中共が民間企業を略奪した歴史
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 【明慧日本2020年9月22日】中国共産党(以下、中共)の党首・習近平は7月21日、企業家座談会で企業家たちに愛国を呼びかけるとともに、愛国心のある模範企業家として盧作孚(ろ さくふ)氏、王光英氏、栄毅仁(えい きじん)氏などの名前を挙げた。皮肉なことに、盧氏は中共による公私共営の時代に迫害されて死亡した。王氏と栄氏も文化大革命時代に被害を受けており、これらの実例は、中共が民間企業を略奪してきたことを示している。

 近年、中共は新たに「公私共営」(全ての企業、土地などを公有化)を打ち出し、鯨が丸飲みするように一斉に推し進めていた1950年代とは違って、今度は段階的に侵食していく蚕食の方式に変えた。この政策の狙いは、民間企業の経営者を追い出し、お金や資産を引き渡させることだ。2019年9月、杭州政府は100人の官員を「政府事務担当者」として、アリババ、吉利(ジーリー)、ワハハなど100社の大手企業に派遣した。これは、当時の盧氏の会社に「政府株担当者」を派遣したのと本質的に同じで、人をコントロールすることで企業をコントロールしようとしており、民間企業の経営者が最も心配していることでもある。

 今年7月以来、株式市場は上昇しているが、中国国内の上場企業の大株主の所有株が累計353億元削減されている。本土の大富豪が持ち逃げようとする心の働きは明らかである。

 誤った選択

 盧氏には四つの選択肢があったが、中共との協力を選択したことで、彼は戻れない道に入ってしまった。

 盧氏は中国で影響力のある造船の巨頭であった。1926年、彼は重慶で民生実業有限会社を設立し、四川の海運を徐々に統一し、外国の海運勢力を長江上流から撤退させた。日中戦争時、日本軍の爆撃の下で、人や資材を運ぶことは容易ではなく、16隻の民生社の船が爆撃で破壊されて沈没し、116人が死亡し、61人が負傷した。

 1938年秋、盧氏は宜昌(ぎしょう)市で自ら民生会社を率いて宜昌大撤退を指揮し、40日間かけて150万人以上、および100万トン以上の物資を救出・輸送し、歴史学者たちに「中国のダンケルク疎開」と称された。この行動は、戦時中の中国の民族産業を守ったことで、国民政府から賞賛された。

 1935年、民生会社の社長時代の盧作孚氏

 1949年に中共が中国を支配し始めた当時、香港にいた盧氏を中国共産党と国民党が争奪する動きが焦点となった。国民党は彼を台湾に招き水運業を続けさせようとし、中共は民生会社の資産を欲しがり、彼を説得して北上させようとした。また、盧氏はアメリカに行き、二十年来の民生会社を経営して重慶北碚を建設した経験を回顧録に書くか、あるいは香港に残って水運業を続けるかの選択肢もあった。

 人生は選択であり、間違った道の選択は、永遠の悔いになる。頭脳明晰な盧氏だが中共地下組織のたぶらかしと案配で、1950年6月10日、自らの香港にいる船隊を連れて北への道に乗り出した。しかし、これが死への道であるとは彼は思いも寄らなかった。

 本土に戻った後、盧氏は毛沢東と周恩来の盛大な礼遇を受け、中国人民政治協商会議の第1回目2次会議に出席し、中国人民政治協商会議の委員に選ばれた。その後、盧氏は重慶に戻って民生会社の仕事をし、また南西南軍政委員会委員に任命された。しかし、この艶やかな姿の裏には、赤裸裸な略奪があった。

 戦乱の時代、あるいは日本が中国を進撃した時代にも、民生会社は生き残った。小さな船から始まった民生会社は、140隻以上の船舶と1万人近くの従業員を擁する大企業に成長し、単独投資や合弁事業で70以上の企業と関連施設まで展開した。しかし、中共政権の平和な時代には、民生会社の存続が困難になった。

 中共は「挟み込み」戦術を採用した。すべての原材料、資本、販路を政府が管理し、特に企業の現金はすべて中共の国家銀行に預け入れ、民間銀行や民間企業からの融資は一切認められず、民間企業の生死は完全に政府がコントロールするようになった。その結果、民生会社の財務状況は次第に苦境に陥り、会社の生き残りをかけ、盧氏は中共との「公私共営」に合意した。「政府株」が加入することで運転資金の問題を解決することができた。しかし、その結果がどうなるのか、彼は知らなかった。

 公私共営する前の過渡期に、中共を代表する政府株担当者がすでに会社に入り、人員の配置から、人事整理、降格処分までの主導権を握った。そして、「調訓」、「逮捕」、「管訓」、 風声鶴唳(ふうせいかくれい、わずかな事でもおびえること)の恐怖の中で、自分と一緒に苦難を経て民生社を創業した管理部門の幹部らが、次から次へと批判され、粛清された。盧氏は心を痛めたが、どうすることもできなかった。

 1952年1月、中共は工商資本家を標的とする「五反」運動を正式に開始した。2月8日、政府株代表者は盧氏と北京に出張した時に、一緒に食事、銭湯、観劇していたことを告発し、「甘い爆弾」に襲われそうになったと主張した。かつて盧氏の好意を受けて、盧氏の自宅に住んでいた社員も、その場で盧氏が食事や、観劇、散髪などの代金を支払って政府株代表者を招待したと告発した。実際には、これらの費用は、盧氏自身の給料で支払っていたが、犯罪の証拠として使われた。

 その夜、絶望した盧氏は重慶の自宅で睡眠薬を飲んで自殺し、妻に残した遺書には全財産を中共に引き渡すことになったと書かれていた。その時、盧氏はすべてを理解し、妻子の命を救うためには、全財産を国に渡さなければならないと悟ったのだ。

 鯨の丸飲み

 1949年に中共が政権を奪取する以前の中国には、盧氏のような民間企業家が多数活躍していた。例えば、上海灘では多くの民間企業主がおり、彼らが中国経済発展の原動力となった。中共が政権を建てた後、多くの民間企業家は中共を信じて本土で事業を続けていた。しかし、彼らが思いもよらないことに、中共が約束した「新中国」は、ただ人心を惑わす噓であった。中共はすぐに顔を変えた。彼らは中共に会社や資産を没収されただけでなく、彼ら自身も危険にさらされ、自殺に追い込まれることもあった。不完全な統計によると、上海では1952年1月25日から4月1日までの2カ月間に、政治運動が原因で876人が自殺し、1日平均10人以上の自殺者が出ており、その中の事業家の多くは家族全員で自殺したという。

 中共は、資産を持つことを犯罪と見なし、財物を奪うことを正義に仕立て、暴力的な略奪を合法化し、善悪を完全に逆転させ、人々に悪事を働かせるよう扇動した。しかし、地主や実業家を取り締まった後も、中共は止まることなく、引き続き農民や商人、職人を懲らしめ、彼らの財産を奪い、中共の所有物とした。その結果、庶民階層の労働者や農民たちは貧乏なままであった。

 多くの人は嘘言に騙された「新中国」の幻想を抱いている

 現在の中国で、皆に馴染み深い「茅台酒(世界三大蒸留酒の一つ)」と「王老吉(中国のハーブティー)」も公私共営の産物で、全て当時の民間企業が生産していた。1956年の初め、中共は全業界に対して公私共営を実施し、企業家の私有株の買取りをせず、「固定金利制」にし、一律に年利5%を規定し、つまり企業は企業家に所有せず、企業家は年利5%しか取れないようにした。

 この5%の固定金利は会社の収益状況にかかわらず一律のものであり、個人株主の意向を考慮しない。実際、この固定金利は、当時の「王老吉」の利益を大幅に下回るだけでなく、当時の銀行の定期預金の利息よりも低かった。中共が好きなように決めており、企業家は改造される対象になったため、中共と交渉できる資格がなかった。

 1966年9月、中共が企業家に固定金利の支払い年数に達したとして、これ以上固定金利を払わないことを決定し、公私共営の企業は完全に社会主義の全民所有企業となった。一夜にして株と固定資産などはすべて国のものになり、法的な手続きもなく、民間株は没収され、公私共営の企業は国営企業になった。それ以来、全国各地で民間株の金利や株の所有権をめぐる訴訟が多発したが、この画一的な政策が打ち出されたため、民間企業は敗訴した。

 わずかに残された中国の個人事業も、次から次へと迫りくる運動によって一掃され、1970年代末には「資本主義の尾」として切り捨てられた。中国経済はついに純粋な公有(党が所有する)経済となった。しかし、この極めて純粋な公有経済体制の下で、国民の基本的な生活は保障されず、多くの必需品は専用の引換券で購入しなければならなかった。

 段階的に侵食していく蚕食

 民間企業は1978年の経済改革の後、徐々に回復し、中国のGDPの3分の2に達し、3億人以上の雇用環境を提供し、国税の50%以上の税金を納付した。国有企業は莫大な資産と収益を上げているにもかかわらず、利益が非常に低いのが現状である。一方で中共は、経済を支えるために民間企業を必要としており、他方で民間企業に対しての搾取と支配を緩めていない。民間企業は、中共に食される子羊のように、中共政権による介入を受ける可能性がある。

 ある弁護士の話によると、『刑法』の中に定められている罪名は450項目以上に増え、市場経済秩序に関する罪名は110項目以上ある。今や個人事業主を陥れることは非常に簡単で、法律機関を用いて事業者や富裕者から財産を奪うことは数分でできる。中共の憲法は公有制を基本としており、私有財産に対してもともと差別している。薄熙来(はく きらい)が重慶で「マフィアを取り締まる」を実行した時、大規模に無実の企業家を暴徒化させ、重罪を下し、命まで奪うことができたのは、中共の「共産」の理論根拠に由来しているという。

 例えば、近年急速に発展しているインターネット産業に対して、中共が虎視眈眈としているが、1950年代の鯨の丸飲み方式の「公私共営」を繰り返すわけにはいかないので、段階的に侵食する蚕食をすることしかできない。

 最も広く使われている戦術は、広範囲に党支部を設立することである。これは基本的な作業で威嚇力もあり、民間企業の党員らは中共の目耳と代弁者である。2017年8月25日、「首都IT企業党建工作座談会」では、百度(バイドゥ)、新浪(シンラン)、陌陌(Momo)、知乎(チーフー)、豆瓣(ドウバン)、捜狐(ソーフー)など34の IT会社は、すでに党支部を設立し、6000人近くの党員が登録している。また、テンセント、鳳凰(フォニックス)、京東(ジンドン)などの主要サイトと党建連携を構築していることを明らかにした。座談会で、新浪の責任者は「1998年に新浪が設立された当時、私たちは率先して党支部を設立し、北京のインターネット企業の中で最も早く党組織を設立した企業の一つです。2010年には正式に新浪党委員会を設立し、2015年には微博党支部を微博党委員会にアップグレードするよう申請しました」と述べた。

 そのほか、「特別管理株制度」を設けることができ、非常に少ない株(例えば1%)を持つことにより、中共の代表者が特定の事項に対して否定権を持ち、企業に入りその決定政策に影響を与えることができる構造である。現在、政府系投資会社はこのようにして一部の企業に出資している。

 この二つの方法で、中共はわずかな株を持っているだけ、あるいは人を派遣するのみで資金を提供しなくても、党組織を通じて企業に実質的な影響を与えている。なぜならば、これらの企業経営者は中共の命令を受けて協力しなければならず、そうしなければ、盧氏と同じ結末になるからだ。そのため、逃げ道を選択する有名企業の経営者はますます増えている。

 海外へ逃げ出す

 アジア・アフリカ銀行(AfrAsia Bank)とニュー・ワールド・ウェルス(New World Wealth)が共同で発表した「2019年世界財産移行報告書」によると、中国が、国籍別海外へ移住した富裕層の人数で第1位となり、2位のロシアの2倍であったことが分かった。2017年に海外移住を選択した中国の大富豪は1万人だったが、2018年には50%増の1万5,000人までに急増したという。

 1年の間で大富豪になった人数は多くないだろうし、大富豪の財産状況はさほど変わらないだろうが、移住した人数は激増した。その理由の一つは、中国の景気が低迷しており、金を稼ぎにくくなるからだ。もう一つは、中共が「国進民退」の政策を推し進めているので、民間企業は生き残りに苦労するだろう。最も重要なのは、多くの大富豪が財産の安全を考慮しているということだ。2018年、中国の御用学者が「中国の民間企業は歴史的な使命を完了した」などと言い出したことによって、民間企業家は中共の経済が下落し収入減少の状況下で、民間企業を略奪する気配を感じたために、速やかに移民となって逃げ出した。現在の中共の政策によると、外国為替の制限を突破し、多額の人民元を一括で他国に移すことができるのは、移民だけである。これは、エリートと財産の二重損失を意味している。

 メディアの報道によると、2018年、香港に上場している本土の企業家15人が離岸信託を設立し、合計285億ドルの資産を海外に送金したという。

黒い雲が集まり、個人事業者は頭上に剣があるような心境に

 米国在住の中国問題研究者・張建氏は、「中国を離れることを選択したことは、中国の未来に自信がないということだと、誰もがはっきり分かっているだろう。このような体制の下で、いくら財産を築いても保障されず、食べ物は不健康だし、政治生活もままならない」と述べた。

 手を挙げて投票することができず、声を上げられず、足で(逃避することを)投票するという選択である。多くの人は出国したいが、出国するためのビザの手続きが止まっている今、ある個人事業者は「海に出た船のように、引き返すことはできないが、前に進むこともできない」と仕方ない様子で話した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/27/411020.html)