家庭のトラブルで人心を取り除く
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年2月19日】最近、生活の中の些細な出来事を通じて自分の人心に気づきました。普段、内に向けて自分を探してはいますが、いつも上辺だけにとどまり、真剣に対処しませんでした。類似のことに何度も遭ってきたので、法理に基づいて自分を探し始め、そして、それらを排除し、心性を向上させることができました。

 ある日、夫がネット上で誰かが中古のベビーカーを売っているのを見かけました。自分で取りにいかなければならないので、夫は売り手の住所を探し始めました。夫の行動を見た私は「まずはそのベビーカーが使えるかどうかを聞くべきでしょう。使えないのに住所を聞いたところで何の意味もないわ」と不機嫌そうに言いました。すると「住所を調べただけだろう。そんなに怒らなくてもいいじゃないか!」と夫も口を荒げました。

 夫に怒られて私もびっくりしました。確かに自分の態度はよくありません。いつもこのような口調で話していたので、自分の態度の悪さや夫の気持ちに全く気付いていませんでした。これは長年存在している問題であり、家族はすでにこのような私に慣れていたのです。子供に対してもそうです。穏やかに話したことがありません。家族を傷つけてきたことに全く気付かず、今回、夫に怒鳴られなければ、おそらくずっと気にしなかったでしょう。

 この態度を直そうと内に向けて探したところ、悔しいと思う心を見つけました。普段から優しい夫に怒鳴られて我慢できず、内心怒りも感じました。しかし、このままではいけないので、法に照らし合わせながら、この問題を振り返ると、自我という心をみつけました。つまり、これは他人のことを優先に考えず、特に、夫の意見を聞き入れず、自分の方が正しいと認識するようになりました。また、普段から夫はずっと私の言うことに従い、私の意見を採用してきたので、余計に自分が正しいと思い込むようになったのです。

 その上、夫を見くだしており、いつもこのような観念を抱いて夫と言い争います。全く自分を探さず、例え自分の過ちに気づいても謝らず、ずっと上から目線で家族と話してきました。時々、この問題を指摘されても認めようとせず、今思い返せば、まさに夫に言われた通りです。

 また、自分に反抗心があることにも気づきました。これらの人心は子供のころからの悪い習慣ですが、一度も真剣に探そうとはしませんでした。

 最近、同修の「反抗心」についての交流文章を読んで、自分のためになりました。小さい頃から反抗心がありますが、自分でも気づかないくらい、うまく隠蔽されてきたのです。

 例えば、幼い頃、両親が留守にしている時、家をきれいに掃除するのが好きでした。なぜなら、両親が帰ってきたら褒めてくれるからです。しかし、家事を任された時は不機嫌になり、真面目にやりませんでした。なぜこのような考えがあるのか、以前は分かりませんでしたが、今思えば、まさに反抗心なのです。もちろん、他の人心もありますが、この反抗心が一番目立っています。

 これらの人心を探し出したことで、「私」の心が見えました。最近、仕事を探している夫に対して支持を示さず、能力不足だし、コロナ期間中だから、仕事も見つけにくいと言いました。これはまさに利己心であり、夫が妊娠中の私の面倒を見てくれないと困るからという心理なのです。

 ここに書き出して、自分の考え方は最低だと気づきました。

 日常生活の中で暴き出された多くの人心を取り除かず、そのまま見逃していました。修煉とは常に心性を修めることです。師父は「他の人とぶつかったら、内に向けて探し、自分の原因を探すべきであり、外に向けて探さないでください。このようにしていれば、あなたの心性は実は向上しているのです」 [1]と説かれました。これを機に内に向けて自分を探し、悪いものをすべて取り除くのです。

 以上が最近の修煉体験です。これまで長い間見守ってくださった師父に感謝いたします。

 これからは更に法の勉強に精進し、内に向けて自分を探す習慣を身につけ、絶えず向上していきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/1/419327.html)
 
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