1994年合肥と鄭州での講習会の思い出
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  【明慧日本2025年4月17日】私は江西省九江市に住む法輪大法の修煉者です。師父の1994年合肥と鄭州での講習会に参加してからもう25年(訳注:2022年)が経ちました。この経験についてずっと書きたいと思っていましたが、限られた教育と法輪大法の修煉による迫害のために、これまで書くことができませんでした。私は他の同修の助けを借りて、ようやく今日、書き上げることができました。

 1994年、私は32歳でした。ある日、夫が『法輪功』という本を持って帰ってきたので、自然と惹きつけられ、一気に読み終えました。翌日、私はとても幸せで心地よかったです。心身ともにリラックスし、軽くなったように感じました。本当に驚きました。夫は、法輪功は真の仏教の修行であり、人をより高い境地へと導く心と体を鍛える修行だと教えてくれました。

 その後まもなく、湖北省武漢市の学習者の紹介により九江市の学習者3人が武漢で行われた師父の講習会に参加しました。彼らは地元に戻った後、九江市に大法を広め、人々は次々と大法を修めるようになりました。

 一、安徽省合肥市での法輪功の講習会に参加

 1994年4月16日は、私の人生で最も輝かしく、最も幸せな日でした。私は永遠に忘れません。師父は2回目の合肥での法輪功の講習会を開催してくださいました。私たちは喜びに胸を躍らせながら講堂に入りました。1,200人以上が出席し、九江からも40人以上が参加していました。私たちは最前列に座り、師父の到着を待ちました。

 しばらくすると、1人の男性がステージに現れました。彼は優しく、慈愛に満ちた父親のように私たちを見つめていました。私は見覚えのある顔で、すぐに師父だと分かりました。背が高く、きれいな肌と優しい瞳を持つ師父は、25歳くらいの青年のように見えました。彼は演壇に近づき、講義を始めました。

 参加者は静まり返り、まるで何もないかのように、師父の説法に熱心に耳を傾けていました。師父は(正確な言葉ではありませんが)こうおっしゃいました。「皆さんは皆、ここにいるのは運命です。皆さん、説法に耳を傾けてください。最初は気功の形で講習会をしていましたが、これからは本当に法を伝えます。皆さんにとって、講習会への参加は容易なことのように思えます。皆さんの中には、非常に運命づけられた、数万人の中から選ばれた人たちもいます。この大法はあまりにも貴重ですから、大切にしてください」

 師父は講義の初日に私たちの体を浄化してくださいました。何人かの学習者には、到着前にすでに浄化をしてくださいました。師父は、どんな不快感も病気とみなすべきではないと繰り返し強調されました。私たちの体は浄化され、病気は取り除かれているのです。師父は、全員が講義に通い続けてほしいと願っておられました。そうでなければ、大きな損失になるからです。学習者の中には、師父のオーラと、彼らが「仏体」と呼ぶものを各層ごとに見た人もいました。また、法身のつま先と思われる部分しか見えず、頭が見えなかったという学習者もいました。

 ある時、私は両腕の上で法輪が時計回りと反時計回りに回転しているのを感じました。私の体の他の箇所でも同じように回転していました。時には、私の耳の中で法輪が高速で回転する音が聞こえることもありました。ある時、私は法輪があまりにも速く回転して目が回りそうになったので、きっと体を調整してくださっているのだろうと実感しました。「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」(『轉法輪』「第三講」)という感覚を覚え、穏やかで慈悲深く、力強いエネルギー場に包まれました。

 講義の3日目、師父は第二式の功法を教えてくださりました。法輪を頭の前に抱えた時、腕の位置がずれていました。師父は私の手を指さしながら、「もう少し手を上げなさい」と優しくおっしゃいました。師父が見守ってくださっていると思うと、とても嬉しく、胸が高鳴りました。

 9日間の講義を通して、師父は最も深遠な宇宙の理を、最も分かりやすい言葉で説かれました。特に、心を修めることが功を高める鍵であると指摘されました。道徳の向上に心を配り、執着を捨てることで、健康を保ち、より高い次元へと向上することができると示されました。また、病気の原因や、天目について、先史文明と、徳と業の関係などについても明らかにされました。その内容のほとんどは『轉法輪』で説かれていたものです。師父は、これまで誰も語ることのなかった天上の秘密、秘奥の中の秘奥を明らかにされました。

 最後に、師父は私たちに学んだことについて書くように言われました。私はこう書きました。「李先生の講座を受ける前は、私は無知な子供のように世間知らずで、私利私欲が強く、些細なことに貪欲でした。先生の講義を聞いて、私の身体だけでなく心も浄化されました。師父は、何をするにもまず他人のことを考えるように、人間であるということは、本来の目的である真・善・忍という宇宙の特質に徐々に同化していくことだと教えてくださっています。私たちは、人格を高め、より善い人間になることに心を配るべきです」

 もう一つ特筆すべき点がありました。各地区の学習者がグループに分かれて師父と写真を撮っていました。ある学習者は師父の近くに座りたがり、席を奪い合っていました。すると、なぜかベンチが倒れ、学習者たちは皆地面に倒れてしまいました。師父はすぐそばに立って、その様子を見ていましたが、一言もおっしゃりませんでした。私は師父の近くに立って、その反応を観察し、大変感銘を受けました。ある学習者が師父に「先生は少しも尊大ぶったところがないのですか?」と尋ねると、師父は「それは良いことでしょうか?」とおっしゃいました。師父はとても気さくな方で、学習者は皆、師父の優しさを感じ取ることができました。

 九江から来た学習者は、興奮した様子で師父と握手し、「法輪大法は本当に素晴らしいですね。こんなに良い煉功法を見つけるのは容易ではありません。私は田舎出身で、教育も受けていません。大法を修めてもいいですか?」と尋ねました。師父は「もちろんです。大切にしてください」とおっしゃいました。

 多くの人が師父に感謝の言葉を述べ、中には頭を地面につけようとする人もいました。師父は学習者に「そんなことはすべきではなく、ただ心を尽くして修煉してください」とおっしゃいました。

 講習会が終わる前に、3歳、5歳、6歳から10代の若者まで、たくさんの愛らしい子供たちがステージに上がり、2列目に座り、足を組んで座禅していました。師父は彼らを見て喜び、まるで知恵を授けるかのように、彼らの頭に触れました。

 いくつかの省や地域の修煉者たちが、「大徳大法」と「仏光はあらゆる場所を照らし、すべてを調和させる」と書かれた横断幕を師父に奉納しました。師父は私たちに大きな手印を示され、その場の雰囲気はより特別で神聖で厳粛なものとなりました。それから、大きな法輪を回転させる印をもう一度結ばれました。あの時の記憶は、今でも私の心に深く刻まれています。そして師父は、数千年にわたり道を修めてきた人々は、望んでいたものを得ることができなかったが、私たちはすでにそれを得ており、それを大切にしなければならないと語られました。

 師父は皆を見回し、満面の笑みで手を振って別れを告げられました。皆は師父の周りに集まり、喜びの涙を流しながら、長い間離れることを惜しみました。私たちは皆、もう少し師父の傍らにいて、もう少しだけ師父の話を聞きたかったのです。

 二、河南省鄭州市での講習会に出席

 1994 年6月10日から6月18日まで、私は再び、今度は鄭州で行われた師父の法の講習会に参加する栄誉に浴しました。

 私たちは鄭州の普通なホテルに宿泊しましたが、翌日、師父が到着し、自らチェックインしているのを見て驚きました。

 6月10日、師父の講義が始まりました。会場は満員で、人が通れる通路はわずかしか残っていませんでした。会場は1950年代に建てられた古いスタジアムで、中央にバスケットボールコート、四方にコンクリートの階段が12段ほどありました。コートの中央には、師父が講義を行うための簡素な古いテーブルと椅子が置かれた演壇がありました。師父の到着を待ちわびていた全員が立ち上がり、師父が初めて教室に入ってくると、熱狂的な拍手を送りました。会場の興奮は手に取るように伝わり、喜びは計り知れませんでした。これもまた、忘れられない思い出となりました!

 師父はテーブルに近づき、「それでは、講習を始めましょう」とおっしゃいました。師父の声ははっきりと大きく、スタジアムの全員にはっきりと聞こえました。私たちは皆、師父の教えに真剣に耳を傾け、スタジアムは静寂に包まれ、エネルギーに満ち溢れ、師父の声だけが響き渡っているのを感じました。

 講義の3日目、開始から40分ほど経った頃、突然の雷雨に見舞われました。割れた窓やドアから雹が吹き込み、落雷で照明が消え、スタジアムは真っ暗になりました。

 私は3歳の娘を連れて講義に出席しました。階段の下、小さな扉の横に座っていました。娘が騒いで講義を聞いている他の人たちに影響が出るのではないかと心配でした。突然、「急いでバスケットコートへ行こう」と頭に思い浮かびました。私たちが移動するとすぐに、小さな扉から水が噴き出し、私たちのいる空間が水浸しになりました。下を見ると、水はあまりにも深く、もし上がってこなければ二人とも溺れてしまうだろうと思いました。師父の法身が私を守ってくれたと心から信じています。

 土砂降りの雨と雹がスタジアムの屋根を激しく叩く中、一部の学習者は平静を保てず、動き回り話し始め、会場はもはや静寂ではなくなりました。師父は(私が覚えている限りでは)真剣にこうおっしゃいました。「釈迦牟尼が仏法を説かれた時も魔の妨害に遭われましたが、弟子たちは動揺しませんでした。あなた方は大法を修めているのに、なぜまだ慌てているのですか? 魔の妨害は、あなた方が法を得るのを妨げるためです」

 師父はすぐに蓮華座に座り、偉大な手印を唱え始めました。私には理解できませんでしたが、荘厳で神聖なものを感じました。すると突然嵐が止み、明かりが再び灯りました。空はたちまち晴れ渡り、太陽が顔を出しました。すべてが元通りになり、空はより明るくなりました。

 師父は講義を続けられました。その時、師父がテーブルの上の2本の水の入った瓶を、背後のコンクリートの階段まで動かすのが見えました(最初の数日間は水を持ってこなかったのですが、その日だけは持ってきてくれました)。しばらくして、2本の瓶が揺れているのが見えましたが、何が起こっているのか分かりませんでした。師父は瓶を拾い上げ、テーブルの前に置くと、瓶は動きを止めました。後で分かったのですが、師父は問題を起こしていた魔を瓶の中に入れたのでした。

 師父の人生の根源は、きっと大きく異なっており、強大な力をお持ちなのだと感じました。師父は弟子のために多くの悪しきものを取り去ってくださいました。そうでなければ、干渉が大きすぎるでしょう。弟子たちの体を浄化し、私たちが修煉すべき業を断つために、師父は私たちのために想像を絶するほどの業を耐え忍んでくださいました。しかし、私たちは表面的な干渉しか感じ取れませんでした。

 合肥と鄭州の講習会における師父の閉会の言葉に、私は最も感銘を受けました。どちらの講習会でも、師父は立ち上がって(これも私の記憶の限りですが)こう説かれました。「正法を広めるのは容易なことではありませんでした。簡単に手に入れたからといって、簡単にそれを失ったりしないように、皆さんに忠告しておきます。これは千年、一万年経っても経験したことのないことです。一度過ぎ去れば、二度と遭遇することはありません」

 当時の私はまだ無知で、ほとんど理解していませんでした。それでも、心が揺さぶられ、涙がこぼれました。師父の言葉の一つ一つが、深い意味と天の秘密に満ち、重くのしかかるようでした。

 今、この最後の瞬間を振り返ってみると、師父の言葉には、法を正す道程における師父の想像を絶する苦難と、宇宙の衆生を救うための師父の大きな苦しみが込められていることが分かります。

 再び師父の『洪吟三』の「還 原 」を復習しましょう。

 真体、年少く、壽彊無し 
 身、時空無く、天の綱を掌る 
 大 窮救わんとし、天法を伝ひ 
 衆生の業、一身もって当る 
 無量の衆生の業、巨難と成り 
 青糸斑白して、人体傷す 
 正法成し終ひて、本尊顕し 
 洪恩威厳にて、十方鎮む

 私は感動してしまい、涙が止まりませんでした。

 多くの学習者が様々な残酷な迫害を受けました。師父の加持がなければ、誰も修煉を続けることはできなかったでしょう。師父の保護がなければ、私たちはここまで来ることはできなかったでしょう。師父が世間の衆生のために払われた計り知れない苦しみがなければ、多くの人がここにいることはなかったでしょう。師父が宇宙の法を正してくださらなければ、宇宙は崩壊していたでしょう。師父とその計り知れない恩恵への感謝の気持ちは、言葉では言い表せません。

 講習会の終わりに、師父は再び法輪を回す印を結んでくださり、強力なエネルギーを発して私たちを力づけ、さらに上へと、さらに前進させてくださいました。私たちにできるのは、先史時代の誓いを守り、三つのことをしっかりと行い、師父が法を正すことを手伝い、より多くの衆生を救い、師父のご心配を少しでも和らげることだけです。

 師父、ありがとうございます!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/14/384151.html
 
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