【明慧日本2020年6月12日】
1、中国の大法弟子にとって、明慧ネットがいかに重要であるかが分かった
私は2002年に、親戚のAさんの紹介で法輪功を学び始めました。当時、中国での迫害はとても残酷な状況で、私がいる都市の大型資料拠点が次々と破壊され、現地の同修は、法輪功の真相資料や、新経文をなかなか手に入れることができませんでした。
その時、Aさんは1、2カ月前に師父が新経文を発表されたことを知りましたが、経文を手に入れる方法がなく、とても待ち焦がれていました。偶然にも、私は明慧ネットの問い合わせ用メールアドレスを見つけ、簡単な英文でそのアドレスにメールを送信して、新経文を送ってほしいと頼みました。2日後、なんと返事が来て新しい経文は添付ファイルにて送られてきました。
新経文を読んだAさんは、号泣しました。Aさんが号泣する場面は、私の記憶の中に鮮明に残っています。恐ろしい迫害の下で、路頭に迷う生活を送っていても、Aさんは一度も涙を見せたことがありませんでした。しかし、久しぶりに師父の経文を読めることにAさんはそれほど感動したのです。
その時から私は明慧ネットの存在を知り、師父の経文は明慧ネットに掲載され、明慧というウェブサイトは、大法弟子にとってどれほど貴重でありかが分かりました。その後、メールを通して最新の交流文章も送ってもらいました。このように、2002年に修煉を始めた初期に、はじめて明慧ネットの交流文章を読むことができました。
厳酷な迫害の下、集団での修煉環境に恵まれない私にとって、明慧ネットの交流文章が読めることは、いかに貴重で幸運なことだろうと思い、その後、すべての交流文章を漏れなく読みました。その中から明慧ネットの重要さと神聖さを実感しました。
2、明慧ネットの翻訳に携わる祖母を含めて周囲の多くの朝鮮民族の同修は韓国に来る
中国語が読めません。人手不足のため、明慧ネットの多くの交流文章は韓国語に翻訳されていません。祖母たちの要望に応じて、私は交流文章を口述で訳して、祖母たちに聞かせました。祖母たちは「もっともっと多くの交流文章を読めればいいね」と言っていました。
韓国に来る前、ある年配の同修は「韓国に行ったら、くれぐれも私たちを忘れないでください」と言い、祖母は「貴方がいなくなったら、誰が私に交流文章を訳して聞かせてくれるの」と言いました。これらの言葉を銘記して、必ず故郷の同修たちを忘れないようにと私は自分に言い聞かせました。
韓国に来た当初、願望はありましたが、明慧の翻訳に携わる機会がなくて、しばらく大紀元の翻訳をやりました。2012年、ある日の集団学法の時、数回しか会っていないある同修に、明慧ネットの翻訳に参加しないかと聞かれて、私は思わず「はい!」と承諾しました。それから今日までずっと明慧文章の翻訳をしており、この仕事は私の使命だと認識しています。
3、読者と明慧ネットのために
最初、翻訳の仕事をそれほど難しく思っていませんでした。しかし同じハングル語でも中国の朝鮮民族と韓国人では、使い方が違う場合もあります。韓国でハングル語の使い方を熟知していないこともあって、とても真面目に翻訳した文章が同修に「多くの問題があって、このままでは韓国人が読んでも分からない」とダメ出しをされました。最初「私は中国にいる朝鮮民族の同修のために翻訳しているので、このままでもいいのではないか」と考えていました。しかし、自分はいま韓国に身を置いているので、ここの同修と衆生のために明慧文章の内容を正確に伝えなければならないと認識するようになりました。それから、自信がない語彙や文に対してウェブでその使い方を調べたりしました。また、翻訳チームのトレーニングも相まって、多くの翻訳技能を身に付けることができました。
4、神とともにいる
どの大法弟子の修煉も人から神に向かう過程であり、その過程に無数の師父の慈悲が存在し、無数の大法の奇跡、純粋さと威厳を現わしています。私のするべきことは、その過程を正確に読者に伝えることです。翻訳する時、作者の心を感じることができるようにすることです。執着心を放下できない時の苦痛と不安な状態から、人心を放下できたときの心の軽やかさと爽やかさ……高い心性を持ち高い境地に至った同修たちの文章を翻訳するとき、私はよく感動して涙を流し、自分は神とともにいるのだと切実に感じます。
自分自身に不純な部分がどうしてもまだ存在するので、不純なものを少しでも翻訳した文章に混ぜ込ませない境地にはまだ達していません。これから自我をすべて放下し、清浄な心で翻訳の仕事に臨み、明慧翻訳という修煉環境の中で師を助けて衆生を救い済度し、精進していきたいと思います。
師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝します!
(明慧20周年法会の発表原稿)