文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月29日】1993年、私の同僚数人が別の都市で行われた法輪大法(法輪功)の講習会に参加し、その奇跡的な治癒力に感銘を受けました。彼らはそれを上司に伝え、上司は法輪功の創始者である李洪志氏を遼寧省にある私たちの職場である凌源市鋼鉄会社に招き、法輪功について指導をしてもらうことにしました。李洪志先生は同意し、1994年2月20日に法輪功の講習会が始まりました。
地域の多くの人が法輪功の講習会のことを聞き、大変喜んでくれました。そして、互いに広め合っていました。数人かの人が私にも講習会に参加するよう勧めてくれました。そのうちの1人は、「法輪功は本当に素晴らしいです。生命の起源と病気の根本原因を分かりやすく説明してくれました。滅多にない機会ですから、ぜひお見逃しなく」と言ってくれました。
しかし、私は何を言われても丁重にお断りしました。1980年代に気功が大流行していたにもかかわらず、当時の私は気功を全く信じていませんでした。様々な気功を見てきました。例えば、ある晩、私は一団の人々が飛び跳ねたり、地面を転がったり、様々な奇妙な動きをしているのを見ました。あまりにも滑稽に思え、気功に対する私の見方はさらに冷めてしまいました。
夫の友人がたまたま講習会の主催者でした。彼は夫に「奥さんにチケットを買ってあげたらどうですか? 値段もお手頃ですよ(講習会は58元、功を発する講義は5元だった)」と言いました。夫は私に講習会のチケットとセミナーのチケットを買ってくれました。夫は「あなたはまずは法輪功の功法のやり方を覚えて、後で私に教えてね」と言われました。私は少し不満でしたが、行かなければ夫の面目が潰れると思ったので、結局行きました。
観念を取り除く
1994年2月20日午後、凌源鋼鉄会社の労働者文化宮殿で一連の講習会が正式に始まりました。私は最前列の5列目、師父のすぐ近くに座り、師父の姿をはっきりと見ることができました。師父は背が高く、肌はきめ細やかでした。古いダークグレーのスーツにシャツ、そしてダークパープルのVネックセーターを着ていました。上品で清潔感があり、慈悲深く、優しく、それでいて威厳に満ちていました。はっきりと大きな声で話され、その声には力強い響きがありました。
以前、無神論の影響を受けていた私は、師父が人間の生命について、また、人は業によって病気になるという概念について話すとき、私は抵抗を感じました。
家に帰ると、夫が講義の感想を尋ねました。私は「不思議でした!」と答えました。夫が全講義の受講料を払ってくれたので、残りの8回の講義を最後まで受講することにしました。ところが、聞けば聞くほど、師父の教えを受け入れる気持ちが強くなっていきました。まるで師父の教えによって、ゆっくりと氷の塊が溶けていくようでした。後になって、師父は私が法を得るのを妨げていた観念を取り除いてくださったのだと気づきました。
心身の改善
不思議なことに、師父の講義中はよく寝落ちしてしまいました。以前、色々なセミナーに参加した時は、どんなに長くても退屈でも、うとうとすることはありませんでした。私は他の人が話している間は起きているのが礼儀だと思っています。しかし、師父の講義中はどうしても我慢できず、拍手の音で目が覚めてしまうことがありました。私は恥ずかしい思いをしましたが、すぐにまた寝てしまいました。
私はほとんどの時間は寝ていたにもかかわらず、心身ともに変化がありました。体が軽くなり、歩くのが速くなりました。私は自転車に乗ると、まるで誰かに押してもらっているような感覚になりました。ある日、自転車で家に帰る途中、長く緩やかな坂道で、前を走る何人かの人を楽々と追い抜くことができました。その時、私はすでに50代でした。
多くの同僚が師父の講義に出席し、そのことについてよく話しました。師父は素晴らしい方で、お話の内容は私たちの知識をはるかに超えていると、皆が口を揃えて同意しました。そして、ほぼ全員が、程度の差はあれ、健康と人格の向上を実感しました。
夜寝ると、まるで毛布と一緒に浮いているような感覚でした。何より嬉しかったのは、長年の血尿の症状が消え、20年以上再発しなかったことです。
師父の慈悲
師父は最後の講義の後、私たちの要望に応えて、師父と私たちとの写真撮影に参加してくださることになりました。その日の午後、私たちは交代で師父と写真を撮りました。皆が準備をしている間、私は師父のすぐそば、わずか1メートルの距離に立つことができました。
学習者によって要望は様々でした。カメラを持参する学習者もいれば、家族と写真を撮ってほしい学習者もいれば、サインを希望する学習者もいました。師父は辛抱強く、笑顔で一つ一つ丁寧に対応してくださり、私は深く尊敬の念を抱きました。
夜には質疑応答と体験談の共有のコーナーがありました。私は質問はできませんでしたが、なぜ良いのかを説明することはほとんどできませんでしたが、ただ法輪功は素晴らしいと感じました。大法によって私の心の埃が取り除かれ、澄み渡り、心が安らぎました。
ある人が11~12センチ四方の木片を出してきました。真ん中に2センチの長さの釘が打ち付けられていて、その上に一枚の紙が貼られていました。「もし、この釘を抜くことができたら、私はあなたの言葉を信じる」と書いていました。師父はこの質問文を読まれた後、微笑んで(正確な言葉ではありませんが)こうおっしゃいました。「もしここで私が実演したら、あなたを邪悪な道に導くことになるでしょう」。師父の口調は慈悲深く、怒りの感情は全くありませんでした。私は師父の寛容さに深く感動しました。
師父は『轉法輪』「第一講」の中でこうおっしゃっています。
「…直接わたしの説法を聞き、功法伝授を受けられる人は、本当に……今のこの時間が最も喜ばしい時だったと、将来きっと分かることでしょう。…」
私はこの一節の法を読むたびに、喜びが溢れてきます。大法を目の前にして、私はなんと幸運なのでしょう!