青年弟子「新しい生命を与えて下さった師父に感謝」
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年4月27日】私は幸いにも大法弟子の家庭に生まれ、2020年の中共ウイルスが流行してから、初めて本格的に修煉を始めた青年大法弟子です。

 一、着実に大法を修煉し始めた

 私は子供の頃から大法に触れる環境で育ちましたが、当時は子供のような無邪気さがあって、先天的なものが比較的よく残っていました。5歳の頃はあまり字を知らなかったのですが、母の詩の朗読を聞いていたため、しばらくして『洪吟』と『洪吟二』を暗唱できるようになりました。足も柔らかく、簡単に坐禅ができ、長年修煉していた祖母より長く座ることができました。師父が蓮華座に座っておられる写真をよく目にし、「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」という心からの九文字を幼い頃から深く植え付けられていたのです。

 小学校1、2年生のころは、母とよく一緒に法を暗唱し、成績も非常によかったのです。家ではやんちゃ坊主で、常に家族の注目の的でした。私たちは仲睦まじい家族でした。今思い返せば、あの天真爛漫な子ども時期は本当に素晴らしいものでした。

 小学3年生がターニングポイントとなり、学校の送迎の関係で、父方の祖父母の家に住み、休みの数日だけしか母方の祖父母の家に行かなくなりました。修煉の環境から離れ、成長につれ、毎日学校で常人とばかり接するようになりました。

 その数年、母と父方の親戚とのトラブルで、私も母も学法を怠けてしまいました。常人という染物がめに、ますます染まっていきました。子どものいたずらは「悪」を帯びた喧嘩となり、成績もガタ落ちしました。

 高校時代、私の成績は競争の激しいクラスで下位になり、毎日学校で肉体的にも精神的に苦しんでいました。中学校の成績はトップからビリへ大きくギャップし、質問に答えられずにみんなの前で先生に叱られ、クラスメートの目、永遠に終わらない宿題の焦燥感、授業がわからない絶望に陥りました。クラスメートに嫌われ疎外される毎日に耐えきれず、生活も勉強も悪循環に陥り、顔色からわかるほどに身体はぼろぼろになってしまいました。高校では現代の変異した観念が流行り出し、ホモが流行り出したり、自分も寂しい感情からファンタジー小説に耽ってしまいました。こうして各種の悪魔や悪い霊が体内に入ってきて私を汚染していきました。高校時代も、数少ない心穏やかな時にふと大法のことを考えましたが、朝から晩まで学校にいて、家にいる時間はほとんどありませんでした。

 高校三年を迎え、私は大きな病に患りなかなか治りませんでした。父は焦りのあまり夜には涙を流しました。私は元々クラスの成績が下から数えて何位というもので、授業に出られなくなって、入試にも影響してしまいそうです。当時、私は「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と分かっていましたが、自分は修煉していないし、父は党員で大法に反対していました。そのため、薬を飲むことにしました。しかし、今回は以前と違って、西洋薬も漢方薬もすべて効かず、病状は悪化する一方でした。私は頭にも体にも潰瘍ができて、夜も寝られないほど辛かったのです。父に聞かれるのを恐れ、ベッドの上で静かにうめき声を上げていました。

 それを見た母は、私と一緒に、薬ではなく大法だけを信じようと言いました。私も父からの妨害を断ち切ろうと決意し、毎日痛みに耐えて『轉法輪』を一講読み続けました。その頃、毎日、体から黒いものがたくさん落ちていき、師父のお陰だとわかっていました。1週間余りで、まだ少し黒いものが体から出ている他は、病気も痛みもすべて消えました。当時、私は、ただ病気が治ったからといって、元の状態に戻ってはいけない、師父がこのよう形で私を修煉の道に導いてくださったのだと気づきました。それから、私は何もかも捨てて、何にも阻まれずに修煉しようと、心の底から思いました。

 昼間は学校で授業の内容をひたすら覚え、夜は家に帰ってから睡魔の妨害に打ち勝ち、学法を続けました。眠くなければ問題を解き続けました。私は大学受験間近の期間で、『共産主義の究極的な目的』を読み終え、『明慧週刊』と明慧のチラシもすべて読みました。毎日4、5時間のみ寝て、ある晩徹夜しても翌日は眠くなりませんでした。師父も絶えず私を悟らせ、励ましてくださいました。

 私の成績はたった2カ月で20点も上がり、理想の大学に入ることができました。

 二、5.13絵画応募の経過と気持ち

 明慧編集部が発表した「世界法輪大法デー」の絵画募集を見たとき、「この貴重な投稿に参加したい」と思いました。しかし、自分の修煉期間はこんなにも短く、後ろめたい気持ちもありました。明慧ネットが3月上旬に掲載した中国の同修の発表『応募を先延ばしにしてはいけない』では、「白紙で提出したら、心の中でも間違っていると思うだろう?  あなたが天に帰ったとき、あなたの世界の衆生が『王よ、なぜあなたはこれほど神々しいことに参加しなかったのですか? 』と尋ねられ」「良い文章は書くものではなく修めるもの」、「人の道はそれぞれ異なり、自分の物語や体得を、そのままの形で書く、喜び、悲しみ、感慨深き出来事など......について書けば人にはリアリティがあり、親しみを持ってもらえるだろう。何も書くことがないはずはない」と書かれており、私はそれを読んで、これを機に法輪大法の素晴らしさを世に広め、師父への感謝の気持ちを伝えようと、応募することを決心しました。

 私はアマチュアの絵画愛好者で、子どもの頃から、家で様々な絵を描いており、何回も子ども向け絵画コンクールで1等賞を得ました。小学校時代は総合芸術教室に通い、4年間中国水墨画を学び、子供向けの水墨画コンクールでも1位を獲得しました。これらの経験は私の絵画の基礎を固めました。私は自分の得意分野を生かして法を実証することにしたのです。

 1枚目の絵の制作過程では、まだ歓喜心と、入選したい顕示心がありました。毎回、絵には必ずどこか明らかな間違いやタッチの悪いところがありました。こうして、同じ作品を3回描いても満足いかず、法を実証するのに十分な作品が描けなかったのです。

 仕事や勉強時間とのバランスもあり、私は1週間筆を置きました。自分に対して、もっとできるのにと不満でした。学法しているときはアイデアが絶えず浮かび、大法のことは自分の修煉状態と心の清らかさを反映させており、うまく描けないのはしっかり修めていないからだとわかっていました。最近は『洪吟(四)』を暗記して、ちょうど師父が07班、08班、13班に書かれた神韻の歌詞を暗唱していました。また、連休中に見た『あなたのために』の最初の3分間の天国のシーンを思い出しました。私は時間に余裕があるときに、まず発正念をしてから、各地の説法を1冊読み終え、心を今の次元で最も純粋な状態に保ち、一気に2枚目を描き上げたのです。2枚目は、まだ完璧ではありませんでしたが、満足のいくものに仕上げることができました。何事にも、法を学び、うちに向けて探すことを忘れてはなりません。

 投稿用に描く一枚の絵でも、完璧に仕上げるのは容易なことではありません。ここ数年、同修たちが作り上げた資料はすべて完璧で、どれだけの苦労があったのか、師父が自ら指導なさっている神韻もさらに善と美を尽くされているのを思い返し、師父に感謝いたします。私に新しい生命を与えてくださり、修煉できる環境、また大法の実証できる機会を与えてくださり、本当に感謝いたします!

 以上は個人的な悟りで、不適切なところがあれば、同修のご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/1/438581.html)
 
関連文章