青年同修「修煉の道では、師父が見守ってくださっている」(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年5月18日】私は2000年生まれの大法弟子です。大法を修煉して今までの十数年の修煉の中、師父は私を慈しんで見守ってくださいました。いろいろな思いがあり、私の修煉体験の中で、感じたこと、悟ったことを書き出し、皆さんと交流したと思います。

 一、成長する中で法を実証する

 母が大法の修煉に戻ってきた後、すぐに精進するようになり、積極的に法を実証し衆生を救い済度することになり、幼い私を連れてよく夜中に他の住宅地で真相の資料を配布していました。

 私が成長し、学法煉功を続けているうちに、成績はだんだん良くなっていきました。その後学校では、学生たちに正式に中国共産党の少年先鋒隊に加入させることに取り組み、クラス担任の先生の強制で、周りのクラスメートたちが皆加入させられているのを見て、特に不安な気持ちになりました。それ以来、私は率先して周りの同級生に真相を伝え、少年先鋒隊から脱退するよう勧めていました。同級生が同意してくれたら、家に帰って母に頼んで、「脱党」のサイトに声明文を載せてもらうことにしていました。

 小学4年生の倫理の授業で、中共は洗脳と嘘を広めるために、教科書に「天安門焼身自殺事件」のデマと大法への誹謗中傷の内容を入れました。この授業になったとき、私は迷わず手を挙げて立ち上がり、先生とクラスメートに法輪大法のことで、大法は教科書に書かれている内容とは全く違うことを伝えました。私の周りのクラスメートの何人かは、すでにその真相を聞いたことがあったので、みんな小声で反響していました。私の話を聞いた後、先生は「まず座ってください」と言い、この内容についてそれ以上何も言わずにさっさとこの部分を飛ばしました。

 中学校のクラスの席の割り当てはずっと変わっていきましたが、私はあらゆる機会をとらえて、周りの席の生徒たちに積極的に真相を伝え、共産党組織から脱退するよう進めました。その時、仲の良い同級生や友人に真相を伝えるとき、いつも言葉に詰まる時期がありました。

 ある日、学法するときに、師父が 「しかし、本当に正念で彼を済度していれば、彼の真念ははっきりと分かることができ、彼も常人の情にとらわれなくなります」 [1]という説法があります。

 私はふと悟ったのです。私は同級生のことを常人の情として扱って考え、修煉者の慈悲で扱っておらず、救うべき衆生として扱っていなかったのです。それを悟った私は心を整え、彼らへの情を薄くし、率先して真相を伝え、共産党組織を脱退することに成功しました。

 高校では、同級生に真相を伝える過程で抵抗にあうこともありましたが、それは、高校の同級生たちの認識や思考が、小中学生に比べて複雑で頑固になっていることです。私は絶えず内に向けて探し、彼らに真相を伝えるとき、自分の心があまり純粋でないことがあることに気づきました。一緒にいる時間がまだ短いので、恥ずかしかったり、聞いても受け入れてもらえないのではと心配になったりしたのです。これでは、人を救うのに条件を付加することになり、同級生たちを慈悲で、自分の救うべき衆生として扱っていなかったのです。

 私はわかりました、真相を伝えることに置いて、自分自身をしっかりと修めなければ、真相を伝える力が足りなくなり、人を救うという目的を達成できないことに気づきました。自分のあらゆる不正な認識や執着でも、人を救うことに抵抗や困難をもたらすことになります。自分を正しくし、恐れや恥ずかしさを放下した後、再び真相を伝えるようにすると、その効果はすぐに違ってくることがわかりました。

 私は、学校での勉強と並行して学法にも精進していたため、勉強で負担になることはなく、いつも良い成績を取ってきました。中学時代も、塾にほとんど通っていませんでした。大学入試では、優秀な成績で有名大学の最優秀専攻に入学しました。これは全て、法輪大法の恩恵を受けていることを深く理解しています。

 二、自発的に自分自身を修める

 大学に入学し、初めて家を離れて一人暮らしになりました。家での修煉環境から離れることで、少し落ち着かない気持ちになりましたが、しばらくすると、すべてが元通りになりました。また、どこにいても、常に法の基準で自分自身を律し、三つのことをしっかりやろうと心がけました。大学は小さな社会と言えます。生活上の誘惑が多くなり、人を救う環境も以前ほど単一ではなくなりました。

 大学での4年間、私は三つのことをしっかりやることと大学生活とのバランスをうまく取り、ルームメイトやクラスメート、友人たちに真相を伝える機会をつかみ、それがすべて非常に良い効果を得ました。

 ある試験で別の都市に行ったとき、初対面の同級生と宿泊について意見が対立したことがあります。私は、学法や発正念をしやすいように、一人で一部屋を取りたかったのですが、その同級生は、部屋代の負担を減らすために、私と一緒に泊まることを強く希望していました。その時、私は少し嫌な感じがして、学法の邪魔をされるのではないかと思いました。言い訳を考えているうちに、ふと、「何事も偶然ではないのだから、常人にこんな仕打ちをしていいのだろうか? それに、私がしていることは真・善・忍からあまりにもかけ離れていて、一緒に泊まったら、学法することは本当にできないのか? これを機に、彼に真相を伝える機会ではないか?」と思いました。そう考えたとき、私は悟り、そうすることに同意しました。それから2日間の試験の間、その同級生にうまく真相を伝え、共産党組織から脱退することにも成功しました。

 ある時、授業中に隣の席の同級生が、他の同修から真相のメールを受け取り、新鮮と感じたので、私に見せてそのメールの内容を私と議論しました。 私はそれを見て少し驚き、これは、私が彼に真相を伝えるのを待っていたのではないでしょうか?  そこで私はその話を引き継ぎ、メールに書かれた大法の素晴らしさについての内容と、中共の悪行ついての事実を同級生に詳しく伝え、中共組織からの脱退にも成功しました。

 三、どの難関も難しいが、全て乗り越えた

 私は自分自身の修煉や人を救う過程で、転んだり悩んだりしたこともありましたが、師父の守りとご加持のもと、やがて躓きながら乗り越えることができました。

 中学生の頃、携帯電話を使い始め、同時に同級生たちは皆ネットで連載する小説を読んでいたため、好奇心もあり、私も携帯電話で読もうとしました。一時期は、学法や煉功をしていても、心を落ち着かせることができないほど、没頭していました。頭の中は全部小説の中で描いたシーンになりました。学法を通じて、自分はこのままではいけないと気づきました。小説には闘争や顕示、色欲など様々なことが書かれており、これらはすべて法の基準にそぐわないもので、しかも学法をせずに小説を読むことに夢中になっていたのです! そう思った私は、すぐにその小説を完全に削除し、二度と見ることはありませんでした。

 高校で文理系に分かれてからは、私はいきなり新しい環境で、優秀な生徒たちに囲まれることになったのです。成績順位を維持するために、みんなは常に意識的な闘争があり、それが自分の闘争心をも呼び起こし、新しいクラスでの生活やクラスメートとの関係がギクシャクしてしまいました。それが次第に大きくなり、普段の勉強だけでなく、スポーツ活動にも現れてきました。問題をより多く、より速くこなす者、バスケットボールがより上手にできる者......常人の中の最強であることを競い合ったのです。

 そのような状態が良くないということは分かっていましたが、闘争心の存在やその問題点をまだ十分に理解していなかったので、落ち着きがなくなり、成績も変動し、学法する際にも心を完全に静めることができないほどになっていました。一定期間の学法と絶えず内に向けて探す中で、自分の執着の根源を見つけました。以前のクラスでは常に成績がトップだった私が、皆が優秀なクラスの中で、以前と同じように評価されず、名利心と闘争心で打撃を受けてしまったからです。私は、それらの執着を手放さず、放っておいたことで執着を強めてしまったことさえありました。

 修煉者として、こうして一時的な名声を求めることは、常人と何が違うのでしょうか? さらに、大法弟子は衆生を救わないといけないのに、私は逆に衆生と争い、さまざまなよくない思いをし、何の慈悲心もなく、衆生を救えるのでしょうか?  私は自分の小さな思いまでにも注意を払うようになり、これらの悪い考えや執着を取り除こうとしました。すると、 すべてが少しずつ元通りになり、成績も上がり、クラスメートとの関係も良くなっていきました。

 大学に入学し、私は初めて家から離れ、新しい都市で一人暮らし、勉強することになりました。家にいる時、やはり母が監督してくれて、学法するのに最適な環境があったのですが、大学ではすべてが自分一人の力でした。入学当初は、大都会の喧騒と大学生活の豊かさに、いつも邪魔され、誘惑されました。当時はいくつかのサークルに所属し、活動や課題を持つことが多かったのですが、寮に住んでいたため、学法と煉功の環境が整っておらず、コンピューターゲームに触れ、没頭することで、学法がおろそかになっていました。 次第に、自分の修煉も甘くなっていきました。

 ゲームをするたびに、正念が非常に弱くなっていることに気づき、また、学法をあまりしていなかったため、発正念をしたり難関を乗り越えようとするときに力が足らず、力はあるのに出せないと感じました。心が常にゲームに左右されているような気がしました。おかしいと気づいてからも、すぐには問題に向き合わず、自分の気の緩みや執着に「たまに遊ぶ分には問題ないだろう」と言い訳にしていました。しかし、それが知らず知らずのうちに大法の要求から外れてしまっていました。

 ある日、私は再び高校時代に戻って、大きな試験に直面している夢を見ました。授業中、先生が私の宿題をチェックしていたのですが、私だけが白紙でした。試験が始まると、問題回答用紙を見て何も回答できません。私はハッと目が覚め、自分があまりにひどいことをしていて、師父が私を悟らせてくださっているのだと気づきました。大法弟子である私は、やるべきことをやらずにゲームに時間を浪費していたのです。

 ゲームへの執着を手放す過程で、他にも闘争心や名利心や顕示心など、様々な感情が隠れていて、それらがゲームと一緒にどんどん大きくなっていることに気づきました。 そして、インターネットの複雑さと、その中に隠された様々な種類の魔性のものが、すべて私の心に干渉して侵害していまいた。そのすべてが、私自身を夢中にし、自分の思考と生活全般に取り込まれてしまったのです。大学入学後の自分の心境と状態、多くのものへの執着は、皆これまで心の奥底まで掘り下げることのなかった人心ではありますが、状況の変化によるものだと言い訳にして、それを克服するための努力をせず、学法をサボっていたことに言い訳をしました。

 常人の中で修煉する大法弟子として、常人の生活に合わせることも必要ですが、どんな環境でも、私たちは大法弟子であり、人心に流されず、正しい方向に歩むために、すべては修煉者の立場で考えなければならないと気づきました。常にやるべきことをやり、問題にぶつかったら冷静に内に向けて探せば、どうして雑念に影響されるのでしょうか。執着を手放せば、師父は必ず知恵を授けてくださり、困難を乗り越えることができるのです。

 そう思うと力が湧いてきて、ゲームへの執着を手放し、自分が学法するための環境づくりを率先して行うようになりました。寮のベッドにカーテンを買って、そこにヘッドホンをつけて座って発正念できるようにしたのです。毎日、授業が終わると図書館に行き、『轉法輪』の一講の一部を勉強してから、その日の宿題やさまざまなことをこなしました。寮に帰ってから、ベッドで残りの講義を学び、毎日最低一講の『轉法輪』を学ぶようにしていました。

 しばらくすると、何時でも、自分がとても高いビルの上にいて、エレベーターに乗って上に飛んでいく夢を見続けました。 最初は地上のものが見えていたのですが、その後、とても高い雲に入り、まだ上昇しているのです。私は、初めて家を離れ一人で学法する時のような彷徨いを感じなくなり、ますます修煉が成熟していきました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/24/447723.html)
 
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