1994年に広州で行われた師父の講習会の忘れられない思い出
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文/湖南の大法弟子

 【明慧日本2021年11月2日】法輪功を修煉する前の私は、頭のてっぺんから足の爪先まで、すべての臓器が病気でした。私は、薬で生き延びていたのです。胸は石の詰まった袋のようでしたし、呼吸するにも真綿で気管が塞がれているかのようでした。後頭部は何年にもわたって腫れて痛み、椎間板ヘルニアからリウマチ、腎下垂症まで患っていました。皮膚は周期的に痒くなり、尿には血が混じりました。手足にはいつもアザがあり、鼻血が止まらず、毎日微熱が続きました。顔は赤くて黒い斑点ができ、鼻先まで黒くなっていました。これだけ病気について話しても、私の病気はまだ尽きないのです。

 天から神仙が降りてきて助けてくれない限り、もう二度と健康になれないと絶望的な気持ちでした。しかし私には、いつか本当に天から神が降りてきて助けてくれるかもしれないという想いもずっとあったのです。どこからそんな想いが湧いてくるのか分かりませんでしたが、希望は持ち続けていました。一方で、私は病気を抱えながらも家族に迷惑をかけたくありませんでした。私が離婚を申し出ると、夫は安心したのか、すぐに新しい家庭を築きました。

 師父は説かれました。「悠々たる萬世の縁 大法の一線より牽く」[1]

 1993年12月、私は幸運にも書籍『法輪功』を手に入れました。そして1994年1月6日には、広州で行われた師父の9日間の講習会に参加しました。中国全土から何千人もの人々が広州に集まり、受講したのです。

 ある修煉者は、自分は3万キロも離れたところに住んでいると言っていました。師父がこの講習会を開催すると聞いて、広州まで足を運んだそうです。師父は本当に来てくださるのだろうか、とずっと心配していました。心配のあまり、師父にお会いするまでは休まないと決心していました。山を越えて川を渡り、電車に乗り、フェリーを乗り換え、飛行機にも乗って広州までの長旅をしました。師父の講習会への入場券を手に入れたとき、彼は涙が出るほど嬉しかったそうです。師父に直接会うことができたのです。これは、9日目の講習会に参加した修煉者たちに伝えた言葉です。

 車を持っている広州の修煉者たちは、遠方から来た修煉者たちを黙々と助けていました。私たちが道を尋ねようとしたとき、バイクに乗っていた若者が私たちの前に止まり、「9日間の講習会にいらしたのでしょうか?」と声をかけてきました。私たちが 「そうです」と答えると、「私は法輪功学習者です。皆さんを助けるためにきました。ご心配なく。まずあなた方2人をホテルにお連れしてから、残りの方々をお連れします。よろしいですか?」

 私たちの宿泊先を聞くと彼は「越秀公園からさほど離れていませんよ」と言いました。そして、スムーズにホテルへと連れて行ってくれました。

 私たちはとても感動しました。初対面の学習者が、まるで久しぶりに会った家族のように感じられたのです。彼らの献身的な行動は、私たち新しい学習者のお手本にもなりました。これは、大法の修煉者の質の高さを示す一例です。

 師父はこのような素晴らしい佛法を私たちの目の前に届けてくださいました。その時、広州はとても平和で素晴らしい雰囲気に包まれていました。天気もよくて青い空に白い雲がかかり、その美しさが際立っていました。

 師父はこう説かれました。
 「師を探して、
  幾多の年 ある日やっと、
  自ら見るを得る」[2]

 誰もが師父に会いたがっていました。多くの修煉者は、指定された時刻よりかなり前に会場に到着し、師父を待っていまいした。時間通りに師父が到着されて会場に入ると、万雷のような拍手が長く続きました。講習会には4千人以上が参加しました。

 師父が講義を始められると、誰もが熱心に耳を傾けました。誰もが一語たりとも聞き逃すまいとしていました。

 師父は非常に簡単な言葉を使って、深遠な法の原理を説かれました。私たちの理解を助けるために、師父は日常生活の小さな話を含めた実践的な事例を挙げました。師父の講義はいつも面白く、師父が説明している状況に修煉者を導かれるので、修煉者はよく心の底から笑い、暖かい拍手を送っていました。

 師父の講義には、9日間で豊かな実りを得てほしいという願いが込められていて、もっと知りたいと人々に思わせました。この機会を逃す手はありません。中国の古い言葉に「この村を過ぎれば、この宿はもうない」というものがありますが、師父の講義でこの言葉を聞いたとき、会場にいた修煉者たちは一斉に温かい拍手を送りました。

 師父の話は、どんな本でも読んだことがなく、聞いたこともありませんでした。師父の講義や、轉法輪の学習を続けるうちに、徐々に分かってきたことがありました。師父が私たちに教えてくださったことは、実は大いなる宇宙の法則であり、天国への階段なのです。

 師父は私の病業をなくすことも助けてくださいました

 師父は、私たちの膨大な業による苦しみを軽減して助けてくださいました。師父の苦しみと犠牲がなければ、私たちは間違いなく修煉できませんでしたし、修煉する権利もなかったのです。修煉者たちは涙を流しながら聞いていました。

 師父が広州で講習会を開かれた時、私の腰椎椎間板ヘルニアはとても深刻でした。一枚80元もする薬用絆創膏を何枚も貼ったり、漢方薬を塗っていましたが、どれも効果がありませんでした。そして当時の私の月給は数十元程度だったので、治療費も捻出できませんでした。

 師父の講義を聞いて、私の病気はすべて自分の業のせいであり、耐えなければならないと理解しました。師父は西洋医学、中国医学、気功治療についても説明してくださいました。また、弟子たちの業を解消するための法の原理についても教えてくださいました。師父はすべてをとても分かりやすく説明してくださいました。

 私は、すべての病気や苦難は、今生または前世で私自身が作り出した業が原因であると理解しました。私は、自分の利益のために他人を傷つけたり、徳を失うようなことをしたのです。ですから、私は善良で徳の高い人間になるために、真・善・忍の原則を守らなければなりません。争いに直面したときは自分の欠点を探し、親切心と理解をもって相手に接しなければなりません。

 師父は、病気の起源と、大法を修めることで病気を取り除くことができるという原理を教えてくださいました。講義中、師父は私たちの体を清めてくださいました。私の体にある大小の病をすべて取り除いてくださいました。

 師父は身をもって教え導く

 ある日、講義の開始時刻が近づき、皆が師父を待っていました。案内の同修だけがホールの外にいました。師父がいらして自転車が倒れているのをご覧になり、それを起こしてきれいに並べ始められました。

 一人の学習者が遅れてきて、背の高い紳士が自転車を整理しているのに気づきました。彼女はその人が案内の同修だと思い、ゆっくりと彼の横を通ってホールに入りました。しかし、彼女がホールに入った途端、すべての修煉者が立ち上がり、温かい拍手を送りました。この学習者は、なぜ多くの人が単に拍手をするだけにとどまらず、非常に感情的になるのか理解できませんでした。皆が自分の方を見ているので、彼女は困惑しました。振り向くと、自分のすぐ後ろに師父がおられたのです。この学習者は、自分が礼儀もわきまえず、師父の前を歩いてしまったことを後悔しました。

 外の自転車を丁寧に片付けていたのは、実は師父だったのです! その時、彼女ははっと気づきました。師父は弟子たちに、手本となって教えていたのです。

 師父は、自分の前をゆっくり歩く学習者を追い越すために歩調を速めることはされませんでした。むしろ、師父はその学習者の後ろを歩いておられました。その学習者とは誰でしょうか? それは他ならぬ私です。

 修煉を始める前の私は、礼儀をわきまえず、どんな場合も相手に譲ることを知りませんでした。いつも積極的に前に出ていました。何年経っても、あの日のことを思い出すと、自分の心性が低かったと反省しています。師父の広大な慈悲の心は私の心に深く刻まれ、それは私を熱心に修煉させる永遠の原動力となっています。

 講義の間、師父は学習者をより高いレベルへと導き、学習者の心性は急速に向上していきました。最初はみんなで競ってホールに入り、一番前に座ろうとしていたのです。それが、他の人を先に行かせて、整然とホールに入るようになったのです。ある修煉者は自ら席を譲って最後尾に座りました。経済的に余裕のある修煉者は、お金をあまり持っていない修煉者を助けたりもしました。私たちは皆、他人のために犠牲を払い、自分よりも他人を優先することを学んでいました。

 師父は講義を始める前、いつも皆に「もし誰かが落し物を見つけたら、それを演台の上に置いてください。持ち主は講義の後、取りに来るように」とおっしゃいました。

 もう20年以上も前のことですが、師父が最後に開催された講習会に参加したときの感動的なシーンは今でも鮮明に覚えています。そして師父のお言葉を思い出しては、自分を奮い立たせています。これからも、もっともっと修煉に励もうという気持ちになります。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「神の路難し」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「縁は聖果に帰す」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/26/431859.html)
 
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