文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月29日】私たちが修煉の中で直面する困難は、世間から見ると解決が難しく、突破できないように見えることがあります。しかし、これは大法の中で修煉し向上するチャンスであり、すべての答えは大法の中にあります。それを解決するには、法に従って修煉できるかどうかが鍵であり、本当に法に従って修煉できる人が、法の真の意味を悟ることができ、問題の解決を成し遂げられるのです。
同修・Aさん(女性)は、資料作成をしているため、長時間重い箱を運んでおり、少し耐えられなくなりました。それで同修・Bさん(男性)に助けを求めましたが、Bさんは都合が悪かったようで、断られました。そこで、私はAさんの代わりに運ぼうと思いました。私も女性で重い物を運ぶのは苦手ですが、この経験を通じて私も修煉すべき何かがあると感じ「きっとできる」と思いました。
箱を運ぶ前に「どうすれば良いか?」と考え、一般の人の思考や力には頼れないと思いました。そして、修煉の功法の秘訣である「佛展千手法」(『大圓満法』〈二、動作図解〉)を思い出しました。実際に運び始めると、その秘訣を心に念じると箱がそれほど重く感じなくなり、少しの重さしか感じませんでした。とても重い箱も「シュッ」と簡単に運べたのです。同修・Cさんは、Bさんが正念で私を助けてくれていると思ったようですが、実はBさんは何も知りませんでした。
この出来事の後、資料を作成しているとき、私が重い箱を倒した際に大きな音が出てしまいました。それに対し、Bさんは「もっと静かにできないの?」と言いました。私は心の中で「こんなに重い箱なのに音がしないわけないじゃない」と考えました。そして次の箱を運んだときはさらに大きな音が出たので、Bさんは不満げに「どうしたの?」と言いましたが、私は返事はしませんでしたが、少しだけBさんが理解してくれないことに不満を感じました。
その後、自分が間違っていると感じ、内に向けて探しました。「なぜ箱を運ぶだけでこんなに大きな音を立ててしまうのか?」と考え、冷静に自分を探したところ、箱が重いと感じ、運びたくない、重い箱を運ぶのが好きではない、というような観念が自分の中にあることがわかりました。この観念が私の行動を支配していたのです。「この観念を手放さなければならない」と悟りました。
再び重い箱を運ぶ際「重くない」と思い、さらに「動作も気機に導かれるがままに動き」(『轉法輪』)の法理を思い起こしました。すると本当に箱が重くなくなり、軽々と運べるようになりました。階段も一度に二段上がれるほどで、まったく重さを感じず、不思議な体験でした。
私たちが互いに協力して衆生を救うための活動を行うとき、他の人が困難に直面して進められなくなった場合、私たちはその人を責めるのではなく、その機会を利用して自分の修煉として、全体に協力するよう努めるべきです。こうすると、衆生を救う私たち全体の力はさらに強化されると思います。