明慧法会|心を静めて学法してから修煉状態が改善
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文/江蘇省の大法弟子  

 【明慧日本2021年1月17日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2008年、不当に拘留されていた刑務所から再び出た後、私は自分の不足を深く探しました。表面上、私は邪悪の迫害によって自由を失っていました。しかし、なぜ他の同修は法を正す師に手伝い、衆生を救う道を穏便に歩むことができ、なぜ私はいつもきちんとできず、差はどこにあるのかと思いました。

 一、そわそわした心を落ち着かせて、学法に集中

 迫害に遭う前の自分の修煉を振り返ると、学法を重視していなかった問題に気づきました。毎日、任務を終えるように『轉法輪』を1~2講ほど読み、法を読む際も雑念が多く、グループ学法の際は良く朗読しようという顕示心もあり、さらに常人の理論を学ぶ心構えで学法したり、悟りを求めたり、法理がみえなければ学法の時間が長すぎると思ったりしていました。また、少しばかりの資料を配り、数人だけに三退を勧めることに成功すれば、もう満足していました。

 法をしっかり学んでいなかったため、衆生を救う際は落ち着かず、しばしば無謀に行動し、安全面にも注意を払っていませんでした。また、親友に迫害の実態を伝えるとき、邪党文化の悪い影響で相手と口論になり、辛抱強さも欠けていました。意にそぐわない話を言われると相手と言い争い、大法の真相を聞き入れようとしない人に遇えば再び近寄りたくない心が生じ、夫の間違いに対しても悉く非難し、言葉で彼を傷つけながら、一日中家庭のことで忙しく走り回る自分が悔しいと思っていました。

 長い間、心身ともに疲れて、心に幸せを感じることができなかったため、私は大法修煉者が持つべき安らかな表情も人に見せることができませんでした。実際、これはほかでもなく、学法していても法を得ておらず、三つのことを全部行っていても、多くの場合は常人の心で大法のことを行っている状態です。

 説法の度、師父は法をしっかり学ぶように強調され、さらに「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と、明示されています。万能である法は、間違いなく私の頭にある根深い党文化の邪悪な要素を打ち破り、私の不合理な思考習慣を変え、私が正しく修煉の道を歩み、理性的で成熟した大法弟子になっていくように導いて下さると信じています。私は学法のやり方を変え、師父のお話に従い、法を多くそして良く学んでいこうと決心しました。

 2008年8月、私は法を書き写し始めました。十数年間修煉してきて、法の書き写しが遅すぎると思いその方法を避けてきました。いざ始めてみると、それが修めることと密接に関係していることが分かりました。毎日、書く前に正念をきちんと発していなければ、書き間違えてしまったり、書く最中に雑念が出れば間違えてしまったり、また、当日の自分の言動に法に符合しない部分があれば間違えてしまうのです。時々、紙1枚分を書き終えようとするところで一文字を書き間違えてしまい、結局一からやり直さなければならず、半日かけても法の1ページも書き写し終えていない時もよくありました。

 よく間違えてしまうとき、私はペンを置いて正念を発し、邪悪な要因による妨害を取り除くことにしました。法を書き写すのは大変ですが、私は終始最初の一念を保っていました。それは、法をきちんと書き写し、たとえ1日に数行しか書けなくても、中断することなく毎日書くことです。同修からもらったきれいな原稿用紙で、私は5カ月をかけて『轉法輪』を書き写し終えました。

 その時、私は法の書き写しを通じて学法した結果、自分がだいぶ変ったことに気づきました。いい加減なやり方やごまかしが減り、嫌がっていた家事も淡々とこなすようになりました。また、私は日常生活の些細なことの中で自分を修め、長い間形成されてきた大雑把で伸ばす習慣を取り除き、専念して緻密に物事を行う習慣を形成させました。さらに、退勤し帰宅した夫が家庭生活の楽しさを感じるように、私は新しい料理も学びました。

 グループ学法のとき、私は法を読み間違えることがほぼなくなり、邪党による迫害への恐れも消えて、人と接するときは正念を持って真相を伝え、三退を勧めることができました。心を静めて学法できるようになってから、私は真に「法が人を煉る」ことの玄妙さを実感しました。法をよく学んでいれば、修煉者は自ずと心身ともに変化を遂げ、修煉者らしく振る舞うようになります。これはまさに大法の威徳です!

 今年の旧正月が過ぎた後、私は3度目の法の暗記を始めました。今回、私はある目標を自分に課しました。それは、各段落を完璧に暗記し、各章の概要を覚えるようにすることでした。また、週に2〜3回、私は半日かけて同修と一緒に学法し、法の暗記で疲れたときは『轉法輪』の通読に切り替えました。急いで数段落を暗記し、よく覚えていなかった場合、私は翌日にもう一度暗記し、説法の各句を本当に記憶できるようにしました。

 暗記の速度は遅いのですが、収穫は実に多いものでした。通読の際に通り過ぎてしまう一句は、暗記によってその内包がすぐに分かる素晴らしさを実感しました。法を学んで法を得ることができて私は興奮し、師父から素晴らしい大法を頂いたことに感謝しています。通読や法の暗記を行う際、私はできるだけ心を落ち着かせて他は何も考えず、大法の文字一つ一つが目や脳、そして心に入ってくるようにしました。今回、私は8カ月をかけて3回目の法の暗記を終えました。

 心を静めた状態で大量に法を学んだ後、考えが浄化されて雑念も少なくなった私は、わずかな言葉だけで人に三退させ、自分自身もより賢明で冷静になり、多くの人がいる状況でも効果的に人に真相を聞かせることができるようになりました。外で資料を配布するとき、配った数量にこだわらず、以前のさっさと任務を終えようとする気持ちもなくなり、より安全で清潔な場所を選び、縁のある人たちに効果よく真相を伝える工夫をしました。

 初めて、私は師父の以下の説法を真に理解したと実感しました。「必ず法を良く勉強すべきです。法を勉強している過程で、皆さんは絶えず自分にある良くない要素を消滅し、まだ変化していない最後のこれらのものを変えることができます」[2]、「大法さえ読んでいればあなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです」[3]

 二、着実に自分を修め、うちに向けて探す習慣を身につける

 長い間、私は三つのことを行いつつ名利情もだいぶ放下しましたが、日常生活の中で、特に修煉していない家族と接する際、どうしても習慣的に人間の理で是非を判断してしまいます。また、邪党文化の環境下で長く働いてきた中で、私には多くの察しにくいよくない観念が形成されました。たとえば、私は「悪をもって悪を制し」、きつく当たってくる彼にはもっときつくやり返し、「すでに教えたではないか!」、「何回繰り返せばいいのか!」とすぐに切れてしまい、夫には負けず嫌いな上、相手の欠点を見つければ機会がある度に嘲笑していました。家での私の言動は真・善・忍の基準から程遠いものでした。

 長い間、いかにして着実に自分を修めるべきか分からなかった私は、躓きも多かったのです。不当に収監されている同修を助けようと、翌朝早く別の同修を訪ねる計画を立てていた私はその前夜、ちょっとした家庭内のことで夫に叱られました。私はすぐさま彼のさまざまな欠点に託けて非難し始め、煉功者である自覚を完全に失いました。その結果、翌朝の煉功時に左脚が痛くて、何とか五式の功法を終えました。朝食後、予定通り同修に会いに行こうと階段を降りようしたとき、左脚に激痛が走り、半歩も動くことができませんでした。

 この突然やってきた試練にびっくりして、私はきっと自分が何かの間違いを犯したと思いました。そしてすぐに、昨夜の自分の修煉者らしくない振る舞いが原因だと気づきました。私は早速心の中で「師父、弟子は間違いました。家族に謝って言動を改めますので、どうか同修に会いに行けるようご加持をお願いします」と師父にお詫びしました。

 同修のところに着いて車を止めた後、私は再び師父に「修煉していない同修の家族に誤解を与えることなく、いつも通りの歩きで同修のそばに行けるように」と、ご加持を願いました。私はゆっくりと脚を少しずつ前へ動かし、間もなく痛みが消えました。私からこの経験を聞いた同修も感動し、家に帰ったら必ず家族に謝るようにと言いました。

 帰宅して階段を上る時、左脚はそれほど痛くなくなりました。ドアを開けようとしたとき、仕事から戻ってきた夫が私の後ろに立っていました。私は振り向いて微笑を浮かべて彼に「昨日の私は修煉者らしくなくてあなたに喧嘩を売ってしまい、ごめんなさい。私の間違いでした!」と言いました。夫は笑って何も言いませんでした。三十数年の結婚生活の中で、私は初めて夫に謝りました。その時、気づいたのは、常人のいわゆる是非は修煉者にとって本当に無意味なことで、他人と競い合う心を放下してはじめて昇華後の真の喜びを感じることができ、大法の基準に従って行ってはじめて真に幸せになるのです!

 最近、兄弟姉妹の間では義弟の離婚騒動に関するさまざまな噂が飛び交っています。私は自分を修煉者として厳しく律し、噂を一切口にせず、聞いた話をもって自らをチェックし、自分の好奇心や嫉妬心、背後で他人のことを議論したがる常人のよくない心を取り除くことに努めました。その間、私は悪いことを一つも言わず、修煉者としての無為の状態を保ちました。

 義弟は口数が少ない私に自分の考えを打ち明けてくれました。以前、弟の嫁は私が彼女の子供たちに真相を伝えても、誰も信じないのを見て、いつも嘲笑っていましたが、今回の離婚騒動の中で私の真心が見えたそうです。疫病が流行る中、私が再び「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」の利点を細かく彼女の身内たちに伝えるのを見て、彼女は横で笑顔で耳を傾け、頷きました。

 三、自我を突破して全体に溶け込み、ともに精進する

 近くに住む年配同修の甲さんは、私と一緒に学法することをいつも心から喜んでいます。以前、私は彼女が転んで顔にスリ傷ができ、軟膏を塗ったり、恐れる心が重く、人に三退を勧める勇気も足りないと思って、彼女をずっと見下していました。また、いざという時、彼女には信頼を寄せることができないかもと思い、彼女との学法を避けてきました。その後、彼女が怠らずに学法や煉功を行い、親友に真相を伝えているのを見て、間違いなく師父の弟子なのに、私にはどういう資格があって彼女を見下すのかと自責し、自分の基準で同修を量るのではなく、同修を大切にすべきだと気づきました!

 観念が変わってから私の忌み嫌う心がなくなり、最善を尽くして同修を助けるようになりました。週に1~2回、私は自発的に彼女を訪ねて学法や交流を持ち掛け、『明慧週刊』を一緒に読み、彼女も早朝の煉功と午後の学法に励み、精進し始めました。また、彼女は積極的に「江沢民を訴える活動」に参加し、自ら郵便局に行って訴状を送りました。最近、ひどい頭痛に悩まされている彼女は家族に言わず、発正念をしてから内に向けて探し、間もなく病業から抜け出し健康になりました。

 年配同修の乙さんは1人で家で学法するとき、よく睡魔に遭うと言います。私は彼女と話し合って、週に3日を選んで、午前中に一緒に学法することにしました。以前、日中に学法すれば、真相を伝える時間を占めてしまうのが勿体ないと思って、私は夜に学法していました。しかし、実際のところ、家事を終えてからの夜の学法もそう長くできませんでした。法を良く学ぶことができなければ、衆生を救うよい効果も得られません。同修と一緒に学法してから、2人とも法をしっかり学んだと実感し、正念も強くなりました。同修は堂々と真相が書かれた紙幣を使うことを子供たちに勧め、私も僅かな言葉で三退を勧めることができるようになりました。実際、法をよく学べば、衆生を救うことに支障をきたすことはありません。

 同修の丁さんは呑気で几帳面な人です。ある日、私にネットサーフィンの仕方を教えるために、彼はゆっくりと多くのコンピューターの知識を長々と話してくれました。家族が心配になって私を探すのではと思った私は、ネットサーフィンの仕方を直接教えてくれればいいのに、なぜこれらの専門知識まで話すのかと大声で彼を非難しました。帰宅後、自分の言動が行き過ぎたと思った私は心を静めてうちに向けて探し、自分の焦る心、他人を見下す心を見つけて、これらの取り除かれていない心を気づかせてくれた同修に心の底から感謝しました。その後、用事で彼に会いに行く前、私は「謙虚な気持ちで同修の言うことに辛抱強く耳を傾けることができますように」と、師父に加持して頂くようお願いました。同修は以前のことをまったく気にしておらず、何も言いませんでした。間もなく、この同修の助けの下、私たちの学法グループも「資料拠点」になりました。

 同修と接する際は自我を放下し、トラブルに遭ったら自分の不足を見つけ、大法を守る観点に立ち、相手の長所に着眼することができれば、同修間の隔たりを無くしてともに精進し、三つのことをよりよく行うことができると深く実感しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/19/414810.html)
 
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