不思議な生命の奇跡
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文/中国遼寧省の大法弟子 

 【明慧日本2022年2月3日】私は今年64歳で、1997年4月から大法を修煉し始めました。『轉法輪』を拝読してから、真・善・忍で自分を正したところ、師父は私の身体を浄化してくださいました。煉功してから間もなくして持病の胆囊炎、胃潰瘍、神経衰弱、慢性虫垂炎、関節炎、不整脈、椎間板ヘルニア、糖尿病、乳腺炎などが全てなくなりました。全身が無病状態になって、軽くなり、本当に幸せになりました。

 加えて、大法を修煉してから、私の心性は素早く向上し、家庭では舅と姑に親孝行する良い嫁に、夫を思いやる良妻賢母になり、幸せな家庭を築きました。職場では同僚に親切にして、他人のために困ったことを解決してあげました。当時私は事務室の主任でしたが、自分の職権を使って自分のために何かしたことはありませんし、仕事は身をもって頑張り、責任を尽くし、友人や同僚に賞賛されていました。

 1999年7月20日から中国共産党(以下、中共)が法輪功に対する迫害を始めました。私は自分の信仰を放棄しなかったとして、2005年と2016年にそれぞれ7年と4年6カ月の刑を言い渡されました。不法に拘禁されていた間、拷問されて身体をひどく痛めつけられました。しかし、このような身体の障害と死に直面した生命に、師父は新しい身体を作ってくださり、不思議な奇跡が起こりました。

 身体衰弱のため監獄と留置場が敢えて受け入れず

 2005年10月25日、私は黒山留置場に強制連行されました。警官は私の手を後ろに持っていき、手錠をかけようとしましたが、私は従いませんでした。そこで警官が私の右腕に傷を負わせました。そして私は断食で抗議しました。刑務所の医者が数人の警官と犯罪者を連れて、私に強制的に食物注入を実施しました。手の指くらい太いゴム管を鼻から胃に入れましたが、私の鼻と喉はそれによって大量出血し、呼吸も困難になり、吐き気を催しましたが、吐こうとしても吐くことができませんでした。私の鼻と喉からは血が流れていましたが、両手は身体の後ろで手錠をかけられ、胃にはゴム管を入れられた状態で、午前10時から午後3時までの約5時間残酷に迫害されました。

 2006年1月16日、私が迫害されて何回も昏迷状態に陥ったにも関わらず、黒山法院(裁判所)の人たちは留置場で私に対して不当に7年の刑を言い渡しました。2006年2月9日、黒山留置場の3人の警官が私をパトカーに押し込み、大北監獄に移送しました。

 しかし、大北監獄での身体検査で、私に重い腎不全、心不全、酸中毒と極度の栄養失調があったため、いつ死んでもおかしくないと診断され、監獄は受け入れを拒否しました。

 私を監獄に受け入れてもらうために、黒山留置場の警官は大北監獄の警官に5000元を渡しました。通常では、地方の留置場から監獄に人を移送する時は、監獄の方が留置場の方に800元を与えるのです。しかし、黒山留置場の警官らはお金を惜しまず、大金の賄賂を贈ってまで私を投獄しようとしました。しかし、監獄側は、私の身体状況で中で死んでしまったら、自分たちが責任を負うことを恐れ、どうしても受け入れようとしませんでした。結局、黒山留置場の警官らは私を留置場へ連れ戻すしかありませんでした。

 留置場に戻ってから、警官は人を指図して、強制的にゴム管を鼻から胃に入れ、流動食を流し込んだり、点滴したりしました。その間、一人の副所長が好意からかもしれませんが、私に「『轉法輪』を持って来るから読んでください」と言いました。私は「ここは私が学法する場所ではありません。私は家に帰って学法します」と答えました。

 2006年2月13日の朝、また強制的に灌食され、点滴をされた時、私は黒と紫が混じった色の血を二度吐きました。留置場の警官らはこれを見て私が間もなく死ぬと判断し、急いで点滴を中止し、家族に迎えに来させました。

 その時、私は全身がむくんでいて、足も浮腫んでいて歩けませんでした。尿意があると我慢できなくなり、トイレまで這いずって行くしかありませんでした。同時に心不全が現れ、すでに話せなくなっていました。私は心の中で「師父、私を助けてください!」と叫びました。私が目を覚ました時、着ていた服が汗でびっしょりになっていました。師父はもう一度私を救ってくださいました。その前にも数回心不全が現れましたが、私はいずれも師父に助けてくださるように頼んだから生き延びられました。

 監獄も受け入れを拒否し、病院でも希望がないと診断された私は煉功と学法を続けることによって、たったの1カ月で身体が完全に正常な状態まで回復しました。

 警官に折れられた腕が自ずと元に戻る

 2007年9月11日私は鉄嶺市の警官に強制連行され、鉄嶺市の留置場で四十数日間監禁されました。2007年10月23日に警察は私を馬三家女子労働教養所に送りました。

 2008年10月10日、馬三家労働教養所は数人の法輪功学習者(以下、学習者)が「評価シート」にサインしなかったとして、吊し上げの刑を与えました。私はこのような迫害に抗議したため、同じく吊るし上げられました。

 上半身はベッドの間に押し込まれ、下半身はベッドの外側に置かれます。二層のベッドの間には横に一つの山形鋼を固定します。まず両脚を一緒に縛ってから、脚を山形鋼に縛ります。両腕は手錠でそれぞれベッドの両側に固定されます。その時、手錠は上のベッドの横梁に固定されています。そうすると腰は伸ばせなくなり、足も地面から離れるため、体重はすべて両腕だけにかかります。

 たった数分で私は汗だらけになり、全身が濡れ、手は腫れて黒紫色になりました。本当に死んだ方がましなほどでした。時間が長くなると手錠が肉に食い込み、血が手に沿って滴りました。私は2昼夜ずっとこの姿勢で吊るし上げられました。そこから開放された時、私の右半身は感覚がなくなり、食事もできなくなりました。警官の話ではこの刑で2昼夜耐えた人は体を伸ばされて死なないとしても、身体が不自由になると言っていました。

 20日以上も過ぎましたが、私の右半身はやはり何の感覚もありませんでした。私は身体検査を要求しました。監獄の病院で私は医者に「私の身体は回復する可能性がありますか?」と聞きました。医者は「それはあなたがどう鍛錬するかによります。もしかして1~2カ月か、或いは1~2年、あるいは8~10年かかるかも知れません」と言葉を濁しました。「ということは神経が壊死したのですね?」と聞くと医者は「我々には設備がないので、正確な診断はできません」と答えました。

 私の右半身に感覚がない中、2008年12月30日に「評価シート」にサインしなかったとして、3人の警官が私の感覚がない右の手を無理やり持って行き「評価シート」に指紋を押しました。その時私の右腕は彼らによって肩に近いところで折られました。腕は脱臼し、手が上を向いて挙げている形になりました。

 監獄病院では治療できなかったので、私は瀋陽医科大学付属病院に転院させられました。そこで医者は「この状況では手術するしかありません」と言いました。私はそれに同意せず、「煉功さえできれば、良くなる」と言いました。瀋陽整骨病院の主任医師に保守的な治療を行ってもらいましたが、腕が折れてから3日も過ぎていたので、牽引療法を行う時、私は痛くて耐えられなくなりました。そこで「私は大法弟子で、このような治療は要らない」と思って牽引後取り付けたものを取り外しました。

 馬三家労働教養所の警官は私を4階の倉庫に監禁して1人の湖北省籍の受刑者に私の世話をさせました。私はベッドに倒れたまま大法を暗唱しました。『論語』、『洪吟』、『洪吟二』など暗唱できる法をすべて暗唱しました。暗唱する間、腕が誰かに少しずつ下の方へ引っ張られているような感じがありましたが、痛みはありませんでした。

 20日後、私は整骨病院に連れていかれて再検査を受けましたが、なんと腕は完全に元の位置に戻っていました。しかし右半身はやはり感覚がありませんでした。2009年3月10日に解放され、家に戻った時、自立生活ができませんでした。

 家に戻ってから私は学法と煉功を続け、たったの二十数日で身体は完全に元通りに回復しました。しかも治った腕には硬い固まりがありませんでした。骨折した人ならみな知っていますが、骨が折れたら元のように成長しません。ただ外の肉が断裂した部位を包んでいるだけです。従って骨折した部位は繋がった後、目立つ硬い固まりが生じます。しかし私の腕は繋がった後は完全に正常な状態になり、硬い固まりは少しもありませんでした。

 このような重度の障害に近づいた私に師父は改めて健康な身体を作ってくださいました。

 医者は「あなたの胆嚢は手術したものとそっくりです」と言う

 2016年6月、私は再び錦州市留置場に強制連行されました。夏の身体検査で超音波検査担当の医者に「あなたは胆嚢を手術したことありますか?」と聞かれました。私は「手術したことはありません。胆嚢に問題がありますか?」と聞きました。その医者は「あなたの胆嚢は手術したものとそっくりです。胆嚢の壁がメスで切られたように薄くて滑らかで、均一です」といいました。

 私は以前、胆嚢炎を患っていましたが、煉功してから治り、病院へ行って検査したことがないと伝えました。医者はそれを聞くと「不思議なことだ、本当に不思議なことだ…」と頭を抱えながら独り言のように言いました。

 これは私に2005年10月25日のことを思い出させました。その日私は黒山留置場に強制連行されました。私が断食したので、警官は私を県の病院に連れていき、胃の内視鏡検査を行いました。

 病院から戻る時、2人の警官が車の中で小さい声で「嘘ばっかりですね。彼女の胆嚢の壁があれほど薄いのに以前胆嚢炎を罹っていたなんて」と話していました。その時私の身体は非常に弱かったので、それを聞いて「私は大法を修煉する前、確かに胆嚢炎を患っていて、その時医者から私の胆嚢の壁が相当厚いので、いつかは手術すべきだと聞かされた。私は嘘なんて言っていない」と心の中で思っていました。

 当時私は彼らに、なぜ私が嘘をついていると考えているのかと聞きませんでした。しかし今になって、この医者の説明で自分の胆嚢の状態を聞いてやっと、師父がとっくに私の胆嚢を健康に、手術したようなものに浄化してくださったことが分かりました。

 おばあさんの各項目の数値は若者よりも良い

 2016年6月私は強制連行されました。法輪大法の修煉を堅持したことを理由に4年6カ月の刑を言い渡され、2020年10月24日にやっと解放されました。その時、私はもう63歳でした。

 開放される前、監獄で身体検査を行いました。その場にいた医者たちは、このおばあさんの心臓や血圧などの各数値は若い人より良いと言っていました。私は自分が腎不全、心不全、酸中毒になっていたことを伝え、今生きていること自体が奇跡であると伝えました。

 そして彼女たちに私が2005年10月25日に強制連行され刑を言い渡された経歴、つまり上に書いた、身体衰弱で監獄が受け入れようとせず、留置場も監禁し続けることを恐れていたことを伝えました。しかし、家に帰って学法して煉功するとたった1カ月で身体が完全に回復し、今あなたたちが見ているこの身体になっていると教えてあげました。彼女たちは「本当に奇跡です」と言いました。

 法輪大法を修煉してから、私は生命の落ち着き先が見つかりました。中共の残酷な迫害の中、私の身体はひどく傷つきましたが、私の生命の本質は師父が変えてくださいました。師父は私の身体を再び作りあげ、私の心も再び作ってくださいました。どのような言葉で師父の恩に感謝したら良いのか分かりません。師父に心よりお礼を申し上げます!

 師父、師父の弟子になれて本当に良かったです!

 
(中国語: https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/1/434647.html)
 
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