自分の使命と責任を果たす
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年2月20日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めた台湾の大法弟子です。中国共産党(以下、中共)が法輪功に対する迫害を開始した当初から、私は中国国内の人々に向けて電話で法輪功迫害の実態を伝えてきました。最初、この地域に大法弟子は私1人しかいませんでしたが、現在はたくさんの同修がこのプロジェクトに参加しています。始めの頃、私は自転車で他の地域に行って学んでいましたが、今はそれを活かして同修たちに教え、皆さんと一緒に大法の真相を伝えています。この過程の中で、私は病業の魔難や、夫が理解してくれない悩み、失業した時の苦しみ、それに同修間のトラブルなど、たくさんの難関に直面したことがありました。しかし、今振り返ると、すべての苦難は、私の修煉の次元を高めるためのものに違いありません。

 一、平坦でない修煉の道

 以前、私はある役所で資料の袋を管理する仕事をしていました。最上階にある鉄の屋根の汚い倉庫には冷房もなく、夏になると暑くてたまりませんでした。私はこのような環境の中で働きながら、昼の休憩時間を利用して真相を伝える電話をかけ、1時間ぐらいで7~8人の中共の党員を、共青団、少先隊から脱退することを手伝ったこともあります。しかし、私はいつも同僚に労働環境などに文句を言い、その後人件費削減の影響で、私は仕事を失いました。実は、その厳しい環境の中で、苦に耐えると同時に、人を救うこともでき、これは師父の按排ですが、私は自分の念が正しくないため、この修煉の環境をなくしてしまいました。当時の月給は15000台湾ドルで、それほど高い給料ではありませんでしたが、私が法輪功迫害の真相を伝えるために香港に行く費用になっていたのです。修煉していなかったら、自腹を切ってまで海外に行くことはなかったでしょう。しかし、大法が私を必要とすれば、私は行かなければなりません。

 その後、師父は私に新しい仕事を按排してくださり、家からも近く、労働時間も長くないため、学法と真相を伝えることには有利でした。しかし、私はもっと収入が高くて安定した仕事に就きたかったので、また辞めて清掃の仕事に変えました。それから、毎日朝早くから夜遅くまで働き、段々と修煉が緩んでしまい、長い間内に向けて探すことが出来ず、たくさんの執着心が強まりました。そのため、眠れない日々が続き、身体の状態が悪くなり始め、やがて煉功する時に手も上がらず、私の憔悴した顔を見た同修たちはびっくりしました。

 それでも、私は毎日の集団煉功を続け、大法弟子の三つのことをしていました。特に私の心の中で、なぜか香港に対する使命感があり、病業中にも関わらず、必ず香港の活動に参加していました。同修の修煉体験談で、身体が優れない時は、師父が業力を消してくださることに感謝していると聞き、それに比べると、病業の試練の前で自分のことばかりを考える私との差がはっきり見えました。香港での集団煉功中、第三式の「貫通両極法」の動作をする時、手の痛みがひどかったのですが、私は「師父が病業を消してくだっているのだ思い」感謝しました。すると、不思議なことに、痛みが突然消え、身体が軽くなりました。師父、ありがとうございます! 「この村を過ぎれば、この店はないかもしれない」という言葉がある通り、香港で法輪功迫害の真相を伝え、人を救う機会はますます少なくなっています。私は香港に行く時、ビザがブラックリストに載せられたため台湾に送還されました。その後「台胞証」で渡ることが出来ましたが、数年後にはまた取り消されました。それでも私は諦めず、正念をもって最大の努力を尽くしましたが、またもや送還されました。自分の行動に悔いはありませんが、現在、中共の(国安法:香港での反政府活動を取り締まる法律)の下で、人々が救われることはさらに難しくなりました。私たちは衆生を救うあらゆるチャンスをもっと大切にすべきです。

 二、電話チームでの修煉

 私は電話で法輪功迫害の実態を伝えるチームの窓口を担当していましたが、参加する同修の中に電話をかけることに恐怖心がある人が多いのに、私は真面目にリードもせず、他のプロジェクトに参加しました。私は毎週2、3日空港で大法の真相を伝えていましたが、電話チームのことは緩み、さらにある同修に任せようとしましたが、同修に私を手伝っていると言われました。数年前から同修たちは段々とチームを離れ、電話プラットフォームに移る同修もいました。それは窓口としての私の修煉状態に関係がありました。それについて、同修・Aさんは「皆さんが来なければ、私たちが同修の所に行って交流しましょう」と提案しました。私たちは自転車で遠い所までいき、夏から冬にかけて同修と交流しました。結果、その地域で新たにチームを立ち上げたほか、車がなく交通が不便の年配同修の学法チームを電話チームにし、定期的に行って協力しました。私が行く時に、もう1人の年配の同修を乗せて一緒に勉強し教えていました。その後、この同修は自宅で電話が出来るようになり、修煉状態が向上しました。

 三、使命を果たす

 今、私は近所の料理店で働いています。昼休みが2時間もありましたが、その時間を利用して人を救うことをしていませんでした。2020年の春節の前にその仕事をまた失い、かなりショックでした。しばらくして、武漢から疫病が流行し、私は大淘汰が始まったように感じ、今まで海外旅行で大法の真相を知った中国人観光客が出られなくなり、家で大法弟子の救いの電話を待っているに違いないと思いました。師父は私にもう一度チャンスを与えてくださり、今度こそは以前の間違いを正し、自分の責任を果たすべきだと悟りました。                                           

 最初、私は毎日のようにチームで同修が来るのを待って一緒に電話をかけていましたが、その後、同修たちの提案と協力の下で、月曜日から金曜日に朝、昼、晩三つの当番を決め、それぞれが担当するようにし、私は火曜日と金曜日にB同修の家に設けたチームに行ってサポートし、土日は時間を決めず、同修たちが学法と交流をすることにしました。それによって同修たちを一つにまとめ、全力で引っ張って行くことが出来ました。

 その中で、アメリカで清掃の仕事のチャンスがありました。失業中の私は申し込んで許可が下り、同修たちにこの事を説明しました。交流の中で、同修は「あなたは電話チームの窓口です。清掃することは誰でも出来ますが、チームを指導して引っ張ることはあなたしか出来ません。今は非常時期ですので、人を救うことは戦うことと同様です。先頭に立つあなたが逃げると、どうやって人を救えるのですか?」と言いました。同修の指摘通り、私はチームを引っ張って行くと決意しましたが、困難に直面するとすぐ逃げようとすることに自分を恥ずかしく思いました。確かに、私は地域内の同修たちの状況を誰よりも把握しているので、いなくなったら無責任です。逃げずに、責任を負って自分の使命を果たすべきだと思いました。

 四、中共ウイルスが発生後、チームの中で実修する

 中共ウイルスが発生してから、私は自我を放下し、同修をリードして人を救う使命を果たすと決意しました。電話で中国国内に向けて真相を伝えることを自分だけでするのではなく、チームのメンバー一人一人に指導し、皆が出来るようにしなければなりません。私は勤めている時よりも忙しく、朝から晩までチームで指導したり、一緒に勉強したりしました。私は先ず電話プラットフォームで、どのように指導をするのかを学び、それから電話内容の原稿を更新したり、ツールを申請したり、そして家に帰る前にチームメンバーが三退した名簿を収集し、それらの電話番号を消去する作業をしました。同修が電話をかける時に難しい相手に遇った場合、私に助けを求めることもよくあります。私はいつも急いで、大声で応じていたので、ほかの同修に指摘されました。同修は私に「ゆっくり話す」、「緩やかに、ゆっくりと、まろやかに」と紙に書いて、それを壁に貼っておくことを提案しました。現在、同修が私に応援を求める時、私は落ち着いて電話を受けて話すと、師父は知恵を与えてくださり、より分かりやすく真相を伝えることが出来、同修たちとリレーして衆生を救います。

 私にはもう一つの願望がありました。それはまだ出て来ていない同修に呼びかけ、三つのことをよく行うことです。その一念があったので、師父は私に実現するように按排してくださいました。同修・Cさん(80代)は、長年、寝たきり状態でした。私はCさん宅を訪れ、三つのことができるようにと師父にお願いすることを勧めました。しばらくして再びCさんに会うと、Cさんはすでに起きることができ、顔色もかなり良くなりました。Cさんも電話で人を救いたいと言いましたので、私は数々の困難を克服し、Cさんを手助けし、自宅の電話を設置してから何度も行って教え、やっとCさんが自分でできるようになりました。現在、Cさんは毎日3、4人三退させることができます。

 Dさんは以前、家で学法をするだけで、三つのことを行っていませんでしたが、私が何度も呼びかけたことで、現在は出てきて一緒に電話を掛けるようになりました。Dさんは「私を見捨てず引っ張ってくれて、とても感謝しています」と言いました。Eさんは、今まで出て来ませんでしたが、中共ウイルスが発生してから、真相を伝えて人を救うことをしています。普段は親の介護と孫の送り迎えで忙しいEさんは、送り迎えの隙間を利用して電話をかけ、そして家族が代わりに介護してくれると、チームに来て一緒に電話で真相を伝えていました。Eさんは「相手が三退しない時もありますが、私は電話をかけるその過程を大事にしています。それ自体が修煉の過程だと思います」と言いました。

 Fさんはおとなしい性格で、以前、彼女の家でチームを設置しましたが、何らかの理由で停止しました。その後、出て来てチームの固定メンバーになり、ほかの同修を指導することも出来ます。Fさんは、交流の中で「すべての同修に衆生を救う使命があると思いますので、メンバーの同修が来ないと、私は電話をして呼びかけました。同修が出てくることは本当に喜ばしく思います。人を救う力がより大きくなったからです」と言いました。師父は「精進していない大法弟子、極端に走る大法弟子は直ちに、自分自身を正し、誠心誠意に法を勉強し、修煉してください。なぜならば、このような弟子は最も危険だからです」 [1] と語られました。まだ出てこない同修がいるので、とても心配しております。同修たちの協力で、私たちの地域では月に一回、中国国内に向けて法輪功迫害の真相を伝える交流会を開きます。学法と体験談のほかに、リアルタイムで電話をかけて模範を示し、それからグループに分けて現場で学びます。未経験でもその場でうまくできるようになった同修がたくさんいました。

 新しく来た同修は、最初、なかなかうまくできませんでしたが、これを大きな事業と見なし、原稿を流暢に読み上げることで自信がつき、正念を持って正々堂々と伝え、ますます上手になりました。私たちはチームを朝、昼、晩に分け、同修の都合に合わせて協力し、今はほとんど独自にこなすことが出来ます。

 この過程で、私はたくさんの良くない心を修め、トラブルの中で内に向けて探すことが出来るようになりました。特に焦ることや大声で早口の性格を克服し、ゆっくりと穏やかな口調で話すことによって、相手の反応が分かるようになりました。また、固有な観念を持って人を判断せず、観念そのものが妨害であり、それを取り除くことができれば、師父が知恵を与えてくださり、自然にうまくできるようになりました。現在、チームの同修はみな向上し、人を救う緊迫性を感じ、衆生は大法弟子の救い済度を待っていることが分かっています。

 最後に、師父の詩『洪吟二』「早く講ず」で同修の皆さんと励まし合いましょう。

 「大法の徒、真相を講ず 口中の利剣、一斉に放つ 爛鬼の嘘を暴き出し 急いで救い済度し、早く講」 [2]

 正しくないところがありましたが、ご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『理性』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「早く講ず」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/6/419596.html)
 
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