家庭経済の魔難の中で自分を修める(2)
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文/湖北の大法弟子

 【明慧日本2023年6月26日】(前文の続き)

 ある日、学法の終わりに交流した時、同修Bさんが「轉法輪」の(勤務先が)住宅を割り当てることに関する一節を引用して語りました。「もし私たちがこの問題に直面したら、何人が率直に『では、あなたが持っていきなさい』と言えるでしょうか?」

 私はこの同修の言葉で目が覚め、数年前の過去の事件の記憶が蘇りました。2007年、私が夫と結婚した時のことです。義父はすでに亡くなり、義母は80歳近くでした。夫の二番目の兄が他の兄弟たちと一緒に自分たちの山で働いて稼いだ5000元で、地元の古い家を買ってくれました。家があまりにも老朽化していたので名義変更する必要がないと感じたため、夫と家主は個人契約のみを結び、名義変更は行いませんでした。予想外なことに数年後、その建物は立ち退きになり取り壊され、古い家は新しい家に建て替えられました。義兄は家を自分名義に変更し、「私たちにその家に住まわせてほしい」と要求してきました。夫は渋々同意しましたが、私は断固として同意せず、しかも義兄があまりにも利己的だと思っていました。最終的に、家は私たちの名前に名義変更されました。後でこの話をするたびに、自分の手柄のような気がしていました。今回の学法で、数年前のこの出来事は私の修煉中での一つの試練であり、夫の二番目の兄が要求した際、当時の私は「では、あなたが持っていってください」と言うべきだったと気づきました。実際、家は私たちに属しておらず、師父の助けによって私たちの一時的な住まいとして与えられたものでしたが、私は自分の隠れた利益心に気づかなかったため、自分に属さないものを求め、今日の経済的な困難に直面することとなりました。当時、私は自分の悟りが正しいと内心で確信していましたが、法理に則り、深く理解していませんでした。 

 ある日、再び同修Cのところに行き、偶然にも「轉法輪」第四講を学びました。その時私は心の中で少しショックを受けました。同修が1元で子供用の高級自転車を手に入れたことは、持ってはいけないものを取ってしまい、彼は徳と交換しなければならないのです。そして私は5000元で古い家を譲り受け、さらに十数万元の新しい家と交換することになりました。それは自分が得るべきではないものを手に入れたことではないでしょうか? これはまさに大当たりと言えるでしょう。そして、徳を失ってしまうことになりますね!その上、当初私たちは名義変更をしておらず、法律上この家は元の所有者のものです。心性が高い修煉者であれば、この時点で元の所有者に状況を説明し、彼らの意見を尋ねるべきでしょう。50年から60年代の時、または古代の高潔な人々であれば、新しい家は元の所有者に帰属すべきだと自然に考えるでしょうか? 私は家を買うために支払ったお金だけをもらうべきでした。しかし、この腐敗した社会で大法を修練煉している私たちは、それに気づくことができませんでした。少なくとも、この家の購入は夫の二番目の兄と元の所有者との交渉によって行われ、この家の主導権は二番目の兄の手にあるのです。もし名義を元の所有者から二番目の兄の名前に変えたなら、法理からみると、それは元の所有者が夫の兄に前世の借りを返したということかもしれません。しかし、私は現代の変異した考え方で、新しい家は私たちの立ち退きの結果で、師父の「失と得」[1]の教えを忘れてしまいました。 

 今、心を静めて考えると、師父が私に与えた按排は本当に素晴らしいものです。もしあの時、家の名義を義兄に変更することを承諾できていたら、彼は私たちの結婚式を手配し、兄としての義務を果たし、私と夫に住む家を与えるだけでなく、同時に私の利益心を捨てさせ、心性を高めさせたのです。これほど素晴らしいことはありません!しかし、当時はまだ実修をしていなかったため、師父が私の心性を高めるために用意した機会を逃し、「この家は私が持っている」と内心ほくそ笑むこともしばしばでした。 そして、その時の間違った行いが、今の私に大きな金銭的な鬼門をもたらしたのです。 

 後で、私は突然気づきました。この家は本来、私が一時的に住むためのものだったのに、なぜ私はその家の名義にこだわったのでしょうか?私は世間のものを占有したいのでしょうか?自分の強欲な心、そして物質への執着心に気づきました。釈迦牟尼仏は弟子に対してさえ、托鉢すら執着しないようにと教えられましたが、私は世間の財産に対する欲望がこんなにも大きかったのです。 

 同時に、数年前に夫と二人で運営していたタオバオショップのことを思い出しました。当時、私たちはそれぞれネットショップを持ち、夫は男性服を売り、私は女性服を売っていました。私の収入は数千元ほどでしたが、夫の年収は十数万元ありました。 当時、二人とも売上を上げるために、架空の取引で裏で良い評価をし、良いレビューを書いていました。取引自体は偽物でしたが、私は自分が書いた良い評価レビューの内容は間違っていなかったし、服の質も本当に良かったと思っていたので、自分は真実を歪めず、修煉者としての「真」を失っていないと自分を慰めていました。ところが、販売を始めてしばらくすると、1点売れば、1点返品されるようになり、ほとんどの商品が返品されました。不思議に思っていたところ、ある晩、夢の中で「今、1点売り、1点返ってくるのは、これまでの偽りの取引に対する借りを返すためだ」と啓示されました。師父はさらに「まず夫についてはそうならない、なぜなら彼は修煉していないからだ」と私に悟らせました。私は夫にこの夢のことを話し、私のオンラインショップは閉鎖しました。しかし、夫のショップについては、彼が修煉していないことから、それほど真剣に受け止めず営業を続け、毎月1万元から2万元の収入を得ていました。

 当時の心境を振り返ると、私は自分のショップを閉めたものの、本心から夫もショップを閉めてほしいとは思っていませんでした。内心では「まあ、彼がやっていることだから、私には関係ないし、彼の高収入を喜んでいる」という考えが隠れています。さらに、私は自分が働かなくてもよく、彼の不正な収入に頼って、三つのことを全力でやることができると考えていました。今思えば、確かに全体的に淘宝(タオバオ)では虚偽の取引や良いレビューを書くことが行われていて、多くの人々もそれが普通だと考えていますが、これは道徳の低下により道徳基準が完全に崩壊した結果です。どんなに人々がそれを当たり前に受け入れたとしても、このような行為は不正手段を用いて商品を売り、利益を得ることであり、他の販売者の利益を侵害しています。虚偽の取引に関与する販売者はすべて徳を失うことになり、修煉者に対してはなおさらです。 

 これらを悟ったとき、夫のオンラインショップの収入と家の立ち退きのお金を足すと、ちょうど夫が宝くじを買って損失を出した金額に近くなり返済できることに気付きました。法において偶然なことなど、ありえないのです。ですから彼を責めることはできません。私は心を鬼にして、一緒に借金を返すことにしました。 

 法を学び、彼が抱えている借金に対して、心の負担を感じていなかったのは、私の心性が法の基準に到達したからではなく、自分自身に逃げ道を残していたからでした。もし彼に何かあったら、私は実家に戻ります。実家には家があり、両親も同じ修煉者なので、取り合えず、彼を支え続けますが、本当に支えきれなくなったら逃げます。これは神様が人々に定めた結婚を軽視することであり、魔難に直面したときに外に頼ろうとする心です。 

 これらの心を認識した後、私は「自分の修煉の道は自分で歩むべきだ。修煉の道における魔難は他人に押し付けることはできない。実家に帰らず、逃げずにこの家を支え、法の中で魔難を解消し、誠実に自分の修煉の道を歩むこと、真の大法弟子になろう」と自分に言い聞かせました。 

 その後、私は夫に心から借金を返済するよう励ましました。まず、新居を売却 し、大部分を返済しました。高利貸しについては、どうしたらいいのかわからなかったのですが、ちょうど当局の政策が出て、高利貸付は違法なので返さなくても良いとされました。しかし、返さないわけにはいかないと、夫と話し合い、元金と法律で定められた利息を返済し、高利貸し問題も解決していきました。私自身の深く潜み隠れていた執着心を見つけ、それを手放し、勇気を持って家族の借金に立ち向かった時、私たちの収入は突然増加し、毎月の収入は1万元を超えました。これによって私たちの生活、修煉、債務の返済をすることができました。 

 さらに驚いたのは、親戚たちが「こんなにプレッシャーの中、嫁(私)がどのようにして夫と共に魔難から抜け出したのか」と考えていたことでした。「あなたはどうしてそんなに優秀なんだ、他の人ならとっくに離婚している」「私はずっと分かっていました、実際は、あなたがすべてを支えているのです」と彼らによく言われました。私は彼らに法輪大法の素晴らしさを語り、彼らの誤解が徐々に変わっていくのを見ました。以前、夫の家族は私を敵視するように見ていましたが、心の中でショックを受け、今では法輪大法の偉大さと法理を理解するようになり、大法修煉者を正視し、大法の真実を受け止めるようになりました。 

 私も修煉中に出逢ったすべてのことは良いことなのだと、だんだん理解するようになりました。真に自分を修め、心性が真に高まってこそ、衆生の心を動かし、衆生を救うことができるのです。表面的に上手く行うだけでは、衆生は口で賛同するだけで、心からの納得がなければ、救われることはできません。 また、生命として自分の利益を捨て、無私の心を持ったときに得られる幸福は、言葉では言い表せないほどのものであることを体験しました。他の人々に美しい未来が訪れるのを見るとき、私は心から喜びを感じます。これは以前に経験したことのない感覚です。 

 これは私個人の修練の経験です。もし法にそぐわない点があれば、同修の方々に慈悲深く指摘していただければと思います。

 注:
 [1] 李洪志師の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/5/451158.html)
 
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