文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年3月23日】私はかつて、修煉の中で間違った道を歩んで来たので、自分の思惟にはいつもこのような潜在的な思惟があり「旧勢力はこの問題で私を迫害するかもしれない」。それに私は実際にこのような迫害を実際に身近に感じてもいます。当時、公安局らしき人が数回私に電話を掛けて来たり、パトカーが私の家の近くに止まっていたり、同修から地元の警察が私の職場に行くかもしれないと言われたりしていました。
ある時、私は法を実証するために、車を運転して郊外に行き、用事を済ませて家に向かっていました。高速で連続13時間の運転をして、自分の車の横を通過した車が強い吸引力があるかのように自分の車がどんどん吸い込まれて行くような気がしました。表面上は疲労しており、近視があり、対向車のライトが光ると私は何も見えなくなりました。私はしっかりとハンドルを握り、師父に助けて下さるようお願いしました。師父のご加持と強い正念で事故にも遭わず、無事に家に戻りましたが、服の中はびしょびしょになっていました。
師父はこのように説かれています。「学習者として、師父の要求に従って行なっていなければ、これは小さい問題ではないはずです。旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按排しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります。旧勢力は実質上、法を正す中で大法弟子が出てこられるかどうかに対して、いつも皆さんのそばにある巨大な関と難です」 [1]
私は師父の説法から「私たちは生生世世の中で生まれ変わる時、旧勢力が既に私たちの考えを按排し、大法の法理に合っていないすべての思想や行動は旧勢力の按排であり、師父の按排ではないのです。肉体への迫害、獄中での迫害、流浪生活による迫害、そして経済的な迫害も旧勢力の按排です。私がどんなに間違っても、全て大法の中で正し、旧勢力の如何なる按排もいらないのです」と悟りました。「全ての悪い行動や考えは私のものではなく、旧勢力の按排であるので絶対にいりません。私は師父が法を正すことを手伝うためであり、法を実証し衆生を救う為であり、邪悪な迫害のためではなく、全ての生命が私に邪魔をしないことを選び、それによって救われるのです。どうしても救われない生命であっても、私への迫害は許せず、師父のご加護があるので、旧勢力の按排を認めません」と思いました。毎回の発正念はエネルギー場が強く感じるまで続け、この一念を断固として守って来ました。
今まで、多くの同修が法を実証することを行うと、迫害されるという観念を持っていることに気づきました。特にこの前の嫌がらせ行動の影響は、とても大きかったのです。
昨年から自分の考えを一つ一つを修め、法を実証することを行う前に、迫害されるという考えが生じ、その程度は様々です。最初、私は発正念をしてそれを解体し、その後それが出て来たら、旧勢力の按排の考えであり、私の考えではないということが分かりました。私がどこで行っても、とおりすがりの全ての生命は正法に従い、喜びを持って救われるのを待っているのです。発正念の基点は最初に自分を守り、すなわち「私の為」から衆生を守り、衆生が救われる基点、すなわち「他人の為」に変わったのです。
しばらくして、法を実証することを行う時、迫害されるというマイナス思考が徐々に減り、正念がますます強くなりました。今はたまに出て来たりしますが、抑制するとすぐになくなりました。外の環境も私たちの考え方によって変わり、あなたの考えは衆生全ての正法に従い、喜びを持って救われるのを待っていると、満たされている時、あなたが行く先々で出会う衆生は、本当に私たちを助けてくれます。本当に大法弟子の正念の威力の現れです。
師父は「初志貫徹すれば、修煉は必ず圓満成就する」 [2]と説かれました。個人的な認識ですが「当初のように精進する一方で、当時は迫害がなく「迫害される」というような考えがなかったので、法を実証することを行う時も純粋な気持ちでした。だからこそ、私たちも当初のように純粋になれるように修めなければなりません。法を実証することがもう最終になり、観念を変えることはとても大切です」
「観念転じ、腐敗物は滅され」 [3]、法を実証する中で何年もかけて師父の法理に頼って、観念を変えて旧勢力の迫害を否定しました。至るところで師父の慈悲なるご加護を感じており、まさに師父が説かれているように「弟子正念足りれば、師は回天の力が有り」 [4]、師父の弟子に対する慈悲は如何なる言葉でも言い表すことができません。この20年間、法を実証し修煉する道で、師父のご加護の下で沢山の奇跡が現れたことがあり、ここでは全てを列挙するつもりはありません。
以上は個人的な認識であり、法に基づいていないところがあれば、ご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:「考えをはっきりせよ」
[2] 李洪志師父の経文:「二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「新生」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒恩」