2020年、中共に危篤状態まで迫害された学習者たち(二)
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 【明慧日本2021年2月5日】(前文に続く)

 9、懲役11年の吉林省の劉慶さん 刑務所で迫害され危篤

 吉林省扶余市の学習者・劉慶さんは2019年8月15日、現地の警官らにより連行されて留置場に送り込まれ、酷く殴打されて負傷し、自立生活ができなくなったにもかかわらず、わずか12日後、懲役11年の実刑判決を言い渡された。同年9月23日、劉さんは吉林省第二刑務所に収監され、現在、命の危険に晒されている。

 2019年10月9日、劉さんの家族は突然、刑務所から「劉慶は重篤で入院中」という電話を受けた。翌日、家族は病院に駆けつけた。医師の話によると、劉さんは脳血管疾患でいつでも命を失う可能性があるという。

 劉さんは刑務所に収監される前、留置場の警官に酷く殴打され、腰と肋骨に重症を負い、自分で歩くことが出来ない状態となり、腰を真っすぐ伸ばせなくなり、自立生活ができなくなった。

酷刑演示:暴打

拷問の再現:滅多打ちにされる

 劉さんは家族の大黒柱であり、娘は高校に入ったばかりで、毎日お金が必要だった。劉さんへの迫害は、家族に経済的なダメージだけでなく、精神的にも大きなダメージを与えた。 

 10、福建省の張晶さん 福清刑務所で洗脳による迫害で危篤

 2020年10月、福州市の学習者・張晶さん(46)は福清刑務所で迫害され危篤状態に陥った。刑務所の電話を受けた母親は、病院に着くと、警官と病院の関係者は面会させず、承諾書にサインするだけだと言った。母親は悲しみと憤りで「刑務所に収容されたとき、息子は健康でしたが、あなた達が迫害してこのようになったのです。あなた達は責任を取るべきです。家族が責任を取るわけにはいきません。私はサインすることができません」と言った。

 2018年12月13日、張さんは懲役5年6カ月の実刑判決を宣告され、福清刑務所に拘禁された。2019年6月、福清刑務所の5監区から「攻堅隊」に入れられた。

 「攻堅隊」は、実際は洗脳班であり、精神と肉体に対する非人道的な拷問で、学習者に法輪功を放棄させようとするのが目的である。「攻堅隊」の関係者らは学習者に対して長期的な洗脳を行い、「保証書」を書くように強制し、無差別に暴言を吐き、殴り、壁に向かって立たせ、しゃがませたり、座らせたり、睡眠を剥奪したりなど、学習者を精神的にも肉体的にも虐待した。 

 2019年9月、断食した張さんの体重は70キロから40キロにまで激減し、刑務所の病院(福州建新病院)で、1年あまり強制灌食を受けた。

酷刑演示:野蛮灌食

拷問の再現:無理やりに灌食される

 張さんは福州市台江区三保に在住し、家庭では親孝行をし、社会の中では人に優しく、誠実で善良な男性として周りの人達に認められている。

 11、広東省の黄華傑さん 四会刑務所で拷問され重傷

 明慧ネット2020年10月16日の報道によると、広東省掲陽市の学習者・黄華傑さんは広東省四会刑務所に拘禁された後、警官に指図された重犯罪の受刑者にいつも殴打され、口や鼻から血が流れていた。受刑者らは黄さんが「法輪大法は素晴らしい」と叫ばないように、黄さんの頭を下に向け、足を上に上げ、逆立ちの状態にして、頭を地面にぶつけた。そのため、黄さんは重傷を負い、病院に運ばれた。

酷刑演示:撞头

拷問の再現:頭をぶつけられる

 黄さんは掲陽市掲東県の国土局建設用地部門の責任者だった。2000年9月20日、黄さんは広東省人事庁と監察庁に公職を解雇されたという通達文を発行された。

 ◎2002年1月15日、黄さんは掲東県公安局の警官に連行され三水労働教養所に送られた。

 ◎2003年4月17日朝、天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、武装警官に北京市公安局の天安門分局に連行され、その後、懲役6年の実刑判決を宣告された。

 ◎2004年11月、梅州市梅州刑務所に収容された。刑務所で黄さんは常に「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、ほとんど刑務所の「厳管隊」(より厳しく迫害を行う)に入れられ、4年間独房に拘禁された。黄さんは刑務所で猛打、引きずる、食事に毒を盛る、野蛮な灌食、強制的な採血、強制的な注射・薬を飲ませる、吊るし上げる、電気ショック、長時間睡眠を奪うなどの、さまざまな拷問を加えられた。ある日、頭を壁にぶつけられた黄さんは医者の資格を持たないヤミ診療所に運ばれ、頭を8針縫った。

 ◎2016年11月1日、掲陽榕城区裁判所で不当に開廷され、数時間にわたって裁判が行われた。法廷で弁護士は法律に基づき、明確に説明し、黄さんの無罪答弁をし、その場にいた皆は感動した。その場にいた司法関係者も「今日は、弁護士の授業を受けたようだった」と言った。しかし、最終的に黄さんは懲役5年6カ月の実刑判決を言い渡されたという。

 12、広東省の医師 省女子刑務所で昏睡状態

 2020年7月19日、学習者・林介平さんの家族は刑務所からの電話で、林さんが電解質異常となり、低カリウム、低ナトリウム血症で昏睡状態にあると告げられた。家族は重病のための一時出所を要請している。

 2018年3月1日、林さんは懲役4年6カ月の実刑判決を下され、同年8月13日、広東省女子刑務所に拘禁されたが、刑務所に入ってから足を骨折した。刑務所側は本人の転倒によるものだと説明し、その後刑務所の病院で手術をした。2020年4月、刑務所は家族に林さんの手術をした足が再度骨折したことを知らせた。その原因は林さんの「歩きすぎ」だという。しかし、中国の暗い刑務所制度の中で、心身ともに不自由な状態で「歩きすぎ」という説明は現実的ではないと思われる。

 林さんは広東省掲陽市の開業医で、1996年から法輪功を学び始め、慢性疾患が治ったうえ、穏やかな気持ちで3人の子供を育て、心身ともに健康で、良心的な医師と言われていた。 

  林さんが過去に受けた迫害

 ◎中共が法輪功への迫害を開始した後に、林さんは法輪功の無実を訴え、陳情するために上京した。掲陽市の公安に拘禁され、6000元(約9万6千円)の罰金を科された。その後、さらに市の戸籍を取り消され、林さんは子供と一緒に農村に追いやられ、苦難に満ちた日々を過ごした。

 ◎2000年5月、洗脳班に送られ、半年あまり迫害された。

 ◎2000年6月25日、懲役4年の不当な判決を下され、広東省女子刑務所に拘禁された。その間、手錠をかけられたまま、毎日朝から深夜まで男性にしかできないような重労働をさせられ、少しの自由も許されなかった。 

 ◎2002年、刑務所で、壁に向かって20日以上座らされた。また、両腕を後ろ手にして手錠をかけられ、鉄のドアに固定された。 

 ◎2003年、刑務所で再び「攻堅」迫害に遭い、また壁に向かって座らされた。酷暑の夏で、両足は腫れ、皮膚もただれて、とても我慢できないほどの苦痛だった。 

 二、留置場で迫害され危篤状態に陥った実例

 1、1年6カ月拘禁された広州の上級エンジニアが危篤

 明慧ネット2020年12月11日の広東報道によると、78歳の元上級エンジニアの曾加庚さんは2019年7月10日、外出したとき、広州市公安局公共交通支局の警官らに連行され、広州市第一留置場に拘留された。2020年2月下旬、曾さんは海珠区留置場に移送され、今なお拘禁されており、健康状態が悪化し、現在、生命が危険な状態に晒されている。

曾加庚

曾加庚さん

 曾さんの血圧は200㎜Hgまでに上昇し、心臓が悪く、右目は失明した状態で、左目もぼんやりとしか見えず、両耳の聴力も低下しているため、面会時の弁護士の話がよく聞こえず、弁護士とのコミュニケーションが取れず、めまいで体が揺れていた。 

 曾さんは華南理工大学の高分子材料学を専攻し、卒業後は、広州珠江タイヤ有限会社に就職し、高級エンジニアになった。公共交通支局は曾さんがサーバーを使用し、法輪功の真相を広めたと疑い、2019年7月10日に外出先で曾さんを尾行して連行した。その後、曾さんの家を家宅捜索した。8月16日に広州市検察庁により逮捕令状が発付された。 2020年2月末、曾さんは広州市第一留置場から海珠区留置場に移送された。

 海珠区裁判所は2020年8月17日、曾さんに対してオンライン裁判を実施し、 2020年9月23日午前9時に、2回目の不当な裁判を行った。 

 2、河北省の馬会欣さん 迫害されて危篤

 明慧ネット2020年12月8日の報道によると、河北省安国市曲堤村の学習者・馬会欣さんは、2020年6月13日に連行され、保定留置場で迫害され脳出血を起こした。11月7日に保定市第一病院の重症集中治療室で緊急措置を受けた馬さんは、10日には開頭手術を受け、30日には保定市留置場と公安局の関係者から強制退院させられ、安国市老人ホームに送られた。 

 2020年11月7日、馬さんは保定留置場で迫害され、20mlの脳出血を起こした。関係者は夜間に家族に通知し、一刻も早く保定第一病院に医療保険証を持ってくるように要求し、馬さんが危篤に陥った責任を家族に転嫁しようとした。さらに、「持病が再発した」と家族を騙し、偽造された証拠書類に署名するよう要求した。

 馬さんの息子は「私の母はこの病気にかかったことはありません。留置場に送られる前に、あなたたちは母に全身検査を受けさせたでしょう? 本当に持病があったのならば、なぜその時に母を引き受けたのですか?」と聞いたが、関係者は返す言葉がなく、また嘘を重ねて家族を騙した。 

 国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官・呉帥は、馬さんの夫・李峰さんを呼び出し、「リハビリセンターに行った方がいいよ、お金がどのぐらい欲しいか?」と聞き、夫は「私は妻の健康を第一に考えています」と答えた。呉は「安国あるいは保定リハビリセンターで、何日滞在してもいい、お金は留置場から出すから、とにかく今日退院すればいい」と再び尋ねたが、最終的には合意に至らなかった。

 その後、病院からの電話で、馬さんは人に迎えられたことを知らせたが、誰に迎えられたか教えてくれなかった。その日はとても寒く、馬さんは開頭手術をしたばかりで、冬服も着ていないのに、家族はとても不安だった。夜10時半まで待っても、情報が一切入って来ないため、夫はあちこちに電話をかけ状況を聞いたが、皆知らないと言った。

 夫は一晩中寝ておらず、翌朝8時半に国保に駆けつけたが、責任者は見つからなかったが、ある警官に馬さんは安国市の老人ホームに入れたと知らされた。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/29/419132.html)
 
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