師父は最善の按排をしてくださいます
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文/台湾の大法弟子 

 【明慧日本2021年3月7日】 私が、法輪大法を修煉し始めたのは高校3年生の時でした。修煉を始めてすぐに、人生で重要な試験・大学受験に直面しました。修煉前は、大きな試験に直面すると緊張しすぎて何も食べられなかったのですが、法を得てすぐに大きな変化がありました。

 師父は「あなたが学生ならば、あなたの本分は勉強を立派にきちんとして、両親や学校、先生の期待に背かないようにすることです。先生はあなたに授業をし、両親はあなたを扶養して学校へ行かせています。あなたが両親や学校の先生の期待に応えようと、自分で勉強をきちんと立派にやったのなら、自然と大学に入学することになりませんか」 [1]と説かれていました。

 師父の説法を学んだ後は、強い利害感を手放し、真剣に勉強に専念しました。受験の時は落ち着いたために成績も良く、最終的には第一志望の大学と大学院に進学できました。

 キャリアに満足

 修士号を取得した後、私は台湾のある新刊雑誌の記者・研究員として就職し、主なターゲットは会長・総支配人でした。私は大法の真・善・忍の基準に従って積極的に働き、雑誌や取材先からも良い評価を得ました。

 ある技術業界の会長は、取材を受けた記事の中で私の記事が最も優れていると言っていました。研究員の仕事は、世界の主要な政治・経済情勢を分析し、取材して書くことでした。

 その後、合格率が1%しかない国営企業の試験を受けました。3カ月内で勉強したことがなかった科目を一から準備して合格しました。賑やかな場所にある世界トップ500の大企業の事業部長になり、会社の重要な業務を引き継ぎ、仕事の現場で活躍することができました。

 今年に入ってから、CEO(最高経営責任者)の秘書という仕事のオファーが来ました。しかし、私に打診してきた同僚とはあまり親しくなかったのに、どうやって私のことを見つけたのでしょうか? 周りの人も不思議がっていました。この仕事は直接的な昇進で、業界全体の発展や会社の運営を見ることができ、個人の事務室を持つこともでき、仕事の進捗や労働時間の配分がより自由になりました。

 新しい仕事を始めてからは、新しい知識に触れる機会も多く、勤務時間も自由にアレンジできるので、本当に自分に合っていると感じています。師父の按排にとても感謝致します。

 家族との調和

 法輪大法を修煉してから、私は結婚しました。夫も同修で意気投合し、和気藹々とした関係です。 双方の家族も修煉を応援してくれていて、とても恵まれています。

 義理の両親は70歳近くになりますが、とても元気です。舅は写真と音楽と石集めが趣味で、その作品はコンクールで上位に入ったこともあり、姑は合唱が好きで伝統の考えを大切にしていて大らかな人です。

 叔母の実家は企業を運営しており、収益が良く、早い時期にはすでに高級車と2人の元気な子供がいました。

 私の両親は、定年退職して年金も充実し、それぞれの趣味もあり、子供に心配かけることはありません。中国メディアの影響を受けた父だけが、中国共産党の悪の本質を理解していないので、さらに真実を教えてあげなければなりません。

 一番の受益者は自分自身

 もちろん、最も恩恵を受けたのは法を学んだ自分自身です。子供の頃から、何をするにも頑張りすぎていて、せっかちで完璧を求めていました。修煉をしてからは、完璧を追い求めすぎて何も手放せないという概念を少しずつ変えていき、自分でベストを尽くして、自然に任せられるようになりました。

 師父は「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」 [2]と説かれていました。

 実際、師父の言葉を聞いて自然に任せた結果、私の人生の中であるべきキャリアも結婚も非常に順調で、以前は些細なことでも損をしたくなく、名利を追い求めていた時に想像していた以上に良い結果が出ていて、師父の按排が最善だと心からわかりました。

 法輪大法の法理の指導の元、私は傷ついたことで自分を閉じ込めてしまうことがなくなりました。その代わり、みんなの苦労を理解し、完璧な人はいないということを知ることができました。その結果、心の余裕ができ、他人の悪意や悪事を許し、あらゆる困難や挑戦にもポジティブで挑むことができるようになりました。

 試練に直面し、法で自身を正す

 しばらくの間、ある上司は明らかな理由もなく私のことを非常に不満に思うようになり、しばしばわけもなく怒ったり罵ったりするようになりました。私は最初はどうしたらいいのかわからず、とてもいい上司だと思っていたのに、なぜか急に別人のようになったのかと非常に悔しく思いました。修煉者の角度で見てみると、彼は考え方が複雑で、人生経験から様々な観念を形成してきたことがわかりました。私を鍛えるために、いろいろと複雑な考えを教えてくれましたが、後になって私が彼の考えに従っていないことがわかり、次第にわだかまりが生じてきたことが原因の一つでした。

 師父「実は、あなたがいくら聡明で、ずる賢くても、結果は同じです。たとえば、とても不器用な人がいて、あなたはこの人が非常に愚かで、非常に単純だと思い、一方非常にずる賢い人がいるとします。結局、人生の道をどのように歩んでも結果は同じです。決してその人がずる賢いから、なんらかの変化が生じることもなければ、その人が単純だから、変化が起きることもありません。ずる賢くなれば、自分を悪くするだけです。業を造る中で下へ落ちてしまい、自分と周りの環境が緊張した関係になれば、自分の心は更に複雑になります。複雑になった考えは自分をさらに悪くするだけです」 [3]と説かれていました。

 気がつくと、私は修煉者の理で修煉者ではない人に当てはめていました。あからさまにではありませんが、人を見下す心があり、いつも「この人はここが悪い、あの人はあそこが悪い」と感じています。 他人の欠点ばかりを考えて、心の中がとても苦しくなり、仕事に行くのが本当に面倒くさいと思ってしまいました。

 困難な状況からは絶対に逃げてはならない、困難であっても向き合わなければならないということを、私は知っていました。そこで私は、他人の長所にもっと目を向け、短所には目を向けないようにしました。実際、この上司はとても親切で、私に内緒でプレゼントを送ってくれたこともありました。人は環境によって人生観が異なり、有能な上司を崇拝せず、トラブルに遭っても感情に流されず、大法修煉者として常に慈悲をもって思いやりを持つことに気を付けました。また、私には多少大雑把な性格があり、これも改めるべきで、人と物事には慎重に細かく気を使い、上司や同僚と仕事を分かち合うために、より多くの責任が取れるようになり、より信頼されるようになろうと思いました。

 こうして修煉していくうちに、突然プレッシャーがなくなり、仕事の環境が元に戻りました。師父が様々な方法で自分の執着を取り除いてくださり、自分自身の業力を無くすと同時に自分を高めていくことができるということを体験しました。

 ここ数年の修煉で、私の心も少しずつ明晰になり、仕事や生活の中での様々な挑戦にも、冷静に穏やかな態度でてきぱき対応できるようになり、師父の必然的な按排で最善の結果となりました。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「広州での説法 質疑応答」
 [2]李洪志師父の著作:『轉法輪』「第七講」
 [3]李洪志師父の著作:『各地での説法八』「米国首都での説法」

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(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/8/408734.html)
 
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