漢肺炎の患者だけでなく、末期の患者もこの真言を念じたことで速やかに回復した実例は数えきれない。中国での迫害が厳しい中で誠心に念じれば、速やかに効果が現れるのだ。

 もちろん、直接あるいは間接的に大法を迫害したことのある人は、誠心誠意に大法に懺悔し、真心で自分の過ちを補う必要がある。なぜならば真に懺悔せず、死ぬ間際に佛の足を掴むようでは、それはショーとして神に見せるだけで、神の目はすべてを見通すのである。

 歴史の立証と現実の警鐘の余韻は耳に残り、見て見ぬふりをする者の結末は、すでに歴史と現実の教訓から結果が出ている。

 すべての生命が大切にされるべきで、かつて正の神の対立面に立ち、中共の迫害に参与したとしても、それは中共の虚言に惑わされた結果で、虚言から抜け出し、本性に回帰し、最後に救われる機縁を手に掴むことが、生命が救われる千年の期待なのである。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/2/404630.html)