【明慧日本2020年6月1日】人類の歴史の中に、疫病の大流行は何度もあった。史書には、感染地域のその惨状と恐怖が数多く記載されている。後漢の有名な医学者・張仲景(ちょうちゅうけい・150~219年)は『傷寒論』(※1)の序文に、「余宗族素多。向余餘二百。建安紀年以来。猶未十稔。 其死亡者。三分有二。傷寒十居其七」と書き記している。つまり、当時、傷寒(重症感染症)が流行し、一族の200人あまりのうち、3分の2が10年以内に死亡し、その7割が傷寒であったと記されている。古代ギリシアの歴史学者のトゥキディデスも疫病について、「人々はただ、死者数が増えていくことだけを知っており、疫病の原因は見つからず、治療法もなかった。埋葬するのに間に合わないほど死体の数が多く、死体を食い散らす鳥獣すらも感染して死んでしまい、家畜もこれを免れ得なかった」と詳しく記述した。
17世紀の70年代に、イギリスのロンドンに大きな疫病が発生した。その後、著名な小説家・ダニエルデフォーは『ペスト』の中で、「1665年、ロンドンに恐ろしい疫病が発生し、10万人の命が奪われた。しかし、私は生き残った」と書いた。ダニエルデフォーのこの言葉から、「歴史の教訓を生かすべきだ。疫病は残酷ではあるが、機会がないわけではない」という印象を受けた。
今、中共ウイルス(武漢肺炎)は世界中で猛威を振るっており、すでに200万人以上の人が感染し、15万人以上の人が死亡した(2020年4月17日まで)。特効薬がなく、医療物資や医療従事者も十分ではない中、人々はどうやってこの世界的な災難を乗り越えるのだろうか? 如何にして歴史の教訓を生かし、もっと多くの人にこの災難を乗り越えてもらい、新しい未来に入ってもえるか、それは我々が今真剣に考えなければならない問題ではないか。
清の劉奎(りゅうけい)は著書の『松峰説疫』(※2)の中で、疫病の発生原因とその対応の仕方について述べている。「疫病は、多くの場合、人間の不徳な行為がもたらしたもので、天の邪気、地の邪気がその機に侵入し、天・地・人の毒ガスが合流して疫病になる」、また、「疫病は天と地の邪気である。人は正気が固ければ、邪気に侵入されない。そのため、欲を抑え、過労を抑え、飢えを避け、邪気の侵害を防げる」と書かれている。
劉奎はまた幾つかの実例を挙げた。例えば、隋(581~618年)の岷州の長官を務めた辛公義(553~614年)は、地元の人々が疫病を恐れて、感染した家族の面倒を見ないため、多くの感染者が死亡したことを知った。そこで、彼は巡回官吏を派遣し、感染者を官庁に運ばせた。夏、疫病が発生した際、官庁には数百人の感染者が寝泊まりをしていた。辛正義は自ら感染者の中で朝から晩まで、公務を行ない、そして、すべての俸禄を薬の購入に使った。食事と水をしっかりと与えられたため、結局、感染者が全員回復した。そこで、辛正義は家族らを集め、「生死はその人の運命である。感染者に接触したかどうかと関係がない。今まで、あなた達は感染した家族を放棄したから、彼らが死亡した。私は彼らの中にいても感染するどころか、彼らは全員回復した」と話した。劉奎はこのことを書いた後、「辛公義は感染しないのは、彼が清廉で公正で仁愛であるためだ。下心を持った世間の官吏らはこの道理を知らなければならない」と感想を綴った。辛正義の事は『北史』(※3)の中にも詳しく記された。
劉奎はまた自分が患者と接触しても感染しなかった事例を記録した。「家に疫病に感染したものは十数人もいて、互いに感染した。私は毎日彼らと一緒に生活し、食事も共にしていたが、感染しなかった」と記し、又、妊婦が感染を恐れず舅と姑を世話したことや、疫病が流行っている時、善行を行なう人の家族全員が感染しなかった事例も記した。孝行や善行を行ない、他人の為に考える人の行動こそ、「疫病から免れる真の特効薬だ」と彼は考えた。
挙げたこれらの実例から、医者としての劉奎には、人体、生命に対する観察と研究は、現代医学とまったく異なるアプローチをしていることが分かった。
疫病の高い罹患率(りかんりつ)(※4)、高い死亡率を前に、「人間がどこから来たのか? どうしてこれだけの苦難に遭遇するか? 人がどのように生活すべきか? これらの苦難から免れる方法がないのか?」と人々は真剣に考えた。後漢の末期の道家思想が大きく開花し、発展したのは、疫病の大流行と無関係ではない。
疫病に直面して、アメリカのトランプ大統領も神に祈祷するようにと呼びかけ、精神面の重要性を訴えた。そして、我々は自ら反省して誠心誠意に神に懺悔(ざんげ)し、今までの過ちを改め、もっと高尚な人になるようにしなければならない。こうすれば、疫病は我々から遠ざかって行くだろう。
共産主義と社会主義者は長年にわたって、東側と西側において、伝統と道徳に反した考え方を推し進めて来た。その結果、今、多くの人は伝統的な道徳感と価値観を棄ててしまった。しかし、中国5000年の伝統文化は道徳と教養、自然への順応を強調していた。現代病が増える原因は多々あるが、道徳の低下、自然の法則からの離反、伝統的な食文化と起居様式への軽視などが主な原因ではないだろうか。
自らの正気を回復させ、保持させ、「体の正気が固ければ、邪気に侵入されない」ことをやり遂げることができる。正気を持つ人は疫病の大流行の中で感染しないだろう。なぜならば、神の目から見れば、彼らは世の中の最も守るべき生命だからである。
(※1)『傷寒論』(しょうかんろん)は、後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した中国医学の古典書で、その内容は伝染性の病気に対する治療法が中心となっている。
(※2) 『松峰説疫』(しょうほうせつえき)は疫病に関する著作で、全6巻からなり、1782年に成立し、著者は清の医者・劉奎である。
(※3) 『北史』(ほくし)は中国の北朝について書かれた歴史書で、中国二十四史の一つである。
(※4)罹患率は、一定期間にどれだけの疾病(健康障害)者が発生したかを示す指標であり、発生率の一種である。