文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月28日】1994年、私は21歳でした。8月のある日、私は武漢市中南財経大学で、多くの人たちが師父の説法録音を聞いていたので、私もそこに入って座り師父の説法を聞きました。このようにして、私は法を得ることが出来ました。
9月中旬、煉功点で師父の説法録音を聞いていた時、師父が広州で講習会を行われることを知って、この情報をしっかりと覚えました。なぜかは分かりませんが、師父の講習会が今後少なくなっていき、ひいては行われなくなるのではと感じて、この機縁を失うのを恐れました。
家族は私が広州へ行って師父の講習会に参加することが分かり、皆が反対し、特に私の父親は極力反対していました。私は腹をくくり必ず行くことにしました。
地元武漢で広州講習会の参加に応募して、私は講習会のチケットを取りました。出発の時間に着くと、私はインスタント・ラーメンを持って、もう一人の同修と一緒に広州行の電車に乗りました。
しかし、広州に着き、駅から出ると、一群の人々が略奪するために走ってきて、その勢いは非常に凶悪でした。7、8人は手を出して奪う時、一つの巨大な法輪が現れて、そして回転し、彼らは法輪に引かれて私の周りを一周し、回転しながら私の周りに倒れました。中の一人はボールのように、その場でぐるぐると体を回し、回しながら恐怖に震えて私を見ていました。私は師父が私を守って下さっていると分かりました。もし彼らが私のチケットを奪い去ったのなら、私は師父の説法を聞きにいけなくなるからです。その時、私は完全に「私が修煉し始めてから、師父は私のことを守って下さっている」と信じました。
私は出発する時「いかなる困難があっても絶対に乗り越えます。苦を嘗めても大丈夫です」と自分に言い聞かせました。私にはお金がなく、広州への交通費も同修から借りて、旅館に泊まる費用もありませんでした。広州は寒くないので、夜外泊を考えていました。思いがけないことに、広州に着いたら、地元の同修が私たちに泊まる場所を提供してくださいました。
あれから、もう20年が過ぎました。このことを思い出す度に、大法を修煉できることは本当に幸運だと思い、その時の苦は、全然苦とは感じられず、残りは広大な佛恩の下での感激と幸せだけです。
広州に到着したその夜の7時頃、私はチケットを講習会の入場券に換えました。私は興奮して「これは夢ではないのか? 私は講習会に参加できるのか? 法を聞くことになったのか? 師父に会うことができるのか?…」と思いました。入場券を持って、繰り返して何回も見つめ、夢ではないと自分に言い聞かせました。私はその入場券を失うことを恐れたため、しっかりと握って、体の一番安全な所にしっかり置きました。そして、同修に「もしだれかが私に入場券が欲しいと言ったらどうしましょう? 彼にあげますか? もし入場券が盗まれたらどうしましょう? もし…」と心配しながら言いました。身をもって師父の講習会に参加できることは人にとってどれほど貴重なことでしょうか?
私は以前、いくつもの師父の講習会の機縁を失いました。1993年の中南財経大学の講習会、1994年の延吉の講習会。修煉後、私が法を得ることを妨害する要素が次から次へと現れていることを深刻に感じました。今回、必ず機縁を失わないようと覚悟して講習会に参加しに来ました。ある同修は煉功点で交流した時「修煉には、必ず魔難があって、妨害があってから道を悟ることができます」と話しました。わたしは自分の体験と連想し、心にいろいろな気持ちが現れ、涙が溢れました。ここまで書くと、私は再び涙が出て来てしまいました。やっと講習会に参加でき、やっと師父と会うことができたのです!
講習会の係員は、わたしを師父に近い第一列目に案内してくれました。私は師父を仰ぎ見て、師父はたくましくて偉大な体格でした。会場全体が慈悲で穏やかで、暖かいエネルギーに包まれていました。私は薄着だったのですが、全然寒いとは感じませんでした。このエネルギー場の中は、言葉では表現できないほど和気藹々としていて、慈悲なる感じに全身が浸っていました。このエネルギー場の中に、幸せを感じ、体が軽くて、心が巨大な慈悲なるエネルギーに熔煉されて私も慈悲なるものになりました。
人として、死に直面する時、恐怖や、臆病、或いは怒り、戦い、必死で抵抗するなどの気持ちがあると思います。その時、私は「もし死と直面しても、それらの気持ちの代わりに和気藹々としていて慈悲だけだ」と思いました。今、その時のことを思い出して、師父の無限の慈悲なる場の中に、私は初めて生死を放下できることを悟りました。
大法の修煉は、初めから要求が高いのです。師父は講習会でさらに私たちを上に押し上げて導かれました。私は1994年8月に法を得て、12月までのわずか約4カ月で、生死を放下できる程度にまで達しました。他の法門なら、こんな短期間でここまでたどり着けるとは想像できません。私は座禅をすると、すぐに「定」になり、非常に美妙な感じで、玄妙な感じでした。師父の法力、師父の慈悲について、私が理解できるところ、感じるところは言葉では表現できず、人間の言語では全然表せないと思います。古人は跪き両手をついて地面に頭を近づけて佛に敬意を示しますが、実はすべての礼を使っても私たちは師父への感恩や尊敬を表現できません。
講習会では、至る所まで慈悲を感じ、心に時々刻々と表現できないほどの喜びが湧いてきました。
恐らく嬉し過ぎたため、越秀公園(ゆえしゅうこうえん)で、私はケーキを食べた時、そのケーキの包装紙も食べました。同修は私に注意をしましたが、私は包装紙を食べたという感じが少しもなく、喜びだけを感じていました。私たちは笑い、そしてまた笑って、私の涙が出て来ても笑って、同修の両目からも涙が出て来ました。ある同修は「天上にいるという感じで、表現できない、本当に天上にいるようです」と言いました。私たちはまるで天上で師父の講法を聞いているようでした。
講習会で、私は2回妨害されました。その数日間の夢の中で、魔は師父に化けて、私の大法への正しい信念を妨害していました。そのため、第一日目に、功法を教える同修が動作を示した時、私は師父をもっと見たくて、じっと師父を見ていて、功法を勉強することを忘れました。この時、師父は私をちらっと見て、また功法を教える同修をちらっと見られました。私は巨大な力を感じ、また師父の口がすこし動いた様に見えて「いまは、功法を勉強するのだ」と分かり、すぐその同修に従って功法を学びました。
次の日、私は講法を聞いていた時、隣の学習者が私を手で押しました。1回目の時、私はその人に構ってはおらず、2回目の時も私はまだ構っておらず、3回目の時、私は心性を守れないでその人をちょっと怒りました。この時、師父はまたちらっと私を見られました。私はすぐに巨大な力が来たと感じ、うやうやしく師父の構法を聞きました。師父の目つきの中に多くの意味があると悟りました。
講習会の中に、深刻に全身が爛(ただ)れた学習者がいました。彼の体から死体の様な匂いが発散されてきました。その人は以前師父の講習会に参加したことがあり、体の大部分の爛れが治ったが、一つの腕がまだ完全に治っていませんでした。今回、彼の座席は師父の真下でした。最初、皆が誰でも師父に近づきたい、師父の真下に座りたいのですが、その席に座ると、すぐ腕が爛れた学習者の体から発散された生臭い匂いがしました。このにおいに耐えられないので、皆が自分の鼻を塞いでいました。
しかし、その上の師父は、まるで生臭い匂いが全く存在していないかのようでした。師父を見て知らず知らずのうちに私たちも正しました。私はその生臭い匂いは存在しないと感じていました。しかし、功法を教える時、師父の講法の所で功法を教える学習者に変わった時、その匂いがまた出て来たようでした。ここまで書くと、私は「師父は私たちのために、多くのことに耐えられました! 師父は一人の学習者の背後の良くない要素を取り除かれただけではなく、すべての学習者の背後の良くない要素や、良くない考え、また良くない行動を除去してくださっています。この巨大さと難しさは私たちには全く想像もできず、知ることもできないものだ」と悟りました。
講習会3日目、私の頭の中にあらゆることが浮かんでいました。師父は「思想業」を説かれてから、私の頭の中に、それらのめちゃくちゃな考えがなくなり、知らず知らずのうちに私の心性が向上しました。
講習会の最初、私たちはすべて師父に近づきたいのですが、数日が過ぎると、私は自分の席を他の人に譲って、後ろに座りました。また一部の古い学習者は自分のチケットを新しい学習者に譲り、自分は他のホールで師父の同時放送の講法映像を見に行きました。
講習会がそろそろ終わるころ、私の道徳観も変わりました。講習会で師父は私たちを上に押し上げてくださいました。後に関を乗り越えることについてたいへん役に立ちました。正法修煉の中で、私は劫難を乗り越える時、酷刑に耐えた時、師父の法身の守りと加持の下で、師父の教えによって私が修めて生じた慈悲と正念の下で、すべての邪悪要素を滅することができ、次から次へと劫難を乗り越えられました。
師父から授かった貴重で穏やかな慈悲なる心によって、私が悪徳警官に直面した時、酷刑を受けた時、一言も言わずに保持しました。警官も私の忍耐力に感服して、後で私と友達になりたいと言いました。
師父は時々刻々と私たちを見守り、加持してくださっています。私は永遠に師父の忠実な弟子です。
師父に拝礼いたします!