苦難が善の念によって解決した
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文/中国の大法弟子 

  【明慧日本2021年3月11日】私は1999年の「7.20」以前に法輪大法の修煉を始めた年配の弟子です。私は師父の保護の下でいろいろと経験し、今日まで辿り着きました。

 私はひとりの同修と毎日一緒に出かけて、面と向かって真相を伝え、衆生を救い、法輪功の資料を配布しています。私たちは二人とも、すべての衆生を救うという責任感と緊迫感を持っています。二人とも60歳以上で、頻繁に階段を上ったりすると、足に痛みを感じ、思うようにならなくなります。それでも、私たちは各マンションの間を行ったり来たりしています。私たちは資料がある限り、朝、昼、夜を問わず、各家庭に資料を届けに行きます。人々に一早く資料を見て、理解してもらい、大法は良いものだと信じることによって、災難から逃れてほしいのです。

 人を救う道は険しいものですが、師父の慈悲と大法の超常的な力を目の当たりにすることができ、修煉によって、真の善を生み、衆生を操る邪悪を解体することができ、大法は良いものであることを理解しました。この過程で、いろいろな危険がありましたが、無事に乗り越えました。

 2018年8月24日の朝、同修と普段通りに、資料を持って近所のコミュニティーに真相を伝えに行きました。 電動バイクに乗った同修が先に入って、私は歩いてそのあとにすぐ入ろうとしました。すると、警備にあたる若者に止められ「誰ですか?」と聞かれました。彼は、私のカバンを掴もうとし、 私のカバンの中には100部以上の真相資料が入っていたので、言い争う中で資料が地面に散乱していました。法輪功の資料だと分かるとすぐに、彼は怒ってこう言いました。「やっとお前らを捕まえた、上司に電話するぞ」

 私は資料を拾いながら彼に言いました。「あなた自身のために、それは止めた方がよいです。あなたのためになりませんよ」。話をしている中で多くの人が集まってきました。

 その時、彼の上司が電動バイクに乗って来ました。まだ若い男性でした。 彼は非常に威嚇的で「俺について事務所に来い 」と私に言いました。それで自転車に乗って後をついて行きました。 歩きながら彼は「おまえ達がこんなことをずっとやっているから、先月はそのせいで給料から2000元の罰金を取られた 」と言いました。それを聞いた途端、なんたが可哀そうだと思い、優しさが出てきたのかは分かりませんが、彼に「罰された罰金を渡すから、私を放してください。こんなことしないで欲しい、あなたのためにならないし、これは業力を作っているんですよ」と言いました。しかし、何を言っても彼は聞く耳を持たず、10分ほど乗った後、彼が言う事務所の外に着きました。彼は私を引っ張って前に押し出し、警察を呼ぶなどと言っていました。

 私は落ち着いて「警察を呼んではいけません。呼んでも来てくれないし、みんな真実を理解しているから、たとえ来たとしても、パトカーに乗せられても、途中で放されるだけです」と彼に優しく言いました。しかし彼は、聞く耳を持たずに警察に通報しました。電話が本当に通じたと聞き、電話に出たのは女性でした。 私の正念と慈悲の心が一緒になって、電話の向こうの女性に「私は法輪功学習者です。法輪功は佛法であり、私は真、善、忍に基づき行い、罪を犯していません。法輪大法は良いものであることを忘れないでください 。大法に良いことをして福を得るように」と叫びました。話をしているうちに、管理事務所に着きました。

 ここまで来ると、心を正し、何にも怯まず、山のように落ち着かなければならないと思いました。 この時点で野次馬が何人か来ましたが、私は「何事も大法を実証するために、衆生済度に有利な方向に進むように展開しなければならない。衆生を滅ぼす邪悪な按排を解体する」という強い正念を持ち続けていました。そして「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する」[1]という強力な正念を発しました。それと同時に、私は心の中で師父の法『精進要旨三』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」を暗唱し続けました。この時、私は法を正す時期の大法弟子としての、人々を救う責任の重大さを感じ、自分の信念を強め、師父を完全に信じることが重要だと気づきました。すべては師父の決断であり、弟子のために決断をお願いしました。

 そのときにパトカーが来て、二人の男がビデオカメラを手に持って降りてきて、その場にいる人たちの様子を録画しました。いくつかの質問をした後、私の方を向いて「早く、家に帰りなさい、団地に入れてもらえないなら、入らないことです」と言ってきました。

 とても怖い出来事に見えたのが、師父の手によって、無事になりました。

 大法は慈悲深く、同時に威厳もあります。邪悪の嫌がらせを恐れず、正念をもって向き合うとき、悪は恐れています。悪を行う者との関係を正しく設定し、自分を被害者扱いせず、悪人が自分に何をするかを恐れず、恐れも争いも憎しみも持たず、正念をもって悪に向き合い、大法を実証できる時こそ、大法の威厳が現れます。この時でも悪を行う者を救う善念を持つことができるとき、悪は確実に解体されます。 これが真の善であり、真の善を修めることによって、悪の衆生に対する按排を取り壊すことができ、衆生を救うことができるのだと悟っています。

 師父、ありがとうございます!

 同修、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/19/421102.html)
 
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