明慧法会|小さな事でも人心を取り除く
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年12月11日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 師父はこのように説かれました。「したがって悟性の優れない人は往々にして、より多くの苦痛に耐えなければならず、業力が大きければ悟性が優れないのですから、修煉がいよいよ難しくなります」[1]。私にとって、この法理はとても感慨深いものです。修煉の道を歩んでいく中で、形式だけの学法をし、困難に遭遇した時には、ただ困難を乗り越えるために、あわただしく駆け抜けていっただけでした。普段は、大法に基づいて自分を厳しく律することは全くなく、心性は改善されていませんでした。そのため、多くの困難を経験し多くの苦しみを味わいましたが、向上すべき機会を多く失いました。

 他人と争う

 息子の結婚はとても慌ただしく、嫁と出会ってから結婚するまで3カ月もかかりませんでした。 表面的には、嫁や嫁の母親も物事に対して注意深く、なかなか仲良くなれない人のようでした。 息子が結婚すると直ぐに、嫁の母親も同居することになりました。 結婚した年には孫娘が生まれ、 私は息子家族の為にと思い、なるべく用事などがあるときに、呼ばれたらすぐに行くようにしました。

 大晦日の日、私は息子に「嫁は結婚したばかりだし、産後ケアも必要だから、元日の朝は一緒に水餃子を食べましょう。 餃子の具とねかした皮を持って行くから、あなたの家で餃子を作りましょう」と提言しました。 息子は「いいよ」と言いました。元日の朝、年寄りの私が息子の家に行き、また孫娘にお年玉もあげました。このことは嫁から見れば満足すべきことだと思いました。 しかし嫁は、私を全く相手にせず、逆に不機嫌そうにも見えました。 そのため私は居心地が悪くなり、食事を済ませると、ちょっと片付けてからすぐ家に帰りました。

 帰宅してから、惨めな気持ちでいっぱいになりました。メンツが潰されて、 悔しくて恨んで、また息子の家に住む嫁の母親に嫉妬して、これらの人心が全部出て来ました。心が塞がっているかのように気が晴れず、とても辛くなりました。 私は修煉を始める前からプライドが高く、褒め言葉を聞くのが好きで、人に尊敬されたいと思っていたので、自分の評価を重視していました。

 ある日の午後、学法をしていたら、嫁から電話で「うちに来てください」と言われましたが、声はいつもと違っていたので腑に落ちませんでした。 嫁は普段から私に因縁をつけてくることがよくありました。今日は何があっても、心を保たなければならないと自分に言い聞かせ、 恐怖心を胸に秘めて息子の家に行きました。

 家に入った途端、嫁とその母親が凄い剣幕でリビングに立っていて、私がまるで見えていないかのように、息子に向かって怒鳴り続けていました。 よく見ると、息子は寝室のベッドに座っていました。

 私はすぐに、嫁の母親に怒らないように慰めて説得し、嫁も説得しました。 しかし2人とも話を聞こうとはせずに、まだ大声で手振り身振りで騒々しく、ずっと言いっぱなしでした。 その間に、息子は、嫁の母親に2回、「申し訳ありません 」と言いましたが、何も聞こえていないかのように無視しました。 息子は私が困っているのを見て、「お母さん、もう行っていいよ」と言ってくれました。 息子の腕に引っかかれた赤い傷跡がついており、息子はとても辛そうな表情をしていました。 そんな息子を不憫で仕方がないと思い、喧嘩の声で目が覚めた孫を抱いて下に下りましたが、2人が延々と騒いでいたので、じっとして居られなくなり、孫を抱いてまた階上に上がりました。

 部屋に入って、2人の威圧的な様子を見ていると、自分の身体中の魔性が直ぐに湧き出てきました。私は嫁に孫を押し付け、「私は何のために呼ばれたの、あんた達のこんな有様を見せるためなの?」と嫁と母親に怒鳴りつけました。 そして、息子に向かって「お前はやることはないの? 家で何してるの?  外に出てお金を稼ぎなさい。何もしないでそこにいてはいけません。 今すぐ私に付いて来なさい!」と怒鳴りました。すると 嫁と母親は、その場で口を閉じ何も言わなくなりました。まさか私がここまで怒るとは思わなかったようでした。

 息子は従順に私の言いなりに従いました。私は息子の家のドアの開け方が分からなくて、再び怒鳴って「ドアを開けなさい 」と叫びました。息子がすぐにドアを開けて、私がバタンと閉めて、息子と一緒に出て行きました。 息子は車を走らせ、私は自転車で息子の後ろについて、家に向かいました。 このとき、自転車がとても重く感じて、心中はなんとも言えない感覚でした。嫁と母親に怒りをぶつけてしまい、自分の気持ちを抑えきれなかったことを悔やみました。 帰る道中、人心と修煉者の正念が激しくぶつかり合い、考えれば考えるほど、自分が間違っていたと気づきました。

 師父は我々に教えて下さいました。「一人の煉功者としては、まず殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません」[1]

 長年の修煉の末、一番基本的な要求すら満たしていない私は、本当に恥ずかしくて、師父に申し訳ないと思いました。 大法弟子が常人と争ったりすることは、100パーセント大法弟子の間違いです。考えれば考えるほど後悔し、このままでは事態を悪化させてしまう、早急に是正しなければならないと思いました。家に着くと、すぐ息子を家に帰らせようとした時ちょうど、一人の親戚が息子に電話をかけてきて「早く帰らないと、 お前の嫁が家で泣きじゃくっている」と言ってきました。

 息子が帰った後、学法をしようとしましたが、母と娘の理不尽なイメージばかりが頭をよぎりました。 その日の夜、自分を抑えきれなかったことを後悔しながら、一睡もしませんでした。 事の全体を振り返ってみると、恥ずかしい気持ちになりました。しかし、当時の自分のレベルでは、どうしても乗り越えられなかったのです。 人心を取り除かず、表面上で自分を抑えるだけで、非常に息苦しさを感じていました。

 それ以来、私は絶対変わらなければならない、損をしない心を必ず変えると痛切に決意しました。師父は、「いかなる困難にも阻まれないほどの固い決意をもっていれば、何の問題もないでしょう」[1]と言われました。それからは私は大きく変わりました。 あらゆる面で強く、妥協を許さない人間であった私を変えることができるのは大法だけです。

 変わり始める

 しばらくすると、また試練がありました。 嫁が服屋を開き、仕入れに出かけると言っていました。 仕入れの翌日は、孫の面倒を見てほしいという電話もなかったので、私は大法の真相を伝えるために出かけていました。 11時に家に帰ると、玄関の前に嫁と母親が立っているのが遠くから見えたので、挨拶をしました。 嫁はいきなり私に「携帯なしで出かけて、何のために携帯を持っているの? 今日店を開き、商品をセットしないといけないのが分からないの?」と怒鳴りつけてきました。 孫をいきなり押しつけて振り返ったので私は、「なぜ事前に言わないの?」と聞きました。 嫁の母親は 「確かに、先に電話しておけばよかった 」と言いましたが、 彼女達が帰ったあと、私は孫を抱えて階上に上がりました。メンツを重んじる心や、誰にも言わせない心に追いやられて、全身の力が抜けてしまいました。

 ふと我に返って、またメンツを重んじる心だと気付きました。今回はあまりにも突然な出来事でしたが、これは自分への試練ではないでしょうか? またメンツを重んじる心が出てしまいました。メンツを重んじる心がかなり強い執着であると分かり、本当に頑張らないといけません。 自分が修煉する前を振り返ってみると、命よりもそのメンツを重く見ていました。 そんな重い人心は、修煉に入るだけで簡単に取り除けるものでしょうか? きっとたくさんの苦しみを味わう必要があるはずです。

 他人の前でメンツを気にしないのはまだ楽ですが、嫁になると、なぜこんなに大変なのかと思いました。大法を実証するのは大法弟子の責任であり、すべての衆生に対する責任は言葉だけではなく、行動で説得力を持たなければなりません。

 去年から今までグループの学法以外は、ほとんど自分で法を暗記していました。 ずっと断続的に法を暗記していたので、法を暗記する基礎ができていて、今は法を暗記するのも早くできています。 法を暗記すると心が落ち着き、心性の向上が速く、とても充実した感じがします。 問題があると、すぐに相応の法理が頭に浮かんできます。

 徹底的に観念を変える

 大法は、自分勝手で思いやりのない自分から、他人を思う人に変えることができました。私は孫の身に起きたことで、何度か心性の関がありましたが、明らかに以前より優しくなりました。何かあったときは法理で考えるようになり、基本的には動じることなく対応できるようになりました。 孫が1才になる前、まだ母乳を飲んでいる頃に、嫁が旅行に行くから子供を見て欲しいと言ってきました。 私は 「ミルクはどうするの?」と聞くと、嫁は 「粉ミルクがあります」と言いました。私はただの 2、3日だから大丈夫だと思っていたので同意しました。 しかし、嫁は帰ってくると「これからは子供の面倒をお願いします。離乳させます 」と言ってきました。

 午後、自宅でグループ学法をしました。そのとき同修に孫の離乳について聞きました。 同修は、「子供がまだ小さすぎるし、子供をここに置くと色んなことに支障が出るのではありませんか」と言いました。 夜、嫁が子供を迎えに来た時、私は「子供は今まだ小さく、離乳は少し早いのでありませんか。あまり焦らないでね」と言うと、嫁は「小さくない 」と言いました。帰る時に嫁は、「明日から子供を家に迎えに来てください」と言いました。 その直後、嫁はWeChatの友達の輪に 「この様子だと、子供を自分のそばに置くことになるね、言いたいことはわかるが…」と投稿していました。 その下には 「良く言うわ、おならのようだ」と書かれて、顔の絵文字が添えられていました。

 娘は私に、「母さんは大法弟子なのだから、何をすべきかを知っておくべきです 」と言いました。 師父の法を思い出しました。「この意地で生きていくというのは、皆さん考えてごらんなさい、実に大変ではありませんか? 辛いことではありませんか? そうする価値がありますか?」[1]。私は娘に、「大丈夫、動じないから、明日孫を迎えに行くよ。私の心性を向上させないといけない」と言いました。 翌朝、息子の家に行き、落ち着いた声で 「あなたたち親子はずっと前からここで待っていたの?」と聞いてみました。 嫁は少し恥ずかしそうにしていました。私がここまで冷静になるとは思っていなかったのかもしれません。 私は優しく孫を抱っこして帰りました。

 その瞬間、とてもリラックスした気分になり、強い物質がなくなっていました。 今回の事を通して、確かに自分が向上したと感じました。少なくとも常人の視点で物事を見なくなりました。師父は、「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」[1]と説かれました。

 大法の指導の下で、嫁がどんなに困らせようとしても、我慢できるようになりました。 例えば、嫁が家に来た時に「なんで孫の体が臭いの」と言ったり、風呂場から出てきた時に手で鼻をつまんで「タオルが臭い」と言ったり、哺乳瓶を手に取った時に「哺乳瓶の乳首が黒い、どうやってブラッシングすればいいの」と言ったり、孫の毛布を見て「また汚い 」などと、言ってはいけない事を言うことがしばしばありました。 これは自分の自尊心や、誰にも言わせない心を取り除くためだとわかっています。

 以前は本当に誰にでも、何も言わせないようにしていましたが、今は誰からでも何を言われても平気になり、どんなにきつい言葉でも、ちゃんと落ち着いて聞くことができます。

 新たな世界が開けた

 私の心性が向上するにつれ、嫁も少しずつ変化してきました。家に来ても文句を言わなくなり、他人のことを理解するようになりました。私の娘に嫁は、「お義母さんも大変だから、もっと理解してあげてね」と言っていました。 娘が大学に入って、嫁は息子に毎月1500元を娘の生活費に充てて出すようにと頼んでくれました。毎月少しも遅れずにちゃんと出してくれました。今年の夏休みに、娘が運転を習うための自動車教習所を見つけてくれ、また嫁が率先して娘の授業料を払ってくれました。

 私は何度も嫁に大法の真相を話し、嫁は三退(中共の組織、党、団、隊を退く)しました。私はいつも優しく孫の世話をしています。孫は健康で、何の問題もなく、嫁はとても安心しています。

 ある日、幼稚園に通う孫娘が、ビデオ通話で嗚咽しながら嫁に「おばあちゃんに会いたい、おばあちゃんは優しく教えてくれる、ママは優しくない」と言ったのです。孫娘はあまり学法や煉功を多くしていなかったのですが、いつも自ら学ぼうとしています。 孫娘は『轉法輪』の字をまだ完全に読めないので、いつも『轉法輪』を手に取り、私に読み聞かせてほしいと頼みます。 孫娘は私の家に来るたびに、私と一緒に学法や煉功を学びたいと言っていました。

 そして2歳の孫は、よく美味しいものをテーブルの上に置いて、「師父、食べてください 」と言っています。 師父に挨拶をするときには、床まで頭を下げています。 大法弟子の家に行き、師父の写真を見ると、「師父、こんにちは」と挨拶します。

 大法弟子が物事を行うとき、功能が機能していて、大法を一番においている限り、何も遅れることがなく、物事を上手く運ぶことができます。 実際、私は師父が要求された三つのことに、ほとんどの時間を費やしています。 朝、煉功をして、6時に発正念をしたあと、1時間法を暗記します。午前は外に出て大法の真相を語り、昼は孫たちが昼寝をしている時、法を暗記し、発正念をします。夜も法を勉強し、発正念をします。 孫は基本的に昼も夜も家にいますが、私はあまり忙しさを感じませんでした。 孫が1人の時は電動バイクで連れ出して、真相を伝えました。2人になった時は、2人とも連れて行ったのですが、真相を語る効果は全く影響されませんでした。

 以上話したのはどれも些細な事ばかりです。 しかし、小さなことですが、心性をもっとも試されます。大事なことには冷静になれるのに、小さなことに引っ掛かり、なかなか乗り越えられず、その理由を考えたことがあります。 本当のところは、自分は些細なことをあまり気にしないので、邪悪はその不注意を利用していたわけです。

 我々にはそれぞれの家庭があり、その家族の一人一人が、善い縁も悪い縁も、大法弟子が人心を取り除くよう、修煉を円満するために按排されていました。そのため、彼らが与えてくれる修煉環境を大切にしなければならないのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ドットコム第17回中国本土大法弟子実践体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/17/414807.html)
 
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