文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年8月9日】私は1994年8月5日、初めて李洪志師父(法輪功創始者)の講習会に参加してから26年が経ちました。あの貴重な日々を思い出すたびに、感動して涙が出てきます。その場にいたことを私はとても光栄に思っています。師父の慈悲深さを忘れることができません!
ある同修に「あなたは師父の中国での初期の講習会に参加でき、なんと幸運なことでしょう。このことを他の人にも伝えるべきですよ」と言われました。私はいつも三つのことをうまくやればいいと思っていて、そこまでは考えていませんでした。 師父のご恩に対して、思い出を書くのは自分を実証するためではなく、師父の慈悲と偉大さを実証するためであり、また同修を励ますためでもあります。 これらの忘れられない日々について書き、同修の皆さんと交流したいと思います。
1994年8月4日、私はハルビン師範大学で1ヵ月間の書道の授業を終えようとしていました。キャンパスにたくさんの人が来ていました。私は興味本位で何人かの人に「何のイベントですか?」と聞くと、彼らは法輪功の講習会に参加していると答えました。彼らの言葉使いから、多くの人が遠路はるばる地方から来ていることが分かりました。
こんなにたくさんの人が集まっているのだから、さぞかし良い講演会なのだろうと思いました。私は、これを見逃すわけにはいかないと思い、自分も参加することにしました。
当時、私は法輪功について何も知りませんでした。気功のようなものだと思っていました。若い頃に武術をしていたこともあり、気功には興味がありました。講演会がハルビンのアイスアリーナで開催されることを知り、翌朝、早起きしてチケットを手に入れようと思いました。アイスアリーナの場所も、チケットがあるかどうかも知りませんでした。ただ「この講習会に参加しなければならない」という思いだけがありました。
道行く人に尋ねながら、ようやくアリーナに到着しました。そこには、すでに十数人の人が待っていました。スタッフによると、朝9時から限られた数のチケットを販売するが、購入できない場合もあるということでした。
幸運にも、私はチケットを手に入れることができました。私はとても興奮しました。私の人生でこんなに幸せなことはなかったと思ったほどです。
講習会は8月5日から14日までの9日間で、講義は毎晩6時半に始まりました。送迎バスがハルビン師範大学から決まった時間に出ており、とても便利でした。
講義の初日、私はすでに興奮し、好奇心でいっぱいでした。全国各地からたくさんの人が集まって来ていました。私の席は最前列の一つで、ステージにとても近いところにありました。
6時半ごろ、白い半袖シャツを着た背の高い男性が微笑みながらステージに上がって来られました。「ああ、この方は李洪志師父に違いない!」と思いました。師父はとても若々しく、2、30歳代のように見えました。
そのとき、受講者は長い間、熱烈な拍手をして師父をお迎えしました。
師父が話し始められると、約5000人の受講者で埋め尽くされた会場は、たちまち静まり返りました。誰も音を立てず、タバコを吸う人もいません。私は受講者が師父にいかに敬意を払っているか、畏敬の念を抱いているかを感じました。
師父は原稿なしで、宇宙の深い真理を平易な言葉で説かれました。その内容は天文、地理、物理、化学、生物・・・と多岐にわたりますが、これらの説明は地球上のどの本にも載っていません。師父は人間であることの本当の目的、宇宙の最高の特性、本当の善人と悪人をいかに見分けるか・・・について話してくださいました。
私は魅了されました。自分の世界観が変わり、長い眠りから覚めたような心地よい感覚がありました。全身の細胞が目を覚まし、浄化され、興奮し、歓声を上げて小躍りしていました。こんな心地よさは初めてで、かつてない素晴らしい感じでした。時折、会場から熱烈な拍手が沸き起こりました。誰もがこの講義に深く引き込まれていました。
初日の講義が終わったとき、私は決意しました。私は法輪功を学ばなければなりません。講義の2日目の朝、起床したとき、目を開ける前に、部屋の中に強い赤い光を感じました。寮のみんなも見たのかと思いましたが、誰も見ていないことがわかりました。あれはきっと私の天目で見たのだと、後で気がつきました。
師の言葉を聞くたびに、若い頃から私の中に深く植え付けられていた無神論や進化論の概念が崩壊していきました。代わりに、私に希望と光をもたらす新しい思想が徐々に確立されていったのです。私は自分が生まれ変わったように感じ、ワクワクして幸せな気持ちになりました。
3日目、師父はみんなの身体を浄化してくださいました。私の隣にいた女性は、法輪が会場全体に満ち、人々の体に雪のように降りかかっているのを見ました。
師父は全員に立ち上がり、自分や家族の病気に意識を集中するようにと言われました。師父は三つ数えるから、三つ目の時に全員が足を踏み鳴らすと、その病気が消えるとおっしゃいました。全員がそれに従いました。足を踏み鳴らした瞬間、私は体がとても軽くなり、快適になったのを感じました。隣の女性は、巨大な火の玉がみんなの体に火を放つのを見ました。
4日目の講義は、急用で急いで帰らなければならなかったので、結局、欠席しました。そのときの私は悟りが比較的悪く、貴重な機会を逃したことに気がつきませんでした。後になって、この日を逃したことを後悔しました。
ハルビンの夏は暑く、多くの人が講義中に扇子を使っていました。師父は「扇子を置くように」とおっしゃったのですが、それにもかかわらず、私は大きな扇子で扇ぎ続けていました。今でも思い出すたびに赤面します。
師父は毎日長時間、水も飲まれず講義をされており、いつも微笑んでおられました。師父は第四式の功法—法輪周天法を教えるとき、ステージから降りて会場を回られました。師父が私の傍に来られたとき、師父は講義を手伝っていた修煉者に私の姿勢を正すように指示されました。師父は会場にいる私たち一人一人を丁寧に見ていらっしゃいました。
私が受講中、義母は足の痛みを病院で治療するために、私の娘と一緒にハルビンに来ました。何度かアイスアリーナの外で待っていて、講義が終わると私は病院まで付き添って行きました。結局、医師は「足に問題はないですよ」と言いました。義母はなぜ足の痛みが突然なくなったのかと不思議がっていました。その後、義母が外で私を待っている間に、師父が義母の身体を浄化してくださったのだと気づいたのです。師父が説かれた「佛光が普く照らせば 礼儀が圓明となる」[1] という法は、弟子と家族も本当に同じように感じました。慈悲深い師父はすべての生命を救い済度してくださっているのです。
この貴重な9日間は、あっという間に過ぎてしまいました。その間、私は心身ともに浄化され、次元も急速に向上し、体はとても軽く、空中に舞い上がるような感じがしました。
講習会が終了し師父が帰られるとき、受講者たちは道の両側に静かに立っていました。師父が近づいて来られると、私の近くにいた同修は手を伸ばして師父と握手をしていました。私には手を差し伸べる勇気がなかったのですが、それでも、師父を間近に拝見し、とても光栄に思いました。
師父の車が遠ざかって見えなくなっても、私たちは長い間そこに立っていました。誰もが離れたくなかったのです。
師父の講習会を受けていた当時、私は30歳でした。太極拳、武道、占い、書道など、いろんなことに興味を持っていました。普通の人間社会で多くの目的を達成しようと努力し、勝者になりたいと思っていました。しかし、修煉とはこのような執着心を取り除くことです。
途方に暮れることもありました。私はまだ若い、このような人間の執着をすべて捨て去るのは、言うは易く行うは難しです。
師父は私の修煉をずっと見守ってくださっています。私がどうすればいいか迷っていると、頭の中に励ましの言葉が浮かび、私が間違ったことをすると、師父は人の口を借りて私を戒め、私が転ぶと、優しくて大きな手で支えてくださいました。師父はあらゆる場面で、すべての修煉者の修煉の道を按排してくださいました。それだけでなく、師父は宇宙のすべての生命を大切にされています。師父は宇宙のすべての生命を救い済度しようとされています! これはなんという広大な佛恩なのでしょう!
26年の歳月が流れました。師父の講義を直接聞いていた頃を振り返ると、本当に幸運だったと思います。師父は「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す」[2]と説かれました。弟子はこの貴重な記憶を心の中の最も神聖な場所にしまっておき、自分自身を鼓舞し続けます。 どんなに遠い道のりでも、弟子は歩み続け、三つのことをしっかり行い、自分の誓約を果たし、師父と一緒に真の家に帰ります
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」