元南京軍区の司令部副部長 長年迫害され死亡
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 【明慧日本2020年10月11日】元南京軍区司令部某部副部長・傅義栓さん(退役軍人)は、法輪大法を修煉し続けていたため、当局に迫害されて住む所を失い、10年間も放浪生活を続けていた。今年9月1日、傅さんは冤罪が晴れないまま死去した。最期を迎えるときでも、92歳になった高齢の傅さんは幹部の休養所(元の住所)には帰れなかった。

 傅義栓さんは1944年、まだ15歳の頃に戦場に飛び立ち、引退する前は南京軍区司令部某副部長だった。60歳を過ぎた頃から、戦時中に残った銃の傷あとが、傅さんの健康を奪い、体調がますます悪化していき、薬壺(薬をたくさん飲む人の喩え)として有名になった。

 1995年に傅さんは幸運にも法輪功の修煉を始めた。すると、数十年の銃の傷あとと多種の疾病が治癒 した。傅さんは自分が年を取り佛法に出会うことができて、なんと幸せだろうと思っていた。健康な体を持つようになり、道徳的な修養も高められ、国に出してもらっていた多くの医薬費も節約することができた。

 しかし、1999年7.20、中国共産党は法輪功に対して残酷な迫害を始めた。南京軍区の610弁公室の人員らは傅さんに修煉を放棄するように強要した。軍区司令部610弁公室は休養所と結託して、洗脳による迫害を強化した。修煉をあきらめなかった傅さんは厳しく処分され、嫌がらせも受け続け、寝ることや食べることまで不安になった。

 2010年、傅さんは法輪功迫害に関する資料を配布していた際、監視カメラに撮影されたため、家宅捜索を受けた。そして洗脳教育を受けさせられ、「三書(法輪功の修煉を放棄させるために、強制的に書かされる書類)」を書くことを強要された。そして、迫害で痛めつけられた傅さんは意識不明になり、入院して救急手当を受けた。

 戦場でも倒れなかった傅さんだったが、古希の年(満60歳)に心の修養を続けていたというだけで、ひどい迫害を受けた。そして、幹部休養所ではもう住めなくなり、やむをえず、放浪生活を送ることを余儀なくされ、親戚の家に身を寄せた。

 2020年9月1日、傅さんは冤罪が晴れないままこの世を去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/3/413282.html)
 
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