ーー「ゼロ行動を見抜く」を読んで感じたこと
文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年1月21日】昨年、私の住んでいる地域の2人の同修が、人を救うために路上で法輪功迫害の実態を伝えている時に、真実を知らない人に通報されました。1人は翌日に帰宅し、もう1人は5日間拘束されて無事に帰宅しました。しかし、2020年4月25日頃、2人の同修は嫌がらせを受け、「保証書」への署名を求められました。
まずはAさんの話をしましょう。 嫌がらせに直面したAさんとその家族は、署名に協力せず、写真を撮らせないなど、毅然とした態度で抵抗する一方で、Aさんは訪問者に事実を伝えるために最善を尽くしました。コミュニティの職員が去った後、Aさんは足を組んで座り、内に向かって探し、師父に啓示してくださるように頼みました。突然「追試験」という言葉が頭に浮かび、Aさんは涙を流し、師父の慈悲深い救いに感謝しました。今回、何度か嫌がらせを受けたのは、自分がよくできていなかったからだと気付き、何があっても、師父に従い、二度と間違ったことはしないと決心しました、
Bさんのこともお話しましょう。 「ゼロ行動」が始まってから、何度か派出所が自宅に来て嫌がらせをするようになりました 。Bさんと他の同修の話では、前回は胸を張って、玄関に来た警官に「もう諦めてください、私は絶対サインはしません!」と言っていたそうです。「絶対サインしません!」その言葉が口から出た途端、Bさんは不安がなくなり、嫌がらせをした者たちも去っていきました。
もちろん、「追試験」にしても「覚悟を決める」にしても、それらは単なる比喩に過ぎません。実は、修煉者が大法を学んで、心の中で行うべきことは何かを理解しているということです。旧勢力が破壊的なテストに従事しており、師父はその状況を利用しておられるのです。修煉者はそれを見抜き、自分自身を修め、その状況から抜け出す機会を大切にしなければなりません。