心性を修めることが分かるようになった
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2021年1月6日】私は今年53歳で、1997年に法輪大法の修煉を始めて、23年間が経ちました。世間の苦しみを幾度も味わって、重い人心は山のようで、観念は錆びついた鎖のようで、いずれも私の修煉の意志を試しています。師父と大法の導きの下、風雨を経験して今日まで続けてきました。ここで、修煉の道に私に大きな影響を与えたいくつかの出来事を書き出して、同修たちと分かち合いたいと思います。

 1、心性を修めることが分かるようになった

 地元の同修Aさんが不当に逮捕され、獄中で深刻な病気になり、我々数人がAさんの家族と一緒に救助チームを結成しました。ある日、救助するために何をすれば良いかを相談していた時、私は率直に意見を述べ、「上手に話したな」と思いました。ある同修は私を見て、「あなたは仕事そのものに執着する心があります」と言いました。私は「人が動かないと、事は自然的に成り立つのですか」と反発して、心の中で同修の言葉に無数の不服をぶちまけました。

 1カが月経って、一緒に学法をした後、Aさんを救助する中でぶつかった問題をどのように解決するかを相談して、みんなが自分の意見を話しました。私が発言したら、例の同修はまた「あなたには仕事そのものに執着する心があります」と言って、他の何人かの同修も相槌を打って、彼の指摘に賛同しました。どうやら、これが皆の共通認識のようです。皆がそう言うのなら、自分の執着心はきっと深刻な問題なのだ、重視しなければならないと思いました。「仕事そのものに執着する心」とは、具体的にどのような執着心であろうかと皆に聞くと、同修たちは誰も話しませんでした。

 帰り道に私は一生懸命「仕事そのものに執着する心」とはどんな執着心かと考えていました。突然、自分は忙しい仕事をしているが、内に向かって探すことを少しもしていない光景が頭に浮かんできました。その瞬間、自分の執着心はどこにあるのかが分かりました。それ以来、何かをする時、もしくは何かの問題に遭う時、内に向けて探すことを覚えました。そのことは私の修煉の道において一つのきっかけとなり、それで心性を修めることができるようになりました。

 2、協調する中で心性を修める

 協調人は現地で複数の学法グループを作りたいと言って、私に協力してほしいと頼んできました。この事は簡単そうに見えますが、実際はとても難しいのです。同修には様々な事情があり、恐れてグループ学法に参加したくない、もしくは反対する人、トラブルがあって同じグループに入りたくない人、家族に止められて参加できない人もいるので、一人一人に会って事情を把握する必要があります。ふだん物事に積極的に取り組んでいる同修数人で集まって相談しようと声をかけたのですが、約束の時間には3人しか来ていませんでした。私は、冷たい水を頭からかけられたように頭から心まで冷えました。

 後から分かったことですが、何人かの同修はもともと私の考えに反対していましたが、私に向かって言わず、ミーティングに参加しない形で不満と反対を現したのです。このように裏でごちゃごちゃする人が一番嫌いなので、私はとても腹が立ちました。協調人は「内に向かって探しましょう。同修たちに頼りたい心があるのではないでしょうか」と私に注意しました。その注意のおかげで私は非協力的な同修に対する不満を放下することができて、その不満は一種の嫉妬心であると気づきました。2人で相談した結果、誰にも頼らずに直接各同修を訪ねて情況を聞き、グループ学法をしたくない同修に対しては寛大になり白い目で彼らを見ない、とのことで合意しました。

 ある日、年配のBさんの家に行きました。Bさんの生活は困窮し、70歳を超えた今も商売をして生活をかろうじて維持しています。ふだん1人で学法しています。Bさんの家に着いて来意を説明して、学法グループに参加できるかを尋ねました。するとBさんは家の状況について話し始め、事細かに多くの困難を語りました。私はちょっと面倒くさく思い、ちょっと腹立たしく感じましたが、辛抱強く聞いていました。

 聞いているうちに、自分の正しくない状態に気づきました。今日はBさんに事情を聞くために来たのでは? どうしてイライラするのか、Bさんの言うことを聞かないとどうやって事情を把握するのかと思って反省しました。そして心を落ち着かせて、Bさんの時間に合ったような学法グループを見つけて、Bさんをそこに入れました。

 Bさんの家を出てから、長時間バスに乗って家に帰ることになるので、バスの中でさきほど自分の言動を細かく思い出して、なぜあんなにイライラしたのかと反省しました。「仕事そのものに執着する心」があり、焦る心があり、焦る心の裏には私心があると分かりました。物事が思い通りに運ばないといつも機嫌が斜めになります。それは自己中心ではありませんか、善意が足りません。そこで私は発正念をして私心を取り除くように決心しました。家に着いたのはとても遅かったのですが、とても充実した一日でした。

 私と協調人は2カ月余りの努力を経て複数の学法グループを作り、現地の同修を1人も漏らさずに各グループに編入しました。皆は団体の環境の中で学法と交流をして、以前より向上しています。

 ある日、同修Cさんの家に設定した学法グループに参加した時、Cさんは自分の家が公安に監視されているように感じ、少し不安だと言いました。このようなことが起きるのは決して偶然ではないと思い、皆はそれに関して交流して、誰にでも恐れる心があると共通に認識しました。皆が内に向けて探しているので、全体の雰囲気はとても穏やかなものでした。Cさんのプレッシャーを軽減させるため、同修Dさんは進んで学法の場所を自分の家に移そうと提案しました。積極的に同修の困難を解決しようとするDさんの姿を見て、皆の心性の向上と学法グループの役割を切実に感じ、ここ2カ月間に払った努力は無駄ではないなと感慨しました。

 学法グループを通じて、協調の仕事を覚えました。寛大な心で同修を抱擁することができれば、相手のために考えることができれば、常に内に向かって自分の不足を探すことができれば、困難に遭遇しても正念を緩めないことができれば、きっと良い効果を収めることができる、ということを悟りました。

 3、根本的な執着を取り除く

 2020年7月、中国当局は大法弟子に対していわゆる「ゼロ行動」を始めました。住民委員会(中国共産党の末端組織)は私に連絡を取るために息子に電話をして、息子はそのことを私に知らせました。それは、私に迫害を実施するための合図です。ここ数年、執着心を取り除く努力をしていますが、どうして旧勢力に隙に乗じられたのかと私は考えました。

 息子は「お母さん、早く逃げてください。くれぐれも彼らに捕まえられないように」と言ってくれました。しかしどこへ逃げたらいいのか、人心を取り除かないとどこに行っても旧勢力に妨害されます。では、いったい自分にどんな人心が存在しているのでしょうか。

 同修たちと交流して、同修は「あなたは中国共産党に対して深い恨みを抱えているようです。もちろん中国共産党は悪い組織ですが、我々は修煉者として誰にも、どんな組織にも恨みを持ってはいけません」と言ってくれました。そうですね、私は中国共産党をすごく恨んでいます。話し出すと中国共産党を罵りたくなるのです。その恨みの後ろに私の何の執着心が潜んでいるのでしょうか。分かりました。中国共産党のせいで安定した生活を失ったので、そこの執着心と言えば幸福な生活に対する執念です。

 私は子供の頃から苦難な生活を送っており、父はよく私たちを叱って殴ります。成人してから婚姻も失敗しました。幸せな生活に対する願望は心の隅に何十年も隠れています。それは私の根本的な執着です。ここ2年間、真相を伝えるために使っていたSIMカードが買えなくなったので、修煉を緩めてしまい安楽な生活を送るようになって、以前のように精進しなくなっています。

 根本的な執着を見つけ、ほっとしました。同時に師父の説法、「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[1]を思い出しました。この根本的な執着を捨て、旧勢力のあらゆる妨害を取り除くという正念を発しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/25/416980.html)
 
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