安逸から抜け出す
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年2月20日】私は20年以上も法輪大法を実践してきました。風雨の中、神になるためには、生と死の試練に直面しなければならないということを、真に深く学んできました。私にとって、より困難で永続的なテストは、安逸から抜け出して、根気よく修煉をすることです。

 邪悪な指導者・江沢民を起訴することに参加して間もなく、私たちの地域の一つのプロジェクトは、皆の意見に大きな食い違いがあり、対立が生じて、大きな漏れとなってしまいました。旧勢力がこれに乗じて、我々の地域の修煉者のほとんどが連行されることになり、最も心を痛める出来事でした。一方で、連行された修煉者自身も家族も大きな苦しみに耐えなければなりません。それよりも、真実を伝え、人々を救うことに大きな損失と破壊をもたらしました。

 拘置所で、私は常に正念を発し続けました。その時、私の周りの人たちは、たとえ家族であっても、重刑になると思っていました。私は頭に浮かんだ悪い考えを否定し続け、代わりに拘置所から正々堂々と出ることができると信じていました。師父は、夢の中で何度も悟らせてくださり、励ましてくださいました。また、自分にとってプラスに働く要素を全て使い、同時にネガティブな要素を否定して、正念を発しました。

 ある日突然、私は無罪釈放になりました。拘置所で一緒にいた人たちは、それはすごいことだ、信じられないことだと感じていました。この経験を振り返ってみると、欠点や不備があったのは、それまでの学法や修煉についていけていなかったことが原因で、正念を発することも不足していたことや、きちんとできていない部分があったことが原因でした。しかし、学法グループが自宅にあったため、普段は安全の面でより注意を払っており、旧勢力による学法グループの妨害や破壊を常に否定してきました。連行される前、師父は私達に悟らせ保護してくださいました。

 拘置所を出てから長い間、自分は精進できず、修煉状態は良い時も悪い時もありました。古代では、自分1人の時でも、行いを慎み雑念が起こらないよう、自分をよく律することができました。そうであれば、私も法を正す時期の大法弟子として、外界の拘束がない環境で自制して、堅実に修める必要があります。

 過酷な環境でもうまくやれていたのに、なぜ快適な環境で自分の修煉を緩めていたのだろうか? 大法弟子はどんな環境下でも修煉できるのではありませんか?

 師父は「現在の一分一秒も非常に大事であり、この間の時間を逃してしまったら、全てとすれ違ってしまいます。歴史は二度とやってくることはありません。宇宙の歴史、三界の歴史が既にそれほど長い、久しい歳月を歩んできましたが、衆生は皆何を待っているのでしょうか? 何のためにここで生きているのでしょうか? 他でもなくこの数年を待っているのです! しかし、この数年の間、生命を無駄にしており、時間を大切にしていない学習者がいます。けれども、あなたは衆生と歴史に対して大きな責任を持っています!」 [1]と説かれました。

 安逸心と色欲心に応えて、いくつかの実践法をまとめてみました。

 師父は「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です。やはりこのようにすべきだと思います。なぜならば、これは実践してきたことであり、このような修煉が学習者を最も早く向上させることができるからです。自分1人で修煉していれば、あなたの向上を促進する要素はありません。大法弟子として、師父の言うように行うと皆さんは言ったのではありませんか? 大法弟子として歩むべき道を正しく歩まなければならないと言ったのではありませんか?」 [2]と説かれました。

 私は、条件があれば、安全に気を配りながら、集団で法を学ぶ環境を作らなければならないということを悟りました。しかし、安全のために、大規模な集団学法をしないようにしました。1999年7月の迫害が起こる前は、集団で法を学ぶ環境があったので、精進し好ましい状態のままでいることができました。確かに、解放された後、自宅に学法グループを設置した時期があったので、そのとき、かなり精進できました。そこから、集団学法の大切さが見えてきました。

 第二に、時間がある時には法を勉強し、可能な限り、すべての常人のことを排除していました。常に心が法の上になければ、人間世界のあらゆる干渉や誘惑は、法から私達を引き離すようにしています。これでは悪循環に陥ってしまいます。

 第三に、常に自分に警告を発することです。私は、自分が一番リッラクスしやすい時間帯に目覚まし時計をセットしています。大法の鐘の音だと思って目を覚ましているようなものです。

 第四に、夜目が覚めたら、何時でもすぐに起きて煉功したり、法を勉強したりしています。まだ時間が早いと思い、二度寝をすることはしません。二度寝をすると結果は、ほとんどの場合、時間が過ぎてしまい、却って疲れを感じ、元気がないと感じることになります。

 第五に、インタネットから離れていくことです、最大限ネットと触れる機会を削減し、あるいはネットを使わないようにします。ネットはあまりにも有害です。師父は「この社会はすでに乱れてしまい、あらゆる悪いものがインターネットに渦巻き、あたかも魔のように回っています。どんなものもインターネットに載せられたら、巻き込まれてしまい、他のものと一緒になって社会、人心、道徳と伝統を撹乱し、人間の生活状態を変えているのです。玉石混交しています」 [3]と説かれました。

 人間世界の誘惑はすべて試練であり、すべての安逸は、私たちを堕落させる魔の災いとなります。また、師父の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」 [4]という法のもう一つの層の内包を実感しました

 それを乗り越えて、何度も何度も修煉に励んだ結果、ようやく最初の頃のような状態と素晴らしさを取り戻すことができました。最終的には、やはり、常に良い修煉状態を維持するように、最後まで自分を戒めなければなりません。

 適当でない所があれば、同修のご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/16/419465.html)
 
関連文章