文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年1月27日】長年の修煉の中で、私はずっと周りの同修たちに真相(迫害の実態)資料を提供してきました。雑誌、光ディスク、お守り、卓上カレンダー、シールなど、衆生を救うことができれば、真っ先に最大の努力を尽くして、質の良いものを提供しています。迫害開始から現在に至るまで、経済的制約から良い状況にいたるまで、どんなに困難で危険あっても、苦しくても、師父のご加護のもとで今日まで歩んできました。自分が手がけた一つ一つの資料を見て、衆生を救うことの荘厳さ、神聖さを感じ、そして、それは私にとって素晴らしい体験でした。
最近、いくつかの資料拠点を見てきて、資料の質があまりよくないことに気づきました。表紙の印刷が雑であったり、紙が薄くて、裏面の字が映って見づらかったり、写真がぼやけたり、印刷が途中で切れたりなど、これらの問題を同修と交流しましたが、前よりは随分良くなったと言われました。以前の印刷は白黒ですが、今はカラー印刷になり、衆生を救えればいいとも言われました。また、ある同修は印刷を開始させたままで出かけてしまい、戻ってきたときには印刷物がおかしくなったりして、何とか読める程度でしたが、捨てるのがもったいないというので、そのまま配布したそうです。
節約、物を大切にする、時間を無駄にしないことは、常人においても、修煉においても、間違いではありません。しかし、資料の質を重視し、責任を負い、厳粛な態度を持たなければならないと思います。私たちが作成しているのは衆生を救うものなのです。
もちろん、私たちは印刷業者ではないので、良質なものは作れません。しかし、現在の経済環境や条件のもとで、字がはっきりしていて、写真も鮮明でぼやけていない、きちんとした印刷物を作ることはできることだと思います。
また、私たちは修煉者ですので、絶えず高い基準で自分自身を要求しなければなりません。
私が住んでいる場所ではプリンターの消耗品を買うのは便利なことですし、正直に言って、資料印刷を担当できる同修は一部を除いて、大体毎月100元(約2000円)前後の多めの支出を負担できるはずです。また、他の同修も制作費用を多少援助してくれます。
長い間、修煉の中で私たちは大法から多くのものを得てきました。様々な病を患っていた身体が修煉した後健康になった人や、窮地に立たされて修煉して生まれ変わった人などたくさんいます。師父が私たちに与えてくださったのはみんな最高のものばかりです。では、なぜ私たちも素晴らしいものを衆生に届けられないのでしょうか。明慧ネットの方はプロフェッショナルなものを提供しています。私たちはそれに見合った資料を作成しなければ、明慧ネットの方にも申し訳ないですし、衆生にも、そして、師父にも申し訳ないのです。
誤字脱字がなく、印刷ミスのない読みやすい資料を作ることは最低の基準です。
師父は「どのプロジェクト、どのことも、行なわなければそれでいいのですが、行なった以上、しっかり行なうべきであり、最後までやり遂げなければなりません」(『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」)と説かれました。
修煉に小さい事はありません。小さな事で人心が見えるのです。